第137話 朝の攻防

 最愛の彼女の声で迎える朝。

 最愛の彼女の手作り朝ごはんの匂いで満たされているリビング。


 いつも通りの幸せな朝。

 しかし、身支度していてふとこれから学校で行われることを考えてしまい少し憂鬱になる。

 おっと、想像してため息を吐いてしまった。


「玲くん、元気がありませんね? 何か嫌なことでもありました?」


「今日の時間割が憂鬱でつい……な」


「そうですか。とりあえずちゅーでもしますか?」


「……する」


 何がとりあえずか分からんが、そのキスはありがたく頂戴しておく。

 柔らかくて幸せな感触が愛おしい……が、ぬるりと舌を滑り込ませてこようとするのは見過ごせない。

 事前に察知してブロックすると、陽菜は頬を膨らませて俺の胸をポカポカ叩いてくる。


「どうして防御するんですか? そういうのよくないと思います」


「あのなぁ……これから学校なんだぞ? 防御しなかったら遅刻しちゃうだろ……」


「お構いなくです」


「構えよ」


「……8時間くらい遅刻してもバレませんよ。さ、寝室に……あぅ」


「冗談はほどほどにな」


 おもむろにブラウスのボタンをはずしながら、寝室に誘おうとする小悪魔に軽いチョップを落とす。

 開けた胸元から黒い下着が顔を覗かせていて目のやり場に困ってしまうのでボタンを閉めようとするが、陽菜さんの謎の抵抗が俺を襲う。


「なんで閉めようとするんですか? ここはがばっと開くところですよ?」


「いやいや、違うから。こら、暴れないの」


 胸元のボタンを閉めようとしているということは、必然的に陽菜の胸元に手をやっている訳で……こうも抵抗されると当たってしまうというかなんというか……とにかく柔らかい感触が伝わってくる。

 途中からは俺の手に胸を押し当てる方向にシフトしたのか、身体ごとぐいぐい寄こしてくるのがまたなんとも言えない。


 そんな熾烈な攻防の末になんとかボタンを締め直すことができて一息ついていると、今度はスカートに手をかけ始めたので慌てて両手を掴み取る。

 相変わらず細い腕だ。だが、その細い腕からは想像もつかない力で抵抗している。

 ふと目があった。その瞳からは何としても脱ぐという強い意志を感じる。


 俺はそれを防ぐために、ゆっくりと手を腰から引き離して頭の上へと持っていく。

 バンザイさせて押さえつけているみたいで非常によろしくないな。できれば今すぐ離したいところだが、そうさせて貰えないのが辛いところだ。


「そんなに強く押さえつけて……やっとその気になりました?」


「なってない」


「いったん寝室で転がるというのはどうでしょうか?」


「転がらない」


「SMプレイでもなんでも受け入れますよ?」


「……縛って置いていこうかな」


「そういう放置プレイはよくないと思います」


 どうしろと言うんだ。

 とりあえず寝室に連れ込もうとするのはやめていただきたい。


「……むぅ、仕方ありませんね。今日は体育もあることですし、体力消耗は私としては避けたいところなのでいったん諦めてあげます。それで、いったい何が憂鬱なのですか?」


 陽菜の腕から抵抗の力が消えた。

 なぜ上から目線で妥協してあげた側なのか気になるところだが、とりあえず命拾いしたか……。

 解放した陽菜が俺の胸に飛び込んでくるが、それ以上もそれ以下でもない。単純に抱きついているだけと判断して、俺は彼女の問いかけに答える。


「その体育が問題なんだよ。体力テストだろ?」


「そういえば玲くんのクラスもありましたね。玲くん、体育嫌なんですか?」


「暑いから疲れそうだなと思ってな」


「確かに今日も気温は上がりそうですね」


 何を隠そう。俺のため息の理由は、身支度の際に用意していた体操着セットが目に入ったからだ。

 俺達の高校ではこの時期になると体力テストを行う。

 時期としては夏が終わって涼しくなり始めて、体育祭を控えたこのタイミングということらしい。

 確かにこのタイミングで記録を取っておけば、体育祭の参加種目を決める際に役に立つとは思うが……9月半ば、涼しくなっている想定だとは思うがまだ残暑が……!

 切実に残暑が厳しい……!


「陽菜の方も体力テストだろ? なんか気分が落ち込んだりしないのか?」


「私ですか? いい記録を出して、玲くんにいっぱい褒めて貰うことしか考えてません」


「あ、そう」


 その割には寝室に連れ込んでとても体力消耗が激しい何かをしようとしていたような気もするが……それが退いてくれた理由ならまぁいいだろう。

 陽菜は……アレだな。

 運動神経も抜群にいいし、きっとトップクラス……それこそ運動部にも負けない成績を引っ提げて来るに違いない。


「あ、せっかくなのでまた勝負しますか? 記録の合計点数が高い方が勝ちってことでどうでしょう?」


「……一応聞いておくが、拒否した場合はどうなる?」


「どうもこうもありません。快く受諾したことになります」


「……それ、聞いた意味あるか?」


 そう聞いて俺の胸元で鼻をグリグリしている陽菜を見つめるとふいっと顔を逸らされた。

 まぁ、アレだ。俺の返答などお構いなくというやつだ。


「玲くんは自信ないんですか? 身体能力は高いので、頑張ればいい評価狙えると思いますよ?」


「……とりあえず長距離走は自信ないぞ。特に今日みたいな感じだと暑くてすぐにへばりそうだ」


「え……何かの冗談ですか?」


「至って真面目だが……俺、何か変なこと言ったか?」


「玲くん、体力お化けじゃないですか。あの無尽蔵のスタミナを持っておいて何を言っているんですか?」


「……待て、何を想像してる?」


「それはもちろん夜のセッ……」


「それ以上言うな」


 とんでもないことを口走ろうとした陽菜の口を塞いで強制的に黙らせる。

 むぐむぐ言ってもがく陽菜が俺から離れるとジトーっと不満そうに見つめてくる。


「玲くん、そういう時は唇で塞いでくれた方が嬉しいです。分かったらもう一度やり直してください。はい、ちゅー」


 まさかの黙らせ方講座が始まってしまったんだが。

 目を閉じて唇を尖らせて待つ陽菜に一瞬たじろいでしまったが、結局キスの魔力には抗えずに言う通りにしてしまう。


「よくできました。ですが、まだまだ良くしていけるはずなので、そうですね……あと100セットほどやってから登校しましょうか」


「……勘弁してくれ」


 これはこれで幸せなんだろうけど、なんだがドっと疲れてしまった。

 今日はもう学校を休みたい気分だが……そうしたらもれなく誰かさんも一緒に休みそうだしな。

 憂鬱だが仕方ない。

 だから……な。キス待ち顔で迫るのはもうやめてくれ……!


 ◆


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