第64話 甘酸っぱい
放課後。
帰宅して着替えることもせずにソファに身体を投げ出す。
普通の一日だったがなんかどっと疲れた。主に精神的に。
フカフカなソファに沈んでいると睡魔が押し寄せてくる。このふわふわしてる感じがなんとも気持ちいい。
だが、そんな憩いの時間に乱入する影が目の前に現れた。もはや俺の家にいつなんどきでも当たり前のようにいる三上さんが俺を背もたれにして座ってくる。
そういえば今日はまだやってなかったか、これ。いつもなら遅くとも昼休みにはこれをやっているので、こんな夕方に今日初のあすなろをするのは中々変な感じだ。
でも……今はなぁ。
「ちょっと……汗臭いから今は勘弁してほしいんだけど」
「私がですか?」
「俺がだよ。三上さんは相変わらずいい匂いだから安心してくれ」
この文脈でまさか三上さんに向けて言っているなんてことはない。三上さん、普通にいい匂いだし。
今日も暑かったし、それなりに汗もかいてしまったので、あまり密着されるのは困るんだが。
あ、こら。汗臭いって言ってるんだからすんすんしないの。
「桐島さんもいい匂いですよ。いい匂いすぎて今すぐそのワイシャツを強奪したいくらいです。早く脱いでください」
「追い剥ぎかよ。おい、まじで脱がそうとするな」
スっと立ち上がった三上さんが身を翻して俺のシャツのボタンを外そうとし始めた。
「んー、私のです」
「いや、俺のだから」
「私のったら私のです」
ありえない速度ですべてのボタンを外され、シャツを引っ張る三上さん。
私の、私のと壊れたラジオのように所有権を主張してくるので、仕方なく脱いで渡す。
どのみちシャワーをして着替えようと思っていたところだ。強奪されてもそれほど支障はない。
「じゃあ、サッとシャワーして着替えてくる」
「では私もシャワーを」
「しれっとついてこようとすんな」
「偶然行先が同じみたいですね」
「作為的じゃねーか」
たとえ偶然だったとしても、女の子なんだから男のシャワーに乱入しようとするのはやめなさい。
まったく……身の危険を感じる。こういうのって普通女の子側が覗かないでくださいねみたいな釘を刺すのではなかろうか?
三上さんは……釘を刺しても強行してきそうなので怖いよ。
「まじで来るなよ」
「……それは来てというフリですか? 押すなよ、みたいな」
「……何か縛るものないかな」
「拘束プレイですか? あの……初めてなので優しくしてくださいね?」
そんな顔を赤らめて身体をくねくねさせるのはやめてくれ。誓ってそういうのじゃないから。
だから期待の眼差しを向けるな。もしやマゾなのか?
「……冗談ですよ。ちゃんと待ってるのでシャワー先にどうぞ」
「……いや、やっぱいいや」
三上さんの怪しい微笑みはまったくもって安心できないので俺はシャワーを断念。とりあえず制汗剤で乗り切ることにした。
制汗剤を振り撒いて、制服から着替えるだけでも幾分かマシだろう。
そうして寝室で着替えだけ済ませてリビングに戻ると、三上さんも着替えていた。
俺から剥ぎ取ったワイシャツを着て寛いでいる。
さてはまた履いてないな。魅惑の生足がシャツの裾から伸びているし、若干ブラが透けて見える。恥じらえ、花の女子高生。そんな無防備な格好で寛いで足をパタパタさせるんじゃない。
「おい、ちょっと透けてるからちゃんと服着ろ」
「あ、本当ですね。どうです? 桐島さんが選んで持ってきてくれたやつですよ」
「選んでない。本当にあんまり見ないで適当に摘んだんだって」
「ふふ、そうでしょうね。でなければ桐島さんがこんな……防御力が心もとない下着を私に届けるはずがありませんからね」
まぁ……ちゃんと見て選んだわけじゃないから、防御力の観点からして及第点ではなかったかもしれない。
三上さんがそういう下着を持っていることを考慮しなかった俺の落ち度……か?
いや、俺悪くないだろ。うん、全部三上さんが悪い。
「うっせ。ないよりマシだろ」
「それもそうですね。改めて……ありがとうございました。ですが……よくそこまで気が回りましたね」
「……偶然だ」
朝ごはんを食べてる時はついぞ思い出すことができなかったが、ふとした瞬間その可能性に思い至った。
スク水エプロンからスク水制服に移行した三上さんが、着替えの下着を用意していない可能性。
だが、確証がなかった。
さすがに大丈夫だろうと思いながらも、三上さんならやりかねないかという疑いもあった。
そこまで迷うのなら素直に尋ねてしまうのがよかったのだが、いかんせん下着についての話ともなると男の俺からは切り出しにくい。
だから俺は……どちらに転んでもいいように、こっそり三上さんの下着を拝借するという手段を取った。
なるべく見ないように上下セットを取り、紙袋に入れて持参する。
水泳の授業終わりで三上さんから何かしらのアクションがあれば保険の出番。何もなければあとで戻しておけばいい。
だが、俺が三上さんに直接尋ねるのを躊躇してしまったように、異性間でそういった話は切り出しにくいという本質を失念してしまっていた。
「でも、本当に悪かったよ。三上さんから特に連絡はなかったから、ちゃんと用意してたんだなと安心してしまった。三上さんがポンコツなのを失念していた俺の落ち度でもある。すまん」
「またポンコツって言いましたね。その謝られ方はものすごい複雑です……」
困ったことになったら三上さんなら泣きついてくると勝手に思い込んでいた。それがなかったから俺の杞憂だったのだと思考を止めてしまった。
女の子が男に、下着を忘れたなんて普通は泣きつけるわけがないという常識がすっかり抜け落ちていたんだ。
特に三上さんは普段から無防備だし、今だってとんでもない格好をしているけど、ちゃんと恥じらいはある。ごくたまにだが発動する。それを忘れていたのは本当に悪いと思っている。
「そんなに気に病まなくても……浮かれて下着を忘れてしまったのは私が悪いです。それに、桐島さんは私を助けてくれました。本当に嬉しかったですよ」
「それならよかった」
「……また忘れてしまってもいいように、桐島さんの鞄に何着か予備を入れておきましょうか」
「おい、やめろ。バレたら社会的に死ぬ。というか懲りたならそういう状況を作らない努力をしろ」
「……善処はしますよ」
すごい不安な受け答えだ……。
さすがに女物の下着を常備しておくのはリスクが高すぎるので勘弁願いたい。
「ところで……いつまで突っ立っているおつもりですか? 早く私を温めてください」
「まだ十分暑いだろうが」
「……下着がアレでスースーしてひんやりしています」
「じゃあその俺のシャツだけの格好やめろよ。なんか履け」
「それはお構いなくです」
「おい」
「私は桐島さんで暖を取ると決めているので……抵抗は無駄です!」
なんという決意だ……!
俺は暑くてたまらないというのに、わざわざ薄着しておいて、人肌で暖を取りたいとは……贅沢なやつだ。
「……ちょっとだけだぞ」
「ちょっと? 72時間くらいですか?」
「なげーよ。そんなに拘束されてたまるか」
「まあ、桐島さんの腕で拘束されるのは私なんですけどね」
「やかましい。ほれ……おいで」
上手いこと言いくるめられてしまった気もするが、それももういまさらだ。
ソファに座って腕を広げると、三上さんが飛び込んでくる。
「今日の昼休みの分まで、たっぷりよろしくお願いします!」
「はいはい」
夏だというのに本当によくもまあ懲りずに密着してくるもんだ。
そう感心しながら、わがままなお姫様の要望に沿って、溶かすように甘やかしていく。
仄かに香る甘酸っぱい汗の匂いが、どうしようもなくくせになりそうで……頭がクラっとした。
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