第136話 Yes or Yes
陽菜の語弊がありすぎた惚気によって思わぬ被害を受けた町田さん。
恥ずかしさに悶えて座り込んで動かなくなってしまった彼女の傍にコーヒーを二本お供えしてお祈りをする。
祈りの内容?
そんなのこれからも陽菜をよろしく頼む以外ありえない。
『恥ずか死ぬ……』と何度も繰り返してぼやく彼女の心境は計り知れない。
陽菜の説明が色々よくなかったことは確かだが、それにしても……あまりに飛躍しすぎている結論。
まあ、実際に聞いててどう感じるかは町田さん次第なので一概にどうとかは言えないのだが……カラオケデートで歌いもせずに盛っていると思われていたのは心外である。
まあ、町田さんも意外とむっつりだったってことだ。
それが思わぬ形で露呈してしまったからこうも恥ずかしさで苛まれているのだろうが……元々は陽菜のことを思って俺に突撃してくれたわけなのだ。その友達思いの彼女に免じて、このことは俺だけの秘密に……なんてことはせずにしっかり陽菜に共有しておこうと思う。
◇
「……ってことがあってだな」
「なるほど。柚月ちゃんはむっつり。かしこまりました」
「言っとくけど陽菜も悪いからな? 語弊を生む言い方は控えてくれ」
「……善処はします」
無事授業を終えて放課後。
俺の喉が死んでいることもあり、特に寄り道もせずに帰宅した。
本当なら陽菜を叱りたいところではあるが、町田さんの妄想力が豊かだったこともある程度は否定できない。
うっとりとした表情で、色々と主語を抜かして行われた惚気話。情事に及んでいるとも捉えられなくはないだろうが、一応俺は節度を持つ努力はしているつもりだ。
どんどん節操がなくなる陽菜のごり押しにいつ押し込まれるか分かったもんじゃないけど、さすがにカラオケではなぁ……。個室とはいえ監視カメラもあるだろうし、公序良俗に反する行為はよくない。
よくないんだぞ、陽菜さん?
そこんとこ分かってくれ。
あ、こら。ふいって顔を逸らさないの。
「というか、なんであんなに語弊を生めるんだよ? 逆にすごいだろ」
「仕方ないじゃないですか。私、玲くんの声が大好きなんです。普段の声もそうですけど、歌声になるとまたちょっと違って本当にすごくて……! あ、今の濁声も好きです。もっと喋ってください」
「俺の喉を潰す気か?」
「今日は喉に優しい料理にしますから安心してください」
「それは助かるが」
声が好きと言われて悪い気はしないが、絶賛喉がお亡くなりになっている真っ最中にもっと喋れとは中々に鬼畜だなおい。
俺としてはこのイガイガした不快感とは早くおさらばしたい。
本当は会話も最低限に収めたいところだが……あんまり控えすぎると寂しくなった陽菜がぷんすかして、なだめるために余計な手間が生まれそうだ。
「陽菜、来てくれ」
「おや、玲くんから催促してくれるなんて珍しいですね。どうぞ、いっぱい甘やかしてください」
そのための措置としては……やはりいつも通り。
後ろから抱き寄せて、借りてきた猫のように大人しくさせるのが一番いい。
この距離感なら声を張る必要もない。その気になれば啄めるところに耳があるんだ。
あとは……こうしているのは非常に落ち着く。精神衛生上とても良い。
そうしてしばしお互いに補給タイムを満喫。
ある程度満足したところで陽菜が思い出したかのように切り出してきた。
「そういえば今度枕を買おうと思ってるんですよ」
「枕か。今の枕は寝心地悪かったか?」
「いえ、そういうわけではありませんし、玲くんの腕枕も至高です。睡眠の質とはあまり関係のない……いわばクッションみたいなものなのですが」
そう言って陽菜はスマホを操作して、俺にも見えるように画面を出す。
そこにはピンク色のハートマークがあり、とある英字のデザインが非常に特徴的な枕が映し出されていた。
これってアレだよな?
夜のお誘いに対する返事を示す的な……。
いわゆるイエスorノー枕というやつか。
「必要か?」
「要りますよ。これがあれば襲ってほしい時がいつでも分かります。ちなみにこれは裏面もYesです」
「……必要か?」
「はい」
「……そうか」
両面Yesの枕で意思表示は無理があるんじゃないか?
確かに意思確認ができるのはありがたいが、それだと意味を為してないし、どちらかというと陽菜は意志を確認される側じゃなくて、俺の意思を確認した上で無視する側だからなー。
必要性を感じるかと言われればもちろん否だが……まあ、欲しいなら好きにすればいいと思う。
「ところでこの枕の件で思い出しましたが、得点の勝負は結局私の勝ちでしたね」
「……忘れておけよ」
「嫌ですよ。大事なものが賭けられた勝負なんですから」
週に何回致すかを掛けた負けられない戦いだったが、俺の奮闘は虚しく、敗れ去ってしまった。
陽菜は最初の一曲しか歌ってないのに……やはり合法ドーピングの力は偉大なのだと思い知らされたな。
まあ、陽菜は俺のリサイタルで大層盛り上がってくれていて、その日のうちにそれは話に上がらなかったからすっかり忘れてくれたものだと思い黙っていたが、この拍子で思い出してしまうとは……。
性の話題だったから致し方なしか……。
「玲くんは週に何回えっちしたいですか? 二桁以上の自然数から受け付けます」
「……なんて?」
「聞こえませんでしたか? 三桁以上の自然数から受けつけます」
「なんか条件が変わってないか?」
「お構いなくです」
「構うが? そんなにできるわけないだろ……」
「玲くんの無尽蔵のスタミナなら不可能ではないと思います。ね、できますよね?」
「無理」
この子はいったい俺のことをなんだと思っているのか……。
というか、夏休みが終わって学校も始まってるんだから、そろそろ落ち着いてくれ……。
そんなんだからカラオケでしてると思われるんじゃないのか?
「まあ、無理に回数を決める必要もありませんか。私は玲くんが思わず襲ってしまいたくなるように頑張って誘惑するだけなので……」
「努力の方向性を変えてくれたりとかは……?」
「はい、もちろんお構いなくです」
「だよなぁ」
「今夜も頑張るので楽しみにしててください」
弾んだ声色の宣言が愛おしいと同時に怖くもある。
Yesだけの選択肢を示して、俺がその選択肢を選ぶまでごり押ししてくる陽菜が容易に想像できるな。
やっぱりあの枕……必要ないのでは?
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