𝐓𝐞𝐭𝐨 契り
保安官のジルは、夜が明けるのを待たずして、一連の出来事の証書を取ってくれた。そして、執務のため、かつて人形が暮らしていた部屋のひとつに入った。私とシロウには、早急に
私は、疲れてはいたが、眠くはなかったので、長椅子に寝そべり、壁にかけられた年代物の火打ち剣を眺めていた。
剣の魔法は、この火打ち剣を使わずとも、例えば、剣を模した棒に魔符を巻き、松明で火を付けてもいいのだが、着火は遅れるし、制動にも難がある。仕込んだ火薬で火花を刀身に走らせ、魔符に着火させることが出来るのが火打ち剣だが、剣の姿でなければならないというのが、実に、恣意的だと思う。
そんな恣意的な世界において、あの魔文字だけは
――
私が、恐怖の板挟みに、思わず息をのんだとき、寝台で眠ったはずのシロウが、ふと、身を起こして私に言った。
「姫君、もうひとつ、褒美を頂けないでしょうか ?」
「褒美‥ ?」
「お願いします‥」
――シロウの願いが私にはわかった‥
「
――心の片隅で私はそれを待っていたからだ‥
「姫君、
彼は言った。私は、この男の恋心を利用して、この男に、心の片隅に隠していた願いを言わせた。
――そんなのが、姫なものか‥
「ダメです‥」
「俺の目には、姫君の魔符は完璧なように見えます‥ これからの姫君の御身のことを思うと、すぐにでも
転写は完全だと私も思っている。たた、逃げているのだ。あの、殺されかけたカビリアの街から、遠ざかるほど安堵したように。逃げている。
「貴女への忠義を形にさせてください」
シロウは、寝台の上で、そう言って深く頭を垂れた。
――そんなのが、
「わかりました‥」
「――ありがとうざざいます !」
私の返事をシロウは喜んでくれた。いや、喜んでみせたのかもしれなかった。そうに違いないとまで思った。だが、埃のように、気付けば、心のそこかしこに積もっていた不安と恐れは、冷酷なまでに、私をこの男に甘えさせた。私は、避妊具の紙袋やら避妊具の紙袋が散乱している台を片付け、鞄から魔書を記す道具一式を取り出した。そして、顔料を尿で溶き、魔文字を書き綴った。
――3変数アッカーマン関数を以下のように定義する。
Ack(0,0,z) = z+1
Ack(x,0,z) = Ack(x-1,z,z)
Ack(x,y,0) = Ack(x,y-1,1)
Ack(x,y,z) = Ack(x,y-1,Ack(x,y,z-1))
x : 0以上の整数
y : 0以上の整数
z : 0以上の整数――
私とシロウは、屋敷を後にし、海が臨める近くの丘へと登った。私は、腰に下げた愛用のピーシン社製六式の火打ち剣を抜き、空打ちして火薬を確かめると、それをシロウに手渡した。シロウは、私の身を案ずるように距離を取り、持って来たランタンを地面に置き、懐から魔符を取り出した。
「魔文字を傷付けないように !」
「はい !」
ランタンの灯りを頼りに、火打ち剣に魔符を刺したシロウは、その切先を闇夜に向かって突き立てた。
「腰を落として ! 脇を閉めて ! あの月を狙って撃つのですよ !」
「はい !」
撃鉄を引く音が響いた。その、瞬間、私は駆け出していた。魔子爵を手にしたあの日、私は、シロウの手を引いて連込み宿に入った。それは、内緒話をするのによいと思ったからだが、心の内では、もうひとつ理由があった。ひとりで旅するのが怖いのだ。シロウとは、高々、一日三萬銀の契約でしかない。いや、例えそれが、五十萬銀だろうと同じことだ。だから、私は、抱かれようと決めた。しかし、この男は私を抱かなかった。私の家来でいたいと頭を下げ続けた。私は、この男を只の家来にしておきたくはない。この思いが恋だとは思わない。ただ、今ここで駆けなければ、この男は、生涯、私の家来のままでいる気がした。
「待って !」
私は、シロウに駆け寄ると、背伸びをして、シロウの構えた火打ち剣に両腕を添えた。
「姫君‥」
「これは、私とあなたが、命がけで手に入れた
シロウが、構えた火打ち剣を少し下げてくれた。私は背伸びすることなく、火打ち剣に両腕を添えることが出来た。
「私がトリガーを引きます‥ シロウは、剣を支えていてください‥」
「姫君の、御心のままに‥」
――貫け !
火打ち剣に走った火花は、忽ちのうちに魔符を発火させ、一条の火炎を生んだ。その火炎が遥か夜空で霧散してもなお、私とシロウは、夜空を仰ぎ続けた。東の空が、微かに、朝を湛え始めていた。
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