第63話 スースーします

「あっ……」


 水泳の授業終わり。

 女子更衣室の中で私はとあることに気付いてサッと血の気が引いていくのを感じました。

 思わず溢れ出てしまった小さな悲鳴のようなものは、周りの女の子達の声に掻き消されたので誰にも気付かれてはいないでしょう。


 しかし、この一大事件に緊張が走ります。


「下着……持ってくるの忘れてしまいました……」


 制服の下に水着を着てきたのはよかったですが、本来着ていなければいけない下着の持参を忘れるという、ベタではありますが一番やってはいけないミスを私は犯してしまいました。桐島さんに普段は見せることができないスクール水着の姿を見せることに浮かれていて、すっかり忘れていました。迂闊です。


 水泳の授業後にある疲労感や倦怠感を忘れてしまうほどに緊張は張り詰め、ロッカーの中にしまってある、やけに軽いスイミングバックを力なく持ち上げ……ため息を吐きながら置き、周りを見渡します。


「陽菜ー。まだ着替えてないの? 次移動だから急ぎなよー。私荷物教室だから先に行ってるね」


「あ、はい。すぐに追いつきますね」


 着替え終わった友達に声をかけられ、私も急がなければいけないと思いました。ですが……どうすればいいのか分からず立ち尽くしてしまいます。


「……ひとまず、脱がないと……」


 とりあえず濡れた水着を制服の下に着て過ごすわけにはいきません。夏とはいえ水泳の後は冷えますし、教室には冷房だってかかっています。

 そう言った意味でもですが、やはり濡れた水着で過ごすのは気持ちいいとはいえませんし、制服が濡れて透ける原因にもなってしまうでしょう。


 そして、今の私の持ち物は……大して役に立ちそうもありません。

 体操服などを持っていれば下に履くことも考えたのですが、水泳の授業に体操服は必要ないので持ってきていません。

 本当に困りました。


「あ、時間が……。急がないと」


 そうして迷っているうちに休み時間はどんどん消費されていきます。

 体育の授業の後は着替えが発生するので多少の遅れは大目に見てくれる先生が多いですが、あまりにも遅いと怒られてしまいます。


 もとより選択肢はありません。

 いたしかたありませんので……下着ナシで制服を着て戻ることにしましょう。


 ……うぅ、スースーします。






 一時間目が体育だったので、その後はこの状態で過ごすことになってしまいましたが……なんとか昼休みまで乗り切ることができました。

 しかし……このような格好をしているからか周りの視線に敏感になってしまいます。

 自慢ではありませんが、私はどこかの自称人畜無害なぼっちさんとは違って友達も多いですし、人気があることも理解しています。


 だからこそ、一歩間違えればとんでもないことになってしまうこのスリリングな状況にヒヤヒヤしてしまい、授業どころではありませんでした。少し挙動不審にもなっていたと思うので、周りの方々に怪しまれていないかとても不安です。


 ひとまず昼休みに突入したので人の目が少ない場所で緊張を解かなければ心臓がもちそうにありません。


(やっと憩いの時間です。ちょっとだけ甘えて、栄養補給をしなければ……)


 幸いにも目は冴えています。こんな格好でうとうと油断なんてしていられるはずもありませんからね。ですがそれとは別にしっかり甘えておかねば、今日を乗り切れる気がまったくしません。


 お弁当を持って立ち上がり、そそくさと教室を後にします。

 こうしたちょっとした移動の際も歩き方などに気を付けなければいけません。この学校の夏服スカートはそれなりに短いですからね。

 ちょっとの油断も命とりです。


 昇降口でローファーを取り出し、周りに生徒がいないことを確認して履きます。

 しゃがんだりするのが怖かったですが、ここまでくればもう安心……かと思いきや、校舎の外に出た私に突風が襲い掛かります。


「きゃっ」


 慌ててスカートを押さえて周囲を見渡し、誰もいないことを確認してほっと胸を撫で下ろします。

 そういえば下の方ばかり気にしていますが、上は……どうしようもありません。

 一応下着が透けるのを防ぐためのキャミソールを着ているので、下に比べたら幾分か防御力はありますが……それでも心もとないです。


 そして、そんな心もとない状態で、今から桐島さんのところに出向くのだと思うと、なんだかとてつもなく恥ずかしくなり、身体がきゅんと熱くなりました。


「こんな時に限って結構風が強いですね……」


 スカートを押さえながらもじもじ歩いていると、桐島さんの姿が見えてきました。

 私に気付いたのか桐島さんの顔が上がり、こちらを見て、ばっちりと目が合いました。


 見てる。見られてる。

 そう思うと……すごくゾクゾクして、足が震えてしまいそうでした。


「遅かったな」


「……そんな日もあります」


 いつもの何気ない会話もなんだか緊張しますね。

 それに……ついどもってしまって会話を上手く広げられません。それでも、気まずくないのは、言葉がなくても心地よいと桐島さんの落ち着いた雰囲気がそう思わせてくれるからです。


「では……隣失礼しますね」


「今日はそっちなんだな」


「まあ……はい。気分です」


「珍しいな」


 うぅ、見られています。

 いつもと違って桐島さんの隣に腰を降ろした私ですが、それを訝し気に見つめる桐島さんの瞳が、私の全身を見透かしているような気がして落ち着きません。


 やはり普段と違う行動は怪しまれるのでしょうか。

 でも……こんな格好でいつもの座り方なんてしたら……いったいどうなることやら。

 ただでさえ顔が赤く、息が荒く、緊張で強張っている自覚があるというのに。


「一応確認だが……体調悪いか?」


「ふぇっ? い、いえ……そんなことはない……はずですけど」


「それならいいが……悪い。俺の勘違いだったらそれでいいんだが、もしかして……これ、必要だったりするか?」


 そう言って桐島さんはスクールバッグを漁り、小さめの紙袋を取り出して私に押し付けてきました。

 やけに緊張した様子ですが、いったいなんでしょうか。桐島さんの顔も少し赤いような気がします。


「これは……私の下着、ですか?」


「勝手に漁ったのは悪いと思ってる。でもあまり見ないようにはしたから許してくれ」


「見れる場所に置いているのは私なのでそれはお構いなくですが……どうしてこれを?」


「ポンコ……少し抜けてるところがある三上さんのことだから、もしかしたらって思ってな」


「ポンコツって言いました?」


「……言ってない」


 ジトリと軽く睨みつけると、桐島さんは目を逸らしてしまいました。

 しかし、ポンコツと言われても何も言い返せないこの現状。


「別に必要ないならそれに越したことはなかった。後でこっそり戻しておけば済む話だからな。三上さんから特に連絡とかなかったから大丈夫だと思っていたが、悪い……もう少し気にかけておけばよかった。俺から聞く勇気がなくてすまん」


「謝らないでください。むしろそれが普通です」


 まあ、でも……そうですね。

 私も下着がないと気付いた時、桐島さんに泣きつくことは考えましたが、恥ずかしくて選択肢からは外してしまいました。それと同じで、桐島さんも私が下着を持ったか、下着をつけているか確認するというのはきっと恥ずかしかったのでしょう。

 というか、男性にそういう確認をさせるのがそもそもの話おかしいことなのですが。


 だから、可能性に気付いていたなら家を出る前に教えてくれればよかったのにとか、下着を用意してくれていたなら早く言ってくれればよかったのに、なんて逆ギレまがいのことはしません。下着を着けたか、下着を持ったかなんて、そんなデリカシーのないことを桐島さんは……割と言っているような気もしますが、今回に関してはどう考えても私の落ち度なので責めることはできません。


「ふふ、女の子が下着をつけているかどうか気にかけておけばよかっただなんて、その言葉だけを聞くと変態さんですね」


「……うっせ。いらないなら返せ」


「わぁ、いりますいりますっ。絶賛ノーパンノーブラなので取り上げないでください」


 ちょっとからかったら怒った桐島さんに紙袋を取り上げられそうになってしまいます。

 桐島さんに下着を着けていないことがバレたり、下着を見られたりというのは正直恥ずかしいですが、こうして念のための保険として下着を用意してもらったのは助かりました。


「着替えるので少し後ろを向いていてもらっていいですか? ちょっとだけなら覗いてもいいですよ?」


「覗かんからはよ着替えろ。飯の時間がなくなる」


 そういう紳士的なところ……嫌いじゃありませんよ。

 そして、どうやらあまり見ないようにしたというのも本当みたいですね。


 私が桐島さんのお家に用意してある下着は、普通のもありますが基本的には誘惑用の……ちょっぴりえっちなやつです。

 わざわざこんな薄くて際どいのを持ってくるなんて、よく見ずに手に取ったか、桐島さんがむっつりかのどちらかでしょう。私としてはどちらでも構いませんが……きっと桐島さんの言い分は本当なんでしょう。


 こういうところは詰めが甘くてちょっとかわいいですが、何も履いていないよりは安心感が違うので助かりました。

 でも、やっぱり薄くて……スースーします。

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