第153話 生贄回避の代償

 お、1年女子の100m走が終わったか。

 そうなると……記録付けのために待機していた生徒が解放される。


 つい先程見入ってしまった100m走と同じかそれ以上のスピードで俺の元に向かってくる女子が約一名。

 紛うことなき陽菜である。


 そのまま華麗に俺と町田さんの間に身体を捩じ込ませ、流れるように腕を絡ませて寄りかかってくる早業。いち早く俺のところに戻ろうとしてくれるのは嬉しいが、無駄なエネルギーを使いすぎだろ……と思ったが、もはや何も言うまい。


「おかえり。すごかったな」


「んっ!」


 この顔は褒めるなら言葉だけでなく態度と行動でも示せの顔ですね。

 まあ、何をしてほしいのかはちょうどいい位置に差し出された頭と、そこに俺の手を引っ張ろうとしている陽菜を見れば分かるだろう。


 よしよし。

 頑張ったな。

 頑張った分いっぱいよしよしするから……今にもシャーして引っ掻きそうな顔で町田さんに威嚇するのはやめような?


「ひ、陽菜ちゃん……すてい、すてい。いったん落ち着こ?」


「すこぶる落ち着いてます。どこからどう見ても冷静沈着ですよ」


「どこがっ!?」


 俺に撫でまわされながらご満悦な様子と、町田さんに向ける嫉妬で表情がころころ変わる。

 むしろどういう情緒なのか気になるが……このままでは本当に町田さんが生贄となり、俺のクラスのテントが事件現場になってしまいそうだ。


「玲くんは私のです! 柚月ちゃんにはあげませんからね!」


「いや……取らないから……」


「でも、近かったじゃないですか! 色目使ったんですか?」


「え、普通くらいじゃない? 確かに隣っちゃ隣だけど、そんなに近かったかな?」


「近いです。玲くんの半径5キロ以内はアウトなので敵です!」


「敵認定の範囲広すぎないかなっ!?」


 広いな。

 そのガバガバ理論が適応されるなら、この学校の女子生徒はみんな敵なんじゃなかろうか?

 一番近かった町田さんだけでなく、かなりたくさんの被害が出そうだ。


「さすがに半径5キロは冗談です。でも、近かったのは本当ですよ。遠目で見ていて羨ましかったです。羨ましすぎて競技を放棄するかちょっと悩みました」


「陽菜ちゃんはもっとベッタリじゃん。ほいほいされすぎて近いとかじゃなくゼロ距離だし」


「それは私にだけ許された特権です」


 そうだな。

 今まさにこう抱き着かれていて、近いとかのレベルじゃないのはよく分かる。


「玲くんもですよ? 柚月ちゃんが思わせぶりな態度を取っても、うっかりなびいて勘違いしちゃダメですからね」


「俺が町田さんに勘違い……? はっ」


「鼻で笑われたっ!?」


「陽菜、寝言は寝てから言うんだぞ?」


「じゃあお昼寝するので膝を貸してください」


「ちょっとだけだぞ」


「なんでこの流れで急に二人の世界に入れるのかな!? あと、桐島くんに女子として見られてないのは安心だけど、女子としてそれはそれで悔しい……複雑……」


 町田さんの情緒も中々に忙しいな。

 まあ、普通の男子ならこういったイベントで、美形の女の子が近くにいるだけでもドギマギし、物理的な距離が近い分心の距離が近くなって勘違いしたり……なんてこともあるのかもしれないが、あいにくと俺の心はもう陽菜のものだ。


 そのことに関しては自信を持って言える。

 だから、陽菜が思うようなことはないと断言しよう。


 だからね、お陽菜さんや。

 俺の膝に頭を乗せて転がったまま町田さんを威嚇するのはやめなさい。

 このくだりもういいだろ。


「桐島くん……陽菜ちゃんなんとかならない?」


「……貸し3だぞ」


「多くない?」


「じゃあ貸し5だ」


「増えたっ!?」


 要求の吊り上げが陽菜の専売特許だと思ったら大間違いだぞ。

 俺だって日々陽菜から技を学んでいるんだ。

 とまあ、それはさておき。


 町田さんがどうなろうと俺の知るところではないが、まあ……何気に俺達揃ってお世話になっているからなぁ。

 生贄にしても心は痛まないが、助けを求めるつぶらな瞳でずっと見つめられると陽菜が怖い。

 仕方ないから貸しを押し付け……げふんげふん、ちょっとフォローしてやるか。


「陽菜、町田さんには陽菜のレースの人達の解説をしてもらってたんだよ」


「私のレースですか?」


「ああ。自慢げに言うことじゃないが、俺って他のクラスの人のことよく知らないだろ? だから顔の広い町田さんにどんなやつがいるのか教えてもらってたんだよ」


 そう言いながら陽菜の顔を覗き込む。

 むすっとした顔はかわいいが、だからなんだと言わんばかりの目だな。

 そうだな。

 俺と町田さんの会話に正当性を持たせるためには……こんな筋書きでいってみるか。


「町田さんに教えてもらったよ。陽菜のレースの面子は運動部の人ばっかだったらしいな。そんな中でよく一位を取った。すごいぞ」


「えへ、えへへ……もっと撫でてぇ」


「陽菜がただ漠然とすごいんじゃなくて、ちゃんとすごいって町田さんが教えてくれたんだぞ? だからあんま威嚇してやるな」


 筋書きとは言うが、これも本心だ。

 陽菜がすごいのは知ってるし、頑張ってるのも一番近くで見てきたから、陽菜が一位を取ってもなにも不思議ではない。


 ただ、町田さんに聞いた情報があるのとないのとでは陽菜の一位に対しての感想が少し変わるだろう。

 競争相手について何も知らなかった場合は『陽菜が順当に勝った。すごい』で終わっていたのが、町田さんから情報を得たことで『運動部の奴らを抑えて一位をもぎ取った。えげつないすごい』になった。

 陽菜の叩き出した結果をちゃんと評価してあげられるという意味では、町田さんに色々教えてもらったのは大助かりだった。


「柚月ちゃん、ナイスです! 引き続きよろしくお願いします!」


「え……うん。それはいいけど……あれ? 私許された?」


「よかったな。貸し7だから後で返せよ」


「なんかまた増えてるんだけどっ!?」


 町田さん、今日も多めにわんわんしてるな。

 生贄回避おめでとう。この貸しは高くつくので、あとで絶対に返しに来るように。


「陽菜、そろそろどいてくれ」


「やっ」


「……足が痺れて走れなくなったらいいところ見せれないだろ」


「すみやかにどきました」


 聞き分けが良くて助かるな。

 陽菜のお昼寝タイムを中断するのは申し訳ないが、二年、三年女子の100m走が終わったら男子の100m走だ。

 俺もそろそろ準備しておきたいし、足が痺れるまで陽菜を膝に乗せておくわけにもいかない。


「お、桐島くんの100m走か~。陽菜ちゃん、どう見る?」


「玲くんが一位です」


「……そうなるよう頑張るけど期待はすんなよ。こちとら普通の帰宅部なんだぞ」


「陽菜ちゃんも帰宅部だけど一位だったじゃん。同じレースの相手次第だけどいけるよ~」


「そうですよ。頑張ってください」


 期待も応援もむず痒いが……俺も男だ。

 彼女にかっこいいところを見せたい男心があるから全力は尽くす。

 ……おっと、そっちは本音で、クラスのために点を取らないといけないのが建前だったか。

 ん……いや、合ってるか。本音はそっちだしな。


 さて、ジャージを脱いで待機に向かうが……このジャージは陽菜に預けておくか。


「ほら、やる。身体冷やすなよ」


「気が利きますね。追い剥ぎする手間が省けました」


「桐島くん、そういうのしれっとやるのすごいよね~」


「置いていったら勝手に着られるだろ。所在が分からなくなるくらいだったら最初から陽菜に着せといたほうがいい。町田さんが俺の傍で陽菜の戻りを待ってたのと同じだ」


 追い剥ぎする手間が省けたということは、追い剥ぎする予定があったということだ。

 畳んで置いておいて、戻ってきたら無くなっているよりは、最初からどこにあるのか分かっていた方が探す手間が省ける。


「だとしてもじゃない? 桐島くんのジャージ着込んだ途端幸せオーラ全開ですごいんだけど、これ大丈夫そ? 違法なドーピングしてない?」


「……ギリ合法だと思いたいな」


 ぶかぶかなジャージを着こんで、スーハ―してる陽菜を心配そうに見つめる町田さん。

 陽菜の心配三割、自分の心配七割といったところか。


 まあ、遅かれ早かれ陽菜はこうなっていただろうし、俺は今から競技だから、この状態の陽菜を相手するのは町田さんだ。

 なので問題はない。


「よし、じゃあ行ってくる。町田さんと仲良くしろよ」


「もちろんです! 玲くんのかっこいいところ期待してますね!」


「陽菜ちゃんと一緒に見てるから頑張ってね~」


 こうして陽菜と町田さんに激励をもらい、はひふ含めクラスの奴らからも声を掛けてもらって待機に向かう。

 クラスの得点事情など二の次で、彼女にかっこいいところを見せたいという不純な動機で繰り出しているのに、不思議とワクワクするな。


 陽菜が努力の成果を見せてくれたことだし……俺も負けないように頑張りますかー。

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