第149話 マッサージの集大成

 リビングのソファでくつろぎながら、ふと卓上カレンダーに目をやると、時間が経つのは早いもんだなと思う。

 明日の日付にはでかでかと赤丸がしてあり、体育祭という文字が書かれている。


「玲くん? 何黄昏ているんですか?」


「別に黄昏てない。もう体育祭なのかと思ってな」


 ソファのスペースは空いているというのに、さも当然といった様子で俺の足を抉じ開けて間に座り込んでくる陽菜。

 いつしかそれも俺の中では当然の行いになっており、自然と腕を回して、ギュッと身体を引き寄せると満足そうに脱力してくつろぎ始めた。


 そんなリラックス状態でカレンダーを二人で眺める。

 陽菜は人一倍体育祭を楽しみにしていたからなぁ。

 明日にかける想いも人一倍だろう。そのモチベーションが俺にいいところをいっぱい見せたいというのがなんともかわいらしいところだが、そのために色々頑張ってきたのを知っているから俺も陽菜の活躍が楽しみだ。


「もう明日ですね。こうしてみると意外と早いというか……もっと準備の時間があるかと思いましたがそうでもありませんでしたね」


「そういう意味だと新体力テストの結果が出てすぐに行動したのは英断だったな。体力とか運動面のことは一夜漬けとかでどうにかなるもんじゃないし」


「そうですね。玲くんも色々付き合ってくれてありがとうございます」


「いえいえ、こちらこそ」


 ついこの間まで体育祭の準備や競技の練習などに明け暮れていたと思っていたが、いつの間にか明日に体育祭当日を控えていて、あっという間だったなと感じている。


 朝は早起きして陽菜とランニング。ランニング終わりは陽菜にマッサージなどをして登校。通常授業があり、体育があればそこは体育祭の練習。休み時間には陽菜と、時折町田さんが襲撃に来るので適度に相手して、帰宅した後はは時間があればまたランニングと中々に運動を意識したスケジュールの一日を過ごしていた。


 こうやって思い返してみると……意外とハードスケジュールだったな。

 でも、意外ときついとは思わなかった。

 一生懸命頑張る子が隣にいると、自然と俺も頑張らないといけないと思えたし、ほどほどになんて言いながらも、俺も陽菜にかっこ悪いところは見せたくないと思ったので、授業での練習や陽菜とのランニングはとても身が入った。


「昨日まではこの時間帯にランニングしていたのでなんか変な感じがしますね」


「すっかり習慣になってたからな」


 体育祭に向けて身体を仕上げるために毎日朝や夕方に行われていたランニングや筋トレも今日はお休みだ。

 前日ということで、疲れを残さないようゆっくり身体を休めて、万全の状態で当日迎える算段だ。


 だが、これまで続けていた習慣を打ち切ったことで違和感も覚える。

 それは陽菜も感じていたのか、二人で思わずぷっと笑ってしまった。


「でも、継続って大事なんだなって改めて思ったよ。ランニングだっていつしか距離も伸びたし、タイムもよくなってたよな」


「そうですね。ちゃんと継続の成果が目に見える形で出ていたので私も嬉しかったです」


「俺はともかく陽菜は運動神経抜群だからな。運動することに身体が慣れればそりゃ成果が出るだろ」


「私から言わせれば玲くんの方が運動神経抜群ですけどね。帰宅部なのがもったいないです」


「そう言われてもな」


 陽菜もご存じの通り、高校入学当初の俺はダメダメな生活をしていたわけで、部活動に所属する余裕がなかったというのが一つ。

 こうしてまともに生活してる今なら……と思わなくないが、結局この生活も陽菜に支えられている部分が大きい。

 だから、陽菜がそう言ってくれるのはありがたいが、部活動に所属する気はない。


 まあ、それは建前であって、本音はこっちだが。


「部活に入って、陽菜と過ごす時間が減ったら嫌だからな」


「……! そうですね。私も玲くんとの時間が減るのは嫌なので、卒業まで帰宅部でお願いします」


「分かった、分かってるから! 感極まって頭突きするの止めて」


 嬉しさのあまりヘッドバットが始まってしまった。

 そんな悪い頭を押さえつつ、ついでに撫でまわして落ち着かせる。


「ところで、継続といえばなんですけど、運動後のマッサージも欠かさずやってくれてありがとうございました」


「ああ、あれね。どういたしまして」


「玲くん、日に日にマッサージが上手くなってる気がします。これも継続の成果ですか?」


「ま、それもあるな。あと、頑張る陽菜の力になりたいからちょっとだけ勉強した。疲労の取れるツボとか、マッサージの種類とかな」


「道理ですごいと思いました。私のためにそこまで……本当にありがとうございます」


 どうせ陽菜のごり押しでマッサージ要求からは逃れられないんだ。

 それなら少しでも効果のあるマッサージを堪能してもらいたいという気持ちが俺としてはあった。


 ネットでマッサージ特集の記事を読んだり、整体師の配信動画を見たりと付け焼刃程度のことしかできなかったが、少しでも陽菜の疲労を軽減できたのなら色々試した甲斐があるな。


「では、今日はその集大成をこの身で感じたいと思います。極楽三時間半コースでお願いします」


「え、今日走ってないじゃん。マッサージ要る?」


「要ります。毎日してもらってたのに、急にしてもらえないなんて……ルーティン的によくない気がします」


 言わんとしてることは分かるけど、最後の方のなんとか絞り出した感じがな……。

 これはあれですね。

 ルーティンとかそれっぽいこと言ってるけど、これはマッサージさせたいだけだな。


 あと、極楽三時間コースは勘弁してくれ。

 俺の握力が死ぬ。一応体育祭の種目に綱引きとかあるから、そこまで俺の手を酷使するのは止めていただきたい。


「仕方ないな。ちょっとだけだぞ」


「ちょっととは何時間ですか?」


「……0.25時間かな」


「せめてその四倍くらいにはなりませんか?」


「なりません」


「……残念です」


 お陽菜さんや、今日に限っては長々としたマッサージは必要ないですよね?

 てか、普通にほぐすところないだろ。

 まあ、適当に撫でて終わらせるか。


「ほら、やるぞー。どいてくれ」


「お構いなくー」


 いざマッサージをしようとするが、陽菜が俺に体重をかけて動いてくれない。

 何がお構いなくだ。

 マッサージされたいのかされたくないのかどっちなんだよ。


「無しってことでいいか?」


「いいわけありません」


「じゃあ、早く立て。このままじゃなにもできないぞ」


「そう言われましても……玲くんから発せられている謎の引力で吸い込まれているので立ち上がれません。とても困りました。助けてください」


 俺からそんな重力に逆らうようなエネルギーは発生してない。

 人をブラックホール扱いしないでいただこうか。


「冗談はほどほどにな。三秒で準備しないとやってやんないぞ?」


「準備できました!」


 これまでの引力云々がなんだったのかと思うほど早い起立。流れるように俺の腕を引いて立ち上がらせ、一瞬でソファに転がり込む早業。

 本当にこの子は……かわいくて仕方ないな。


「じゃあマッサージするけど……あのー、どうして仰向けに転がってるんですかお陽菜さんや?」


「お構いなく」


「どこをマッサージさせるつもりなんですかね?」


「それは……もうっ、言わせないでくださいよ」


 そんな顔を赤らめてもじもじされても困るんですが。

 はようつ伏せになりなさい。


「……では、いったん胸とか揉んでおきます?」


「柔らかそうだが? 凝りとは無縁そうなんだが?」


「……もしかしたら先っぽの方が凝ってるかもしれませんよ?」


「何、誘ってんのか? そっちがそのつもりなら乗ってやってもいいけど……明日はまともに動けると思うなよ? 腰砕け三時間半コースがお望みか?」


「……う、ぬぬぬっ、とても魅力的なコースですが、今されるのは困りますね。せっかく明日のために準備してきたのに、支障が出るのは望むところではありません……っ」


 とてつもない葛藤の末、なんとかうつ伏せになってくれたか。

 これでお構いなくされるようだったら容赦なくやっていたところだった。


 大人しく退いてくれたのでさっそく足から揉んでいくが……うん、凝ってる感じは一切しないな。

 肩も背中も腰もそんなだし、まじで押し撫でてるだけだなこれ。


「なあ、凝ってないんだが?」


「気のせいです」


「もう終わっていいか?」


「ダメです。延長お願いします」


 まあ、ここまでくると陽菜も自覚しているだろうな。

 その上で、ただただ俺に触られたいだけだ。


 もはやマッサージと言うのもおこがましいただの撫で回しだが、どうしてか陽菜は本当に気持ちよさそうにしてくれるんだよなぁ……。

 そんな風にされると止めようにも止められない。

 でもまあ……これもルーティンらしいし仕方ないか。

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