深夜に現れる子供

3-1 深夜に現れる子供(単話)

「深夜に子供が現れる?」

「そうなのよ…うちのお父さんったら毎晩眠った後、寝相とか寝言が激しくて…ドタバタ、ドタバタ物音やら小声が部屋の中からやたらするのよ…それで、たまにベッドの周りの時計とか、何か物にぶつかって起きるときもあってね。その時、たまにだけど、お父さんが部屋の角の方を見て小声で叫んでるの。”子供だ!子供がいる!!”って」


 僕の名前は神細寺経太しんさいじ きょうた・探偵をやっている。

 最近、仕事の依頼がめっきり無くて、事務所の近所にある家々を訪問しては、営業活動を行うという日々を繰り返している。そんな営業活動で訪れた1つの家、そこで会話をしていく中で、僕が興味のある分野の話が出てきたので、現在、話に食いついているというわけである。

 

 僕が今、話している相手は山田花子やまだ はなこさん・63歳。夫に先立たれて、2人居た子供も自立しており、別の家に住んでいるため、実の父親である山田三郎太やまださぶろうたさん・85歳と2人暮らしをしている。


 最近の三郎太さんの様子がおかしい、と彼女は言う。具体的に彼女が気付いたのは、彼女が先程も述べた通り、寝相が激しくなった・寝言が多くなった・居るはずがない子供が見えるという3点である。

 正直、この3点で僕は三郎太さんの体に一体何が起きたのか見当がついたのだが、まだ確証を得るには”根拠”が少し足りなかった。


「花子さん。三郎太さんが体を傾けて歩いている・小刻みで歩いている・動きがぎこちない、なんてことは生活をするうえでありませんでしたか?」

 僕は気になる点を一気に質問した。


「ちょっと私も、年取って目が見えにくくなってるからね…ハッキリとはしないけれど…確かに、そんな感じもあったかも…」

 花子さんはそう言いながら上目遣いになり、僕の言っていることに関係する記憶を手繰り寄せようとしている感じだった。


 何だかこのまま会話しているだけでは、この件は解決しそうになかったので、僕は直接、三郎太さんの様子を見ることにした。

「家に上がってもいいですか。三郎太さんの様子を見たいんです」

「良いですよ~」


 花子さんの許可が下りたので、家に上がる。奥の和室が三郎太さんの部屋らしい。ご高齢である三郎太さんの身に何かあった時のことを考慮して、いつでも駆け寄ることのできるよう、花子さんは三郎太さんの部屋のすぐ斜め前に位置する部屋で寝ているらしい。


 部屋の引き戸を開けると、はたして三郎太さんが居た。三郎太さんは部屋の真ん中で座布団に正座で座っており、畳の上に置かれた新聞紙を読んでいた。新聞紙をめくるスピードはひどく緩慢でぎこちなく、三郎太さんの表情はまさに”無”という感じの無表情さであった。それに加え姿勢は、首を前に突き出して、今にも床に頭でも付くのではないかと思われる程のひどい猫背であった。体の軸が真ん中より前にずれているという感じだ。

 三郎太さんにお願いして、僕は彼の左真横に立った。そして、左手で三郎太さんの左腕を、右手で左手首を掴んだ。その後、左肘関節を曲げて力を抜いてもらうように、とお願いした。その状態から、僕は右手で三郎太さんの左手首を手前に倒し、肘関節を伸ばそうとした。三郎太さんの腕はその僕の動きに対して”断続的な抵抗”を示した。

 その様子を見て、僕の予想は確信に変わった。


 すぐさま、事の真相を伝えるために、花子さんのもとに僕は駆け寄り、こう叫んだ。 

「花子さん…謎が解けました!三郎太さんは<レビー小体型認知症>の恐れがあります!」


「レビー小体?」

 花子さんは聞き慣れない単語に首を傾げた。その表情はおとぼけていて、事態の深刻さがよくわかっていないようだった。

 僕がきちんと教えないと!その思いが胸に浮かび、僕の多弁のスイッチが入った。


「レビー小体というのはですね、神経細胞内に現れる異常なタンパク質のことです。これが、脳にたまることで<レビー小体型認知症>が起こるんです。脳幹ってわかりますか?」

「脳幹?」

「脳幹ってのは、生きていくうえで欠かせない意識・呼吸・循環を調節したり、中枢神経…まあ、人間の重要な神経が通っている場所でもあるんですね。その、脳幹にレビー小体って悪い奴がたまることで<パーキンソンニズム>の症状が出ます。」

「<パーキンソン病>なら聞いたことあるわ…」

「そうですね。<パーキンソンニズム>は、<パーキンソン病>とは別の原因によって<パーキンソン病>の症状が生じる場合のことです。三郎太さんの<パーキンニズム>の症状としてまず、<筋固縮>が起きてました。これは筋肉が強張こわばることです。新聞紙をめくる際における腕の関節の動きがかなりぎこちなくて気になりまして、試しに、三郎太さんの腕の関節部分を他動的に動かしてみたんですが、断続的な抵抗がありました。これは、<歯車様筋固縮>って言う<筋固縮>の種類の1つです。後、その肘関節を曲げ伸ばしする際のぎこちない動きに加えて、新聞紙をめくるスピードもかなり遅かったです。これも<動作緩慢>っていうパーキンソンニズムの症状だと考えられますね。できるだけ速く、同時に、両手首を左右に振る動作を三郎太さんにしてもらったら、その動きの緩慢さが更に分かると思います。それに加えて、もう1つ<動作緩慢>と同じグループの症状がありました。三郎太さんは<無表情>だったんです。新聞記事を読んでいる最中なら、わからないでもないんですが、僕が話しかけたときも全く表情を変えられずにおられました。まるで仮面のように…これは<仮面様顔貌>という<パーキンソンニズム>の症状でよくみられる現象です。それともう1つあげるとしたら、姿勢ですね。首を前方に突き出していて、今にも頭が畳の上に付きそうで怖かったです。これは<姿勢保持障害>と言って、簡単に言うと体のバランスが取れない現象のことです。これも<パーキンソンニズム>の症状だと考えられます。」

「はあ…」

 専門的な言葉が多いのと僕の喋るスピードがバチクソ速かったためであろう、これ以上ハの字にならない程のハの字眉で、花子さんはそう言いながら、困った表情をしていた。

 まあ、それだけで僕の多弁が止まることはないのだが。僕の多弁は電源を押しても切れず延々と人の声が発し続けられるラジオ機器のようなものなのだ。


「で、ですよ。この<パーキンソンニズム>の症状に加えて三郎太さんには、<幻視>という症状が認められます。ここが非常に重要で、このことから僕は三郎太さんが<レビー小体型認知症>だと判断しました。<レビー小体型認知症>は脳幹と同時に、大脳にもレビー小体がたまっていくんですね。ここが<パーキンソン病>と違うところなんです。そして、大脳でも特に後頭葉が比較的初期にレビー小体の魔の手に侵されていくことが多いんです。後頭葉は視覚を司っています。なので、<幻視>という症状が出る。<幻視>は人とか虫とか小動物とかが見えることが多いみたいですね」

「そういや、この間…昼間に、部屋に猫が来たって、お父さん小声だけど叫んでたわ。猫なんて部屋に入るはずないのに…」

「猫なら、かわいいもんですよ!ゴキブリとかカメムシとかが見えるって言ってる人も僕の経験だといましたからね。まあ、それは良いんです。それに加えて、三郎太さんには<REM睡眠行動障害>まで起きていると考えられます。これはレビー小体が悪さして自律神経を乱れさせて起きるんです。寝ている最中に手足をバタバタ動かして暴れたり、寝言を多く言ったり等が認められますね。この言動は夢の内容と一致するとも言われています。これが花子さんが最近悩んでいた三郎太さんの寝相の悪さ・寝言の多さの原因だと考えられますね」

「難しいことはよくわからないけど、原因があったのね~」

 花子さんは呑気そうにそう答えた。この人に病気に対する危機感とやらはないのだろうか。まあ、そもそも危機感がある人なら、もう既に三郎太さんを連れて病院に行っているはずであろう。彼女の口ぶりからして、まだ三郎太さんは病院には通ってはなさそうだ。危機感を持ってもらえるよう、忠告をしないと…


「この<レビー小体型認知症>なんですが、他の認知症と同じく進行する病なんです。すぐに、病院に行って、ちゃんとした診断や今後のことについて考えてみてください」

「今日は遅いし、明日行ってみるわ」

 花子さんの声には、まだ呑気さがうかがえた。この人は天然という奴なのかもしれない。しかし、さすがに僕の多弁によって彼女の心にも少しばかりは危機感が生み出されているだろう。そう思いたい。


「まあ、また何か困ったことがあったらここに連絡してください」

 僕はそう言って名刺を手渡した。名刺は渡したものの、不安が少しあったので、来週にでも、家を訪れ、様子をみにこようとも思ってもいた。不安、それは、花子さんに認知症の症状が出ている可能性があるということである…

 

 帰路につく。山田さんのお宅を訪ねてから、早3時間が経っていた。帰り際、花子さんがお礼と言って、図書券500円分を渡してくれた。 

 頼まれてやったことではないので、報酬はもらいたくなかったが、相手の好意を受け取らないのも失礼なので、一応もらっておいた。というか、図書券がまだ残っている家庭があるんだ…

 町が夕日の茜色で染まっている。綺麗な夕日を眺めて、のっそりのっそりと歩いていると、事務所が見えてきた。近づくと、門の前に誰か立っているのが見えた。不審者かと思ったが、それは煙草を吸って待ちぼうけしている様子の間口宏まぐち ひろしだった。

「ずっと待ってたんだよ。お前、今、暇?」

 間口の声は心なしか苛立っているようだった。

「暇ではあるが…ってか何か怒ってないか?」

「呑みに行こうぜ」

「無視かよ!」


 夕日が沈み始め、夜の帳が下り始めている薄明るい町に向かって、僕は笑顔で友と一緒に歩き始めた。


【参考文献】

医療情報科学研究所(2017)『病気が見える vol.7 脳・神経第2版』メディックメディア

ニコ・ニコルソン 佐藤眞一(2020)『マンガ 認知症』筑摩書房

山口博(2020)『まるごと図解 認知症 キャラクター分類でよくわかる』照林社

 

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