第5話 伝説のおっさん、試される

「レイナ、離れていてくれ」

「……はい」


 もう後戻りできる雰囲気じゃないのを察し、レイナも距離を取る。


「カリン、先生にケガをさせたら私が絶対に許しませんから」

「ふーん……お前がそこまで言うとはね」

「……! 関係ないでしょう! 一般論です!」


 レイナが手をぶんぶん振って否定する。ま、まぁ俺を心配してくれているんだよな。お互いにケガをしたらつまらない。


「さて」


 ふぅ――と俺は息を吐いて、頭を戦闘モードに切り替える。

 身体と反応を融合させてマナを研ぎ澄ます。一点の揺らぎもない、水面のように。


 明鏡止水めいきょうしすい晴雲秋月せいうんしゅうげつ


 静かに揺らがず受け止める。

 それが30年かけて俺が身に付けた戦い方だ。

 対してカリンは軽くステップを刻んでいる。


「あたしから仕掛けていいか?」

「ああ」


 短く答える。言葉はいらない。

 殺気は不要。闘志も無用。ただ、力を振るうのみ。


「んじゃ、いっちょ行きますか!」


 カリンがマナを解き放ち、踏み出す。そのまま真正面に突っ込んでくる気だ。

 豪快な戦い方だな。


 と、そこでカリンの全身が揺らぎ――青色の水と化した。ビキニも全て一体化し、カリン全体がスライムのような液体になっている。それでもぎりぎり人型は保っているが。


 なるほど、こういう特化能力だからあの水着なのか。


「これがあたしの力だ!」


 全身を液体化する特化能力か。レアなうえ、言うまでもなく強力だ。生身に比べて段違いのパワーが出て、さらに物理的な耐性も大幅に上がるはず。この状態で接近されたら勝ち目はない――普通なら。


 しかしカリンが迫っても俺の心は乱れない。これまで身体を変化させる相手とは何十回、何百回と戦ってきた。経験を引き出し、対応するまで。


 カリンが突きを放つ。

 肉体という枷を外した一撃は、人類に許された速度を遥かに超える。


「先生……!!」


 しかし、反応できる速さだ。突きが命中する直前、俺は液状化したカリンの腕をしっかりと掴む。


「なっ……掴まれた!?」

「マナを集中させれば、可能だ」


”は?”

”は?”

”なんで?”

”カリンの突きを素手で掴んだ奴、初めて見たわ”

”掴んで防げるっけ?”

”トップランカーでも無理です”

”能力で防ぐならわかるんだけど……?”

”どういう技だよ”

”伝説のおっさん、やっぱり普通じゃねーわ”


カリンが踏ん張って腕に力を込めるが、動かない。


「ぐっ、くっ……抜けねぇ……!」

「身体を変化させる能力でも限界はあるからな」


 今、カリンの出しているパワーは軽自動車なら横転させるくらいか。だが、俺は離さない。結局のところマナは全ての例外であり、この場合だと俺のマナのほうが圧倒的に大きい。それゆえ、カリンは俺の手から逃れることができない。


「ちっ、悪く思うなよ!」


 カリンが身体を捻り、飛び上がる。そのままカリンは長い脚で俺の首に絡もうとする。なるほど、次は締め技というわけだな。水が首や顔に絡まれば、そのまま窒息を狙える。合理的だ。


 しかし、カリンが締め技をかけようとする前に俺は動いた。掴んだ腕を起点に、俺はカリンをそのまま床に叩きつける。


「くぅぅぅっ! 見切ってくんのかよ!」


 カリンの動きは確かに素早い。しかし合理的であるがゆえ、読みやすいというのもある。


 そこからカリンは続けざまに攻撃を繰り出す。ストレート、ジャブ、ローキック、立ち技を主体に締めを狙ってくる。


 俺はそれらをただ、防ぐ。手の甲で弾き、足をずらして回避する。

 うーむ、軌道が素直過ぎるな。この辺りはまだまだな気がする。


 しかし俺から容易に攻撃はできない。中途半端なマナでカリンを殴っても液状化の特性で無効化されてしまう。その隙に絡めとられたら終わりだ。


 本気で攻撃する場でもないし、防御に徹しよう。

 うん、それがいい。ケガをしないのが一番だからな。



「はぁ、はぁ……!!」

「カリンの攻撃が、まるで通じないなんて……」


 それから10分間、カリンは絶え間なく攻撃を続けてきた。しかしさすがにマナが尽きてきたみたいだな。全身を液状化させるのは当然、かなりのマナを使う。


 まぁ、とはいえ普通の相手ならとっくに倒しているだろう。

 俺がカウンター、防御重視だから防ぎ切れているのだ。


「ふぅ……はぁ、はぁーー……」


 ついにカリンは膝をついて、液状化を解いた。

 全身から汗が噴き出ている。やはり限界だったみたいだな。


「……あんた、強いな」

「強いよりも経験があると言ってほしいな」


 かつては確かに、俺も最強を目指した。がむしゃらに力を求めて研鑽を積んだ。しかし結局のところ最強に意味はない。俺は魔獣を倒してダンジョンに挑む力が欲しかっただけだ。優劣にこだわるほど若くもない。


 カリンが体勢を崩し、あぐらをかく。


「はー、こんなに長時間やったのは久し振りだ。つうか、どういう鍛え方をすればそうなるんだよ」

「それは鍛錬と実戦のおかげ、ですよね! 先生!」


 レイナがドヤ顔で答える。さっき俺が言ったことをそのまま言ってる……。

 やめて、これは配信されるてるんだよ! そんなドヤ顔で言われると恥ずかしい!


”カリン、負けちゃった”

”ヤバすぎ”

”いや、おっさんは防いでいただけだから”

”カリンの攻撃を防げるだけで超一流定期”

”A級でもカリンは割りと瞬殺できる”

”S級なんて初見殺しのオンパレードなのによくやる”

”伝説のおっさん、やっぱりただ者じゃねーわ”


カリンは深呼吸をすると、ドローンに向けてにかっと笑った。


「というわけで、配信はここまで。あとで雑談枠とるからちょっと待ってなー」


 カリンはドローンに手を振ると、指を鳴らす。


「ライブ配信、終了です! お疲れ様でした!」


 カリンのドローンから少年の声が返ってくる。どうやらライブ配信が終わったらしい。ということは試験も終わり、でいいんだよな。


「で、試験については……」

「もちろん合格! 合格に決まってますよね!」


 いや、そんな主張されても。無様な戦い方ではなかったと思うが、どういう採点基準かわからんしな。守るだけではダメ、という可能性もある。


 と、武道場の入り口に人の気配がする。マナの量は達人レベルだ。ただ者ではない。


「まったく、レイナは思い込みが激しいよね~」


 のんびりと間延びした声。そこには中学生くらいの背丈、ふわふわと薄い金髪でサイドテールの少女がいた。恐ろしく可愛らしい、天使のような少女。しかしその少女を見た瞬間、俺の思考は停止した。


「お前は……」


 苦い記憶がじんわりと胸に広がる。


「社長! 結局ここに来たのかよ!」

「お越しになっていたんですか!?」


 ふにふにと少女が俺の足元に近付き、見上げてくる。やや据わった目で。

 可愛い顔をしているのに考えが読みづらいのは、昔から変わっていない。


「……達也、わたしのこと忘れた?」

「忘れるわけがないだろ、楓」


 忘れようと思っても、忘れられるわけがない。

 目の前の少女の名前は、四条楓。特化能力の『超再生』により成長を止めている。なので実年齢は俺とほぼ変わらないはずだった。つまりアラフォーだ。


「えっ……先生と社長はお知り合いだったのですか?」

「マジ? 社長とどういう関係だったのさ?」

「君たちには言っておくけど、他の人には内緒にしてね」


 楓がひょいとレイナとカリンに声をかける。

 ……どういうふうに言うつもりだ?


「昔、ちょっとの間――わたしと達也は付き合ってたの」


【人物プロフィール】

水龍 桃坂花梨ももさかかりん 

年齢:23歳 身長:172センチ 体重:59キロ

自他ともに認めるレイナのライバル、水着は自身の能力と一体化するための特注品

特化能力:液状化

覚醒者ライセンス:S

所属:ローゼンメイデン

チャンネル登録者数:341万人

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