第138話 ねっ、ちゅーしよ
新体力テスト。
握力、上体起こし、長座体前屈、反復横跳び、50m走、立ち幅跳び、ハンドボール投げ、そして持久走orシャトルランの項目を測る。
記録によって1点から10点までの評価がつくため、テストなどと同様に勝負事には持ってこいな行事だ。
俺としては可もなく不可もなく、それなりの点数を取れればと思っていたが、俺の彼女さんはそれを見逃してくれるほど甘くはなかった。
まぁ、人によっては張り切るイベントか。
運動が得意な人はそりゃそうだし、部活動に所属している人はこの記録が奮わないと指導者に厳しく言われるなんてことも聞いたことがある。
陽菜は俺の事を運動もできると評価してくれている。
俺自身、それなりに動ける方だとは思うが、それでも帰宅部なりにという前提がつく。
だが……そんなことを言い訳にしても陽菜が強引に成り立たせた勝負は無くならない。
(陽菜……運動神経も抜群だからなぁ……)
男子と女子では点の付き方が違う。
陽菜ならばほぼ満点に近い点数を叩き出すだろうという謎の確信があるが……とりあえず食い下がれるようにやるだけやってみようと思う。
◆
なんて決意を固めたものの、いざ体操服に袖を通すと気分が落ち込んできたな。
この学校の新体力テストは基本的に通しで行なわれる。
持久走とシャトルランはどちらかでいいので、測る種目は全部で8つ。
体育の授業一つだけだとまず終わらないため、この時期になると時間割を組み替えて、一限+二限、三限+四限のように繋げて行う。
普段通りの時間割で日を跨いで測定すると、どうしても体操着の忘れ物などでテストをやれない生徒が出てきて、後日放課後などに割に合わない監督を務めなければならない体育教師の負担をなるべく減らすための大人な事情である。
こういうのはサクッと終わらせるに限るので、俺としても一日で終えられるのはありがたい。
着替え終えて体育館に向かう。
一年の教室を横切っていると当然陽菜のクラスの前も通るわけで――案の定待ち構えていた彼女に捕まった。
「玲くんはいきなり体育ですか」
「おう。そっちは俺達の後だろ?」
「はい。確かにこうやって立て続けに授業が組まれていると効率的ですよね」
体育館と運動場には新体力テストの測定に必要な器具が用意されている。
こうして体育を連続して組むことによって、そういった器具の準備や片付けの手間もなるべく少なくなるようにしているとか。
「俺達はまだ朝一発目だからアレだが、陽菜のクラスの体育は陽も昇ってそうだし暑そうだな」
「そうですね。もう少し涼しければ、玲くんのジャージを強奪して彼シャツならぬ彼ジャージで栄養補給するつもりだったのですが……」
「強奪って言った?」
「……言ってません。ですが、玲くんのぶかぶかなジャージに包まれれば、私の運動能力は跳ね上がるはずです」
「さいで」
「そうです。ちなみに一応確認ですが、ジャージは持ってきてますか?」
「持ってきてると思うか?」
「……残念ながら」
うーん。
ジャージひとつで運動能力が跳ね上がるとは思えないが、この子にとっては合法ドーピング間違いなしだしなぁ。
残念だがこれだけ気温が上がる予報を見て、ジャージの準備はしていない。
陽菜にドーピングを施さずに済んだのは僥倖である。
「ジャージがダメなら何を奪えばいいんでしょうか……? 手始めに玲くんの制服を回収すればいいですか?」
「よくない」
追い剥ぎかな?
どうしてそこまで俺の装備品を強奪することに余念がないのだろうか……。
それに、制服を強奪されたら体操服から着替えられなくなってしまう。
この後の授業、汗をかいた体操服姿で受ける羽目になるのは御免だ。
「まぁ、今回は諦めます。涼しくなったら覚悟しておいてください」
「……おう」
「ところで玲くんは何点くらいを目標にするんですか?」
「俺か? まぁ、無難にオール7点の56点くらいかな」
「玲くんならもっと取れますって。とりあえず持久走は10点です」
陽菜さん……そんなに俺の事をスタミナお化けだと思っているのか……。
その件についてはまたゆっくり家で話すとして……なぜか勝手に勝負が成り立ってしまっているのでそれなりには頑張りたい。
でもなぁ……。
「陽菜、どうせ満点取れるんだろ?」
「そうですね。中学の頃から激しく衰えてなければいけると思います」
「……ま、知ってたよ」
「やってみないと分かりませんので。私は玲くんにいっぱい褒めてもらうために全力を尽くすだけです」
口では謙虚なことを言ってはいるが、顔には自信が満ち溢れている。
いっぱい甘やかす心構えはしておいた方がよさそうだなこりゃ。
「悪い、そろそろ行くな」
「引き止めてしまってすみません。玲くんがすごいってところ見せてくださいね」
「程々に頑張るわ。陽菜も怪我とか熱中症とか気を付けろよ」
「えっ……今なんて言いましたっ!?」
「え……怪我とか熱中症とか気を付けろよ……?」
「ねっ、ちゅーしよって言いましたっ!? 言いましたね? はい、言いました!」
言ってません。
熱中症をゆっくり言うとねっ、ちゅーしよに聞こえるというアレなのは分かるが、そこまでゆっくり言ってないはずなのに目敏いな、おい……。
あ、こら。
ここ廊下。周りに人いるからそんなキス待ち顔で迫ってこないの。
朝いっぱいしたでしょーが。
「まだですか?」
「しません」
「一回……いえ、五回だけでいいですから」
「増やすな」
「……玲くん、わがままはいけませんよ?」
「その言葉、そっくりそのまま返してもいいか?」
「お構いなくです」
なんでだよ。
本日何度目になるか分からないキスは、家に帰るまでお預けだから諦めてくれ……。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます