第68話 名指しのおねだり
カリカリとシャーペンを走らせる音に混じるコツコツを一定のリズムでテーブルを叩く音。
対面に座るのは昨日から同棲を始めることになった三上陽菜。
現在の彼女の様子を言い表すなら……やや不機嫌。むすっとした様子で頬を膨らませている。
そんな彼女の頬にシャーペンのノックする側を押し付けると、ぷすぅを空気の抜けていくかわいらしい音が聞こえた。
俺の伸ばした腕と口元のシャーペンを驚いた様子で交互に見つめている三上さんが目をぱちぱちとさせていた。
「ちょっと休憩するか?」
今俺達は夏休みの宿題に取り組んでいる。
テーブルに課題を広げて各々取り組み始めてからおよそ二時間が経過した頃だ。
初めのうちはほどよい集中力を保って課題を進めることができていたが、一時間を過ぎたあたりから三上さんの集中力が切れ始め、シャーペンはプリントの上を滑るのではなく、テーブルを叩いてリズムを奏でるドラムスティックになり、今に至る。
俺としてはこのまま机を叩く三上さんを眺めながら課題に取り組んでもいいのだが、この集中できておらず何も進んでいない時間は無だ。
まあ、普段の授業を約一時間に一回休み時間を挟んで集中力を持続させているのだから、そろそろ休憩を挟んでもいいだろう。
「チョコ食うか?」
「あー」
コーヒーを二人分用意して、冷蔵庫を漁ると個包装のチョコがあった。
いくつか取って三上さんにも差し出すと、手で受け取ろうとせずに口を開けて待っていた。
指ごと齧られないように慎重に食べさせて、急いで指を引っ込める。
絶対狙ってただろ。三上さんの指ちゅぱ攻撃はもう知っているからな。
「んっ」
不満そうにチョコをもぐもぐして飲み込んだ後にまだ口を開けている。
おかわりなのか、それとも俺の指をおやつだと思っているのか。
もう一つ包装を開いて、チョコを指でつまんで近付けると、釣り針を目の前に垂らされた魚のように食いついてきた。
随分と大きな魚が釣れたが……こら、指を齧るな。
結局三上さんが満足いくまで指がしゃぶられてしまった。
このふやふやの指をシャーペンを持たなければいけないと思うと少し憂鬱だ。
まあ、休憩してれば少しは戻るか。
コーヒーを飲みながら乾燥を待っていると、三上さんが険しい表情で尋ねてきた。
「桐島さん、夏休みってなんだと思いますか?」
「なにそれ、難しい質問?」
「単純な疑問です。夏休みという名前の長期休暇のはずなのに、こんなに宿題が出されるのはおかしいです。休ませる気がありません。詐欺です」
「……もしかしてそれで怒ってたのか?」
「怒ってません。ただ、やってもやっても減らない宿題を見ていると、なんとも言えない気持ちになりました」
まあ、その気持ちはわかる。
休みなんだから純粋な休みだけを寄こせと思っている生徒も多いだろうな。
このクソ暑い中大量の宿題と向き合っていると気は滅入る。
だが、やってもやっても減らないというのは違うだろう。三上さんは基本ハイスペックだ。勉強面においても特にこれといった苦手はないだろうし、休憩前の集中できていた一時間でもかなりいいペースで進められていたと思う。
夏休みは約40日。
それだけの宿題をすべて積み上げると、ちょっとやったくらいでは減ったように見えないかもしれないが、人並み以上のペースで減らせてはいるんだ。なんなら二時間みっちり集中した俺より、一時間ドラマーになってた三上さんの方が進んでいるような気さえする。
「はぁ、やる気がでませんね。頑張ったらご褒美をくれる桐島さんがどこかに落ちてたりしないでしょうか?」
「何? おねだり?」
「おねだりだなんてとんでもない。どこかにいないかなーって探しているだけです」
「なんか俺のこと見てない?」
「気のせいです。お構いなく」
名指しでじっと見つめてくるならその言い訳は苦しくないか?
しかし……ご褒美か。三上さんを動かすにはもっとも効率的な手段だとは思うが、あんまり甘やかしすぎるのも考え物なんだよな。三上さんの甘えは際限がない。
でも……俺はこのつぶらな瞳に抗えない。ご褒美を寄こすまでねだり続けるという強い意志が見え隠れしている。
「何がいいんだ?」
「では……膝枕をお願いします」
「別にいいけど……男の膝枕に需要あるか?」
「ありますよ。延長システムがあったらとりあえず初手五諭吉課金しています」
「課金すな。じゃあ、それでいいから宿題頑張れよな」
「サービスでナデナデも付きますよね?」
「分かったって。ほら、休憩終わり。頑張ろうな」
ご褒美の内容も決まったところで、切り替えて頑張ろう。
夏休み序盤で宿題を終わらせることができれば、その先には天国が待っている。
あ、こら。まだ休憩したい気持ちは分からんでもないけど、俺の袖引っ張ってソファに連れていこうとしないの。
「んー、あともうちょっと」
「三上さんのもうちょっとは長いから嫌だ」
「エネルギー不足です。キリシマニウムを充電しないと頭が働きません」
「そんな未知の成分は知らん」
「んー、勝手に補充してきますっ」
俺をソファに連れ込めないと理解した三上さんは諦めたのかリビングを飛び出してどこかに行ってしまった。
遠くの方でボスンと激しめの音が聞こえたような気がしたが……いったい何をしているのだろうか?
様子を見に行ったら……俺の部屋で三上さんがベッドに突っ伏している。
まあ、三上さんがそこにいることにはもう何も言わないけど、なんかこう……恥ずかしいような気もする。
ただそれよりも、無心で深呼吸している姿が普通に怖い。もしかして俺は見てはいけない現場を覗いてしまっているのか……?
「……ふぅ、落ち着きました」
「本当か? 心なしか目がガンギマリしているような気がするんだが……?」
「合法なので問題ありません。次は直接摂取でお願いします」
「……考えておくよ」
ベッドに転がるだけで、ここまで人を恐怖させることができるとは……むしろ才能だと思う。
なんかすごい元気になった三上さんだが……中毒症状とか出ないかちょっと心配になった。
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