第3話 貸し借りの清算
三上陽菜にお礼の内容を突きつけた翌日。
いつもと同じ時間に家を出たはずなのに少しだけ早く学校についてしまった。
ああ、そうか。
三上さんにパンを奢ってもらえる手はずになっているから、今日はコンビニに寄らなかったんだ。
その買い物時間が削がれた分、早く到着したという訳だ。
そうやって昇降口廊下にかけられている大時計から目を逸らし、教室へと向かって歩き始める。
今日の一時間目は数学で億劫だとか、英語の授業は抜き打ちテストがあるかもしれないなとか考えていると教室が見えてくる。
いつもならホームルームが始まる時間に教室に入るため廊下にほとんど生徒はおらず、教室に入っているのだが、今日は少し早くまだ時間に余裕があるからかまばらに生徒がいる。
その中に、ここ数日毎日見ている顔があった。
「おはようございます、桐島さん」
こちらを真っすぐと見ている彼女――――三上陽菜は誰に挨拶をしているのだろうか?
もしかしたら他のクラスにもいるキリシマという名前の奴に挨拶しているのかもしれない。
周りには他の生徒達の姿もちらほら見えるためその可能性は拭えない。
「おはようございます。桐島玲さん」
そう考えて素通りして教室に入ろうとしたら、今度はフルネームで呼ばれてしまった。
もしかして同姓同名の生徒が……という可能性は低そうなのでこれはまごうことなき俺に向けられた挨拶なのだろう。
こんな美少女が俺みたいな陰キャボッチに挨拶をしていると……ほらやっぱりこうなる。
廊下にいる者はもちろん、教室の中からも視線を浴びせられる。
どう考えても目立っている。
「なんだ? 目立つのは嫌いだから手短に頼む」
「目立つ……? いったい何のことですか?」
「俺みたいなのが三上さんと話してるってだけで目立つんだよ。だから早く」
「そうなんですか? ……では、昼休みあの場所で」
彼女はよく分かっていないみたいだが、俺の必死な様子だけは伝わったのか要件を小声で手短に告げると足を翻した。
それを見送った俺はいそいそと席に着くが、悪目立ちしてしまったせいでまだ注目を浴びている。
朝っぱらからツイていない。
いつも通り机に突っ伏して時間を潰す。
ただそれだけの決まった行動なのに、普段より居心地が悪く感じるのはどう考えても三上陽菜のせいなのだろう。
授業合間の休み時間にチラチラと視線を浴びることはあれど、直接俺に何か言う人はいなかった。
こんな陰キャボッチのことを気にかけている時間があるのなら、友達との会話に花を咲かせている方がよっぽど有意義だろうから俺もそちらをオススメする。
俺は会話に花を咲かせる友達がいないため言って悲しくなるが。
そんな自虐的なネタで心がミリ単位の自傷ダメージを受けたところで俺は席を立つ。
今は昼休み、つまり約束の時間だ。
鞄に手を伸ばしたところで今日はコンビニ寄ってきていないことを思い出して手を引っ込める。
今日はお礼として三上陽菜がパンを奢ってくれる予定なのだ。
そうして俺は少しだけ寄り道をしてから彼女に取り付けられた約束の場所へと赴く。
そこには昨日、一昨日と同じように三上陽菜が先に座って待っていた。
「こんにちは、桐島さん。来るのが遅いので来てくれないのかと思いました」
「飲み物を買ってたんだ。今日はコンビニに寄らなかったから買うの忘れてたんだよ」
「なるほど、そういうことでしたか」
「それで……お礼、してくれるんだろ?」
元々、こうしてここに集まったのは彼女が俺に助けてもらったお礼をしたいと言い張るからだ。
そうでもないと俺がこんな美少女に呼び出しを受けるなんてことあるはずがない。
そして、俺はそのお礼を受けられなければ今日の昼飯を抜くことになってしまうのだが……どうやらその心配は杞憂だったようだ。
「はい、ちゃんと用意してますよ。どうぞ」
「おお、ありがとう」
「ふふ、ありがとうは私のセリフですよ。おかしな人ですね」
そういえばそうだった。
これはお礼だったがついありがとうと口にしてしまった。
それが面白かったのか三上さんは僅かだが笑みを浮かべた。
何気に笑っているところを見るのは初めてかもしれない。
普段からクールで物静かな印象があるからかギャップがあって破壊力が高い。
「さ、早く食べましょう。いつまで立っているつもりですか?」
「あ、ああ。って三上さんもここで食べるの?」
「はい、そのつもりですが……何か不都合でもありましたでしょうか?」
いや、ない。
ないんだけど、久しぶりに一人でゆっくり過ごせるかもなんて淡い幻想を抱いていただけにちょっとばかり気落ちしてしまう。
だが、教室でクラスメイトに囲まれながら小さく縮こまって食べるくらいならまだこの方がいい。
隣に三上さんがいるのはどうにも落ち着かないが、それは不快な気持ちではなくただ単に彼女が美少女すぎるからだ。
気にしないようにすればどうってことない……はずだ。
「これ、開けていいか?」
「どうぞ、開けて下さい。私も……」
俺は彼女が渡してくれたやや大きめのお弁当箱を開ける。
中身は何だろうか、サンドイッチだろうか、なんて考えながら蓋をずらすと、白いものが顔を覗かせた。
「ん?」
「どうかしましたか?」
「いや、何でもない。ちょっと見間違えただけだから」
きっと俺はサンドイッチの白い部分を見たのだろう。
そうだ、そうに決まっている。
そう意気込んで勢いよく蓋を開けた俺の目に入ったのは、真っ白で美しいお米だった。
俺はその美しく彩られたお弁当箱の中身を二度見したのち、真っ白いお米と隣でおいしそうに自分のお弁当を食べ始めた三上さんを交互に見る。
俺はどこで間違えた?
昨日俺は何て言った?
「あの、一つ聞きたいんだけどさ」
「んぐんぐ……はい、何でしょう?」
「お礼の内容、昨日の俺は何がいいって言ってたっけ?」
「確かパンを奢ってくれと言っていましたよ。ボケるにはまだ早いと思うのですが……」
「いや、ちゃんと覚えてる。記憶通りでよかったよ。それで……えーっと、これは何?」
「見て分かりませんか? お米ですよ。桐島さん、もしかして……お米知らないんですか?」
「いや、知ってる! 知ってるけどさ!」
いくらパンが好きで昼飯はパンばかり食べているといってもさすがに米は知っている。
この時間で食べないだけで、家では普通に食べる。
彼女はきょとんとかわいらしく首をかしげて俺に米を知らないのか聞いてくるが、問題はそこではない。
彼女から受け取ったお弁当箱の中、その一部分を占めて激しく主張してくるお米こそが問題なのだ。
「俺、パンを奢ってくれって言ったんだよな?」
「はい、言いましたね」
「じゃあ、これは?」
「見て分かりませんか? お米ですよ」
あれ、このやり取りさっきもしたぞ。
このままだと話は平行線を辿ってしまう。
ちょっとばかし残念に思わないこともないが、パンが好きってだけで米が嫌いってわけじゃない。
このまま彼女を問い詰めていてもパンは発生しないし、時間もただ過ぎていくだけ。
俺は諦めて蓋の内側にある箸を手に取って食べ始める。
「……うまい」
それは無意識の内に口に出てしまっていた。
そうして一口食べたら俺の持つ箸は止まらなくなる。
甘い味付けがされた玉子焼き、冷めているのにサクサクジューシーな唐揚げ、ミニトマトとレタス、ブロッコリーのサラダ。
口に運ぶものどれもが俺の好みの味で、本当に止まらない。
「そんなに急いで食べると喉に詰まらせてしまいますよ」
そんなこと言われても本当に止まらないんだ。
「ふふ、美味しそうに食べてもらえると私も嬉しいです。頑張って作った甲斐があります」
「もしかしてこれ……全部手作り……?」
「一応そうなりますね。桐島さんの好きなものや嫌いなもの、好きな味や苦手な味など何一つ知らなかったので少し心配でしたが喜んでもらえたようで何よりです」
「そんな手間……大変じゃなかったか……?」
そこまで手間暇かけてこのお弁当を作ってくれたと思うと、やはり俺のした事とは釣り合わないような気がする。
俺の嘘っぱちなんてパン一つくらいのモノだろう。
逆にここまでしてもらったのは何だか申し訳ない気持ちもある。
「作っているものは同じなので、数が増えるだけならばそれほど手間ではありませんよ」
そう言って三上さんは自分の持っているお弁当箱を傾けて俺に中を見せる。
内容量は俺に渡したのよりはやや少なめではあるが入っているものの種類は同じみたいなので、彼女の言っていることは本当なのだろう。
しかし、普段から料理なんてまったくしない俺からすればかなりの手間に思えて仕方がない。
「本当にそこらで売ってるパン一つでよかったのに……。逆に俺がこのお弁当のお礼をしなくちゃいけない感じか……」
「そんなことないですよ。それにこれは桐島君の希望を無視して、ちょっとでも栄養のある昼食を取ってもらいたいと思った私が勝手にした事です。ですので気にしないでください」
もしかして俺の食事の栄養事情まで考えてくれたのだろうか。
彼女はパン一つでは栄養がーとぼやいている。
「ご馳走様。本当においしかったよ。いや、マジでうまかった」
「お粗末様でした。喜んでもらえたようで何よりです」
お弁当が上手すぎていつの間にか完食していた。
空になったお弁当箱をどうするべきかと考えていると、俺の思考を先読みしたのか三上さんは大丈夫ですよと言ってその米粒一つ残されていない箱を回収して袋にしまった。
「少しお返しが多いような気もするが、これでお礼は受け取った……ってことでいいんだよな?」
「……はい、そうですね」
「そか、ならよかった」
これはお礼。いわば貸し借りの清算。
若干返却が過多のような気もするが、彼女が気にするなというのなら気にせずにもらってしまってもいいのだろう。
そしてこの昼休みが終われば、もう彼女との縁は切れてしまう。
俺みたいなボッチ陰キャと彼女のような高嶺の花の美少女が交わることは単なる偶然の産物だ。
これで貸し借りはなくなった。
だから彼女が俺にあれこれする理由は完全になくなった。
元々交わる機会なんてなかったのに、何かの間違いで一瞬だけ交わってしまっただけ。
その一瞬はこれでおしまい。明日からまた俺のいつも通りが幕を開けるんだ。
そんなどうでもいいことを考えながら、おれは残りの昼休み時間をボーっと青空を眺めながら三上陽菜の隣で過ごしていた。
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