𝐓𝐞𝐭𝐨 夜襲
お勘定を済ませて私と警官さんはチャムさんの店を後にした。たしかに、防火水槽の所にその男はいた。何本目かの煙草を吸おうと、男が擦った燐寸が、ぼわりとその顔が浮かび上がらせる。私と警官さんは、酔ったふりをして帰路についた。
旅籠に戻ると、井戸を汲んで手を洗い、お膳のある小座敷に腰を据えた。警官さんは、報告書を作らなければならないと言って参道を下りたふりをする。彼が、遊郭から応援を連れて戻ってくるまでの間、私は彼が拵えてくれた、庭蟲の甘辛い煮もので白飯を食べた。御浸しも、お吸い物も、みんな平らげた。
台所の勝手口から警官さんが戻ったのを確認して、私は畳に大の字になった。小座敷の襖は開けたままにしてある。暖簾をくぐれば、オイルランプに照らされた私の上半身が見える状態である。靴は履いたまま、襖の陰には火打ち剣を忍ばせてある。手はすぐに届く。土間にはカムフラージュの靴を脱ぎ捨てておいた。酔いもなく、緊張からか、意識が微睡むことは無かった。
ジャリリと土間を踏む音がした。一歩、二歩、三歩、怒声がした。目を開けると、あの奇妙な被り物の異様な風体が、自警団の男たちに取り囲まれていた。その手には短剣があった。
──短剣‥ !?
「動くな ! 動くな !」
「叩き斬るぞ ! 動くな !」
自警団の男たちが怒声で侵入者を威嚇する。
「外にも自警団はおるのぞ ! 刃物を捨てえ !」
警官さんも、訛り交じりで怒鳴る。
「おい ! 動くな !」
しかし、その異様な風体の侵入者は懐に手を入れた。私は身を起こし火打ち剣に手をかける。彼奴が懐から何かを取り出したのが見えた。
「魔あああああーっ 符 !」
私は叫んだ。自警団の男たちがたじろぐ。私も身を隠す。人家に押し込んで剣の魔法でも使おうものなら死罪ものだが‥ しかし‥
「
それは盾の魔法だった。魔符を肩に張り付けると、その異様な風体は外へ向かって走った。暖簾の外を固めていた自警団の男たちが慌てて道を空ける。私も外に向かって駆けだす。警官さんに叫ぶ。
「桶に水 !」
「──え、あ‥ はい !」
異様な風体が、躊躇うことなく参道の壁を跳び越える。私は参道から身を乗り出して、眼下の薄闇を見やった。地面までかなりの高さがある。落下して建物が壊れるのが見えた。そして道沿いの家屋を、ところどころ壊しながら、遠ざかってゆく。闇雲に走ってぶつかっているのだろう。私は参道を駆け上りながらそれを追う。
「姫君 !」
警官さんが水の入った桶を抱えて追ってきた。私はその桶を受け取り、全力で参道を駆け上る、そして魔符を取り出し──
「
──参道の壁を跳び越えた。
曇天の切れ目に照らされて、あの異様な風体が駆けるのがくっきりと見えた。
私の体は、その頭上に舞っていた。地面が迫り──
ドンッ !
──着地の衝撃で石畳が砕けた。私は駆けた。
そして、鉢合わせた異様な風体の、その肩にある魔符めがけて桶の水を浴びせた。
私も魔符を剥いで盾の魔法を解く──
異様な風体のその大きな体が、決死の間合いで短剣を振りかぶろうとするのが見えた。
私は鞘を引いて火打ち剣を抜き放つ。
──剣の魔法の撃ち合いになってはならないからだが !
キンッ !
互いの剣が弾く。力負けして後退ると、異様な風体の男は、威嚇するかのように息を荒げて歩み寄って来る。私は、敵に肩を見せるように、半身になって、下段に剣を構えた。すると、異様な風体の男が、その力に任せて斬り込んできた。
私はさらに半歩身を引いて、
その斬撃を交わし、
死に体となったその暴漢を、その短剣を持つ手を狙い、斬り返す !
「いぎぃいっ‥ !」
男が呻き声をあげた。その短剣と数本の指が転がり落ちる。私は次の斬撃の構えをとる。深追いはしない。異様な風体の男は、後退りし、逃げようとしたが、駆けつけた自警団の男たちによって、一斉に取り押さえられた。
「動くな ! おら !」
「動くないうとろが ! おら !」
私は安堵して、倒れ込むように片膝をついて息を整えた。
「ハァ‥ ハァ‥ ハァ‥ ハァ‥」
半鐘の音が鳴り響いている。続々と自警団が集まってきた。
「うぐ‥ ぐええええああああ‥ ああ‥」
突如、取り押さえられた男が奇声をあげて体を震わせた。奇妙な被り物から血がしたたり落ちる。
「おい !」
「おい !」
「おおい !」
「毒でも噛んだんか ?」
困惑する自警団の男たちに割り入った警官さんが、その奇妙な被り物を剥ぎ取ると、あの顔絵の男が、口から血を吐いて絶命していた。私は身を起こし、その肩にある魔符を見た。文字が滲んでしまっているが、それは、魔男爵の文字列と変わらないように見えた。
「よおい! あんたがゴッパトスさんけえ !」
聞き覚えのある声が私を呼んだ。警官さんよりも十歳は年長に思える男が、よたよたと歩み寄ってきた。
「──はい」
「なんぜえ、思たより若いのお‥ まあええわい‥ もう、儂はだいぶ呑んどるけん、今日は剣の魔法は使えんのやけんの‥ 任したぞ‥」
「──守備頭取さん ?」
「ほうよ──」
頭上に恐蟲の羽音が響いた。自警団の男たちが慌てて方々に散らばった。足がもつれて転んだ守備頭取を、私と警官で抱き起し、建物の陰に退避する。
ドスン !
舞い降りて来た恐蟲が、顔絵の男の亡骸に食らいついた。その恐蟲の背には、あの奇妙な被り物の姿は無かった。
「おい、ゴッパトスさん、何しよんのぞ‥ 見とらんで、はよ、撃たんか‥」
「──地上にいたら撃てない‥」
私は、懐から残りの二枚の魔符を取り出して確認した。汗で滲んで使い物にならないことがあるからだ。恐蟲が食事を終えるのをじっと待った。守備頭取は、その凄惨さに耐え切れず吐き出した。
恐蟲の羽根が広がりはじめた。私は、魔符を火打ち剣に刺して撃鉄を引いた。
恐蟲が飛翔する。
──そうだ、高く飛べ‥
爆炎のことを考えると高度が欲しかった。私は、片膝をついて、火打ち剣を高角度に構えた。そして、闇夜に浮かぶ漆黒めがけて剣の魔法を放つ。爆炎が家々を照らした。目を曇らせてはいけないと暗闇に顔を向ける。やはり、仕留められてない。私は、見通しの利く場所へと駆けた。羽音は今も聞こえる。しかし、その姿は見失っていた。
「──東の空 !」
警官さんの指さす彼方に恐蟲らしき陰があった。私は慌てず、最後の魔符を剣先に仕込んで撃鉄を引いた。この魔男爵で、あの恐蟲を仕留めることはできない。しかし、この一撃は、魔子爵の実在を語るものだ。
「
爆炎が、カビリアの夜を照らした。止むことの無い羽音は、東の空へと、次第に、遠くなっていった。
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