第103話 マナー遵守

 理解が及んだ瞬間、頭が真っ白になった。

 目の前でにっこり微笑む陽菜と、バスチェアの上で静かに鎮座しているバスタオルを交互に眺めて、想定を超えた会心の一撃に動揺を隠せずに喉の奥を声にならない声で震わせている。


 しかし、そんなことなど気にも留めずにリラックスし、無防備にも伸びをして水面から胸の谷間をちらつかせる陽菜。

 宣言通り見られてもお構いなくということなのか、優雅にくつろいでいらっしゃるご様子である。


「……それは話と違うのでは?」


「何がですか?」


「バスタオルで隠すって言うから了承したつもりなんだが」


「さっきまで隠していたじゃないですか。それに、確かにそう言いましたが、入浴が終わるまでずっとバスタオル着用を確約した覚えはありませんよ」


「……屁理屈だ」


「マナーですよ。湯船にタオルなどをつけてはいけないというマナーを遵守しているだけです」


「それ銭湯とかのマナーだろ。家で入る風呂で気にすることか……?」


 確かに公共の施設である銭湯では、湯を汚さないためにタオルをつけるのが禁止されているところもあるがここは家だ。

 タオル着用は禁止どころか推奨、もっと言えば最低条件みたいなところがあったのだが……確かに会話を思い返してみると、着用を約束はしたが、ずっと着用とは言っていなかったような気がする。

 だとしても、こうも簡単に裸になれるとは……この子は俺をどこまで意識させれば気が済むのだろうか。


「玲くんの紳士的な態度は大変好ましいですが、目を瞑るとはいささか警戒が薄いのではありませんか?」


「……返す言葉もないな」


「ちゃんと目を開けていれば阻止できたかもしれませんよ?」


 そんなふうに言うが、実質俺に選択肢はなかったようなものだ。

 まさかバスタオルをはだけて身体を洗っているところをまじまじと眺めるわけにもいかなかっただろうし、視界を閉ざすことが一番の対策だと思っていたが……俺が見ていないことを逆手にとってこんな大胆な手を打ってくるとは……。


「ところで……いつまで目を逸らしているつもりですか?」


「いや……直視できないって」


「せっかく対面にいるのですから、もっと顔を見せてください」


 あまりにも無防備すぎる陽菜のあられもない姿がすぐそこにある。

 濁り湯のおかげで透けてはいないが、おくつろぎの陽菜が楽しそうにしているおかげで、いろいろと際どい。際どすぎる。


 赤みを帯びた肌が色っぽい。少しでも身じろぎすると水面が揺れるため、隠れているから安心というわけにもいかないはずなのに、お構いなく状態の陽菜は平気で身体を揺らして湯船に波を作り出すから気が気でない。


 そんな状態でこっちを見ろと催促されても、無理なものは無理である。


「むぅ、なら無理やりこっちに向けるしかありませんね」


「……っ!? バカ、立とうとするなっ!」


「きゃっ!?」


 痺れを切らした陽菜が俺の顔に両手を伸ばし……立ちあがろうとした。

 湯船から身体を引き上げることになんの躊躇もない。

 だが、それを黙って見過ごすわけにもいかず、咄嗟に出た手が陽菜の両肩を押さえていた。


(細くて柔らかい……)


 こうして素肌に触れて、女の子の細さや柔らかさが手に伝わり、さらなる緊張が走る。

 そして、鼻先が触れそうなくらいに近づいた顔。長いまつ毛、紅潮した頬、整ったご尊顔につい目を奪われていると……不意に軽く触れるキスをされて我に返った。


「強引なのも嫌いじゃないですよ。こうして押さえつけられるのも、征服されているみたいでとってもドキドキします」


「……あ、悪い。痛くなかったか?」


「平気です。むしろもっと押し倒してください」


 慌てていて咄嗟だったからか、思ったより力が籠っていたみたいだ。

 女の子の細い身体なのだから、もっと丁重に扱わなければいけないというのに、思わず力んでしまった。

 それに対して申し訳なく思い反省していると、顔を赤らめながらもっととせがまれる。


 それに怯んで、陽菜の肩に置いた手を離して距離を取ろうとするが、それよりも陽菜が身体を寄せてくる方が早かった。

 とにかく柔らかい。何がとは言わないが当たっているそれが柔らかくて、またフリーズしていると唇を塞がれて、浴槽の端に追いやられて……そこからはもう陽菜の独壇場だった。


「玲くん、好きです」


「……俺もだよ」


「嬉しいです。もっと強く抱きしめてください」


「……ああ」


 すべすべな背中に腕を回して、ぎゅっとこちらに引き寄せる。

 濁り湯で見えていなくても、触れ合っていることで感じ取れるのが余計に背徳的で心臓が跳ねる。


「玲くん、すっごくドキドキしてます」


「……こんな魅力的な彼女に迫られて、ドキドキしない方がどうかしてるだろ」


「それもそうですね。私も魅力的な彼氏さんのおかげですごくドキドキしてますよ。バクバクいってるの、分かりますか?」


「……ああ」


 心臓の鼓動を伝えるために押し付けられた胸に、ただでさえうるさい俺の鼓動がさらに早くなる。

 でも、それと同じくらい、陽菜の鼓動も早くなっている。ドキドキしているのは俺だけじゃないんだ。それがどうしようもなく愛おしい。


「幸せです」


「……そうだな」


「もういっかいキスしていいですか?」


「……一回で足りるのか?」


「足りません。満足するまで何度でもしてください」


「はいはい、仰せのままに」


 身体が熱い。興奮で息も荒い。

 そりゃそうだ。裸で抱き合っているのだから当然だ。


 でもそれだけじゃなくて……なんだか頭もクラクラする。汗も止まらない。

 おかげさまでもうのぼせてしまいそうだ。

 でも、もう少しこのまま……幸せな時間に身を委ねていたい。

 そう思いながら、唇を何度も重ねて、全身で陽菜を感じて、幸せを噛み締めていた。

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