第2話 三上陽菜はお礼がしたい

 いつもの場所で普段と何も変わらないはずのランチタイム……のはずだった。

 隣にこの前助けた美少女がいる事を除けば。


 どうしてこうなった?


「桐島さんはパンなんですね。それってコンビニのですか?」


「あ、ああ、登校ルートにあるコンビニでいつもパンを買ってる」


 近い近い。

 三上さんは俺の持つ袋の中身を覗き込んでくるが、距離が近いし、なんか良い匂いするし、無自覚にもあざとい行動が俺の心にゆさぶりをかける。


 彼女の押しに負けて隣に座ることになってしまったが、なんていうかこう、改めてみると彼女は本当にかわいい。

 先日のあいつが一目惚れするのも無理はない、そう思わせられる容姿だ。


 綺麗な黒髪のショートカットヘア。

 くりくりとした大きな瞳。




「何見てるんですか? あっ、もしかして私のお弁当が気になるんですか?」


「あ、うん。おいしそうだなって」


 ジロジロとみてしまったことに気づかれたようだが、三上さんはお弁当に視線が向いていると勘違いしてくれたようなので、それに便乗して話を合わせて相打ちを打つ。

 三上さんの膝に広げられるお弁当はちらりと見ただけでも彩り豊かでとてもおいしそうで、昼飯はパンだけの俺と違って栄養もしっかり取れてそうだ。


「そう言ってもらえるのは光栄ですが、あげませんよっ」


「いや、取らないから安心して食べて」


「そうですか? ならよかったです」


 話に合わせてお弁当をジッと見ていると三上さんはお弁当箱を両手で包み込んで身体の影で隠すようにして俺をジト目で見てくる。

 俺のお弁当を射貫く視線が強すぎたからか、俺がお弁当の中身を狙っているのだと勘違いしたのだろう。

 だが、俺はいつも通り買ったパンで足りるから大丈夫だと告げると彼女はほっとした様子でお弁当箱を膝の上に戻して食べ始めた。


 俺はそんな三上さんの様子を横目で眺めながら、パンの包装を破いて中身を齧る。

 昼休みに誰かと、ましてや女の子とご飯を食べるなんて高校生活初めての経験で緊張しているのか思うようにパンが喉を通らない。

 隣に三上さんがいるというイレギュラーが発生しているからだろう。

 いつもより喉の渇きを強く感じてしまうため、たまらずビニール袋の中に入っているお茶のペットボトルへと手を伸ばした。


 だが、その緊張が喉だけでなく手にも出ていたのだろうか、袋を漁ろうとした手がペットボトルを倒し、その勢いのままベンチの傾斜を転がり落ちてしまった。

 くそ、恥ずかしい。

 さっさと拾わなければ。

 そう思って伸ばした俺の左手に影がかかり、小さなぬくもりを感じる。


「えっ?」


「あっ、ごめんなさい」


 どうやら三上さんも俺が落としたペットボトルを拾ってくれようとしたようで、偶然にもタイミングが重なり、俺の左手と彼女の右手が触れ合ったしまったようだ。

 それに気付いてしまったことで顔が熱くなっていく。

 きっと顔もゆでだこみたいに真っ赤になっていると思う。


「んぐんぐ……こちそうさま。じゃあ、俺食い終わったから行くわ」


「えっ、ちょ。まだ話は終わってませんよ?」


 残りのパンを強引に口に詰め込みお茶で流し込むと俺はその場から逃げた。

 後ろで三上さんが何か言っているが聞かなかったことにしよう。

 この顔の熱だってそうだ……日差しがよかったからだ。

 そう思い込むようにして、俺は左手の震えを右手で押さえ込んで走った。







 突然俺のお気に入りスポットに現れた三上陽菜から逃げるように教室に戻った俺。

 いつもより早い時間に戻ったことに対する驚きや、三上さんの供述で判明した物珍しいものを見るような視線が俺に向けられる。

 机に突っ伏してそんな視線をカットし、残りの昼休みを寝たふりをして過ごす。


 そうやって昼休みを乗り切れば、授業の後半戦が始まる。

 昼食を取り満腹になったからか午後の授業は眠たそうにしている生徒が爆増する。

 うとうとしている者、こくりこくりと頭を上下させている者、堂々と机を枕にして夢の世界へ旅立って授業担当の先生に怒られる者。


 そんな高校生の本分を放棄した者達の仲間入りをしないように普段は気張って授業を受けている俺だが、今日は目が冴えてしまって全く眠気を感じない。

 かといって授業に集中できているわけでもなくどこかふわふわした気持ちで授業を聞きノートを取った。


 そうやって身が入らないまま授業は終わり放課後に突入する。

 周りのクラスメイトは部活動に向かったり、すぐに下校せずに友達とおしゃべりしたりしている。

 俺はそんなクラスメイトを尻目に、いつも通りさっさと教室を後にする。


 今日はいつも通りとは大きく異なった一日だった。

 でも明日からはまた元通り。

 何事もなく一人で過ごしていくんだ。

 そう自分に言い聞かせながら昇降口で靴を履き替えて俺は下校した。






 三上陽菜に突撃された翌日。

 昨日はイレギュラーも多くあったが、今日からはまたいつもと変わらない日常が展開されていく。

 そう、そのはずだった。


「なんでいるの?」


「私がいたら困りますか?」


「イエ、ゼンゼン……」


「まだ昨日の話は終わっていないんですよ?」


 昼休み、いつものルーティーンを取ってあの場所に訪れると、そこにはやや機嫌悪そうにムスッとしている三上陽菜がいた。

 彼女も俺みたいなボッチ陰キャ男子と関わるのはごめんだろうと高を括っていたが、どうやら違ったらしい。

 やはり昨日の話を聞くことなく逃げ帰ってしまったことを怒っているのだろうか。


「お礼……だっけ。本当に大したことはしてないから大丈夫なのに」


「いえ、絶対にお礼はさせてもらいます」


「あ、そう」


「はい。今日こそは逃がしません。きちんと話をしましょう」


 そう言って三上さんは昨日と同じように自分の隣を叩いてくる。

 俺は観念して頭を掻きながら、彼女の隣へとそっと腰を下ろした。


「見てください! 今日はサンドイッチです!」


「おお、奇遇だな。俺も今日はサンドイッチだ」


 三上さんは嬉しそうに今日の昼食内容を報告してくる。

 それは俺が今日の昼飯に選んだものと奇しくも同じものだった。


「もしかして俺がパンを食べるから合わせてくれたとか?」


「いえ、違います。昨日はお箸を持っていたうえにお弁当箱が膝の上に乗っていてすぐに立ち上がることができずに桐島さんを取り逃がしてしまいましたので、もし逃げられてもすぐ追いかけられるようにです」


「……逃げないから大丈夫だって、タブン」


 クソ、自意識過剰だった。

 お揃いを喜んでしまった?

 それはまるで俺が三上さんと一緒にご飯を食べたいと思ってしまったみたいになるじゃないか。

 決してそんなことはない、と言い聞かせて俺は雑にサンドイッチの包装を破り、中身を貪る。


「昨日もそんな感じの食事量でしたが足りるのですか?」


「ああ、大丈夫だ」


「もしかして、午後の授業で眠くならないためにわざと少なめにしているとかですか?」


「いや、まったく。授業のために眠くならない対策とか考えたこともなかった」


 別に満腹の度合いはそれほど関係ない。

 どれだけ腹が満たされようが満たされまいが寝る時はあっさり寝るし、耐えられるときは耐えられる。

 そこに俺の昼飯の量はまったくといって関与しない。


 そうやって意味のない話をしているうちに俺はサンドイッチを食べ終わる。

 いつもだったら飯を食い終われば残り時間をボーっとして過ごしたり、ベンチ全体を使って寝転がったりできるのだが、三上さんがいるとそうもいかない。

 彼女はまだもきゅもきゅとおいしそうに自前のサンドイッチを頬張っている。


「なあ、俺帰ってもいいか?」


「ダメです。まだちゃんとお礼をできてないので」


「じゃあ、そのお礼として俺を帰らせてくれないか? もしくは三上さんが教室に戻って俺を一人にしてくれるとかでもいいんだけど」


「……嫌です。それでは私がお礼した気になりません」


 一人でいるのに慣れきってしまっていたからか、誰かといるのがものすごく落ち着かず心が休まらない。

 隣に佇むのが異性で、美少女の三上さんというのもあるのだろう。

 俺は早く一人に戻りたい。


 そんな些細な願いを叶えてくれるだけでもお礼としては十分すぎるのに、三上さんはムッと頬を膨らましている。

 どうやら願いは叶わなさそうだ。


「それなら、明日のパンを奢ってくれ。それで手打ちにしよう」


「たったそれだけでいいんですか? もっと……なんかいい感じのお願いとかはないんですか?」


「ない。これが俺のいい感じだ」


 そう言って俺はベンチから腰を上げる。

 三上さんが俺を引き留める理由はお礼をどうするかが問題だったからだ。

 だが、俺はこうしてしてほしいことを告げた。

 三上さんはたったそれだけなんて言っているが、もとはといえば俺がした事もその場にいない先生の名前を適当に選んで叫んだだけ。たったそれだけだ。

 等価交換。十分に釣り合っているはずだ。


「じゃ、そういうことでお願いします」


 返事も聞かずに俺は歩き出す。

 三上さんが追いかけてくることはなかった。

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