第五十二話
いつの間にか年も明けて、T社や京都のA社からの緊急の調査依頼もなく平穏な正月三が日も過ぎた。
真鈴からは二日の夜にスマホが飛んできて、「明日、初詣に一緒に行こうよ」と誘いがあり、正月くらいはずっと寝ていたかったが付き合うことにして、京都の平安神宮を詣でたあとは木屋町の高瀬川から少し河原町筋寄りにあるおばんざい屋で食事をした。
金融業を営んでいたころから時々訪れていた店で、いい値段を取るおばんざい屋に比べて庶民的な料金で美味しい料理を提供していた。
「光一、熱燗飲もうよ」
瓶ビールで新年の乾杯をしたあと、真鈴が言った。
「熱燗って、受験生なんだから、早く帰らなくてもいいのか?あと二か月ほどで試験だろ」
「正月くらいいいんだよ。おじさん、熱燗を二合徳利でおねがいします!」
私の了解も得ずに大将に注文した。
彼女はもうオトナだし、今年は八月で二十一歳になる、酒くらいは何の問題もないのだが、あれよあれよという間に熱燗をふたりで四合も空けてしまった。
正月早々、真鈴を酔っぱらって帰らせるわけにはいかないので、阪急梅田駅に着いてから地下街でコーヒーショップに入り、少し休憩してから地下鉄堺筋線の天下茶屋駅まで送って、泉北高速鉄道に乗り換える改札口で別れた。
「大丈夫なのか?家まで送って行こうか?」
「心配ないよ。もうオトナなんだからね。着いたらちゃんとLineするから」
そう言って真鈴は改札口の向こうに消えた。
兎我野町の事務所兼居宅につく少し前に真鈴から「無事に家に着いてるよ。安心してね」とLineが届いた。
真鈴とは今年もこういった関係が続いていくのだろう。
その数日後、T社から年明け早々の企業調査依頼を受けて、事前準備のため大阪法務局に出向き、商業登記事項などの閲覧を終えて外に出ると、珍しく有希子の父親からスマホに着信履歴が残っていた。
留守番メッセージがあったので再生をしてみると、「娘の手帳にこの電話番号があったので連絡しました。お元気ですかな?できればすぐに連絡をいただきたいのですが・・・」と伝言があり、そして数秒の沈黙のあとゆっくりと切れていた。
すでに離婚が成立しているので、今では元義父となる彼は落ち着いた口調ではあったが、声が微かに震えているようにも感じられた。
有希子と結婚して以来、義父からの直接の電話はこれまで一度もなかったため、有希子の身に何かあったとしか考えられず、私はすぐに電話をかけた。
「よく連絡してくれました。礼を言います」
「いえ、ちょっと仕事中だったので電話に出られませんでした。すみません」
「実は昨日、娘が・・・死にました」
「娘が」のあと、三秒ほど間をおいてから「死にました」と、絞るような声で元義父は言った。
私は頭では言葉の意味を理解したが、こころが事態をすぐに飲み込めず、有希子が急死したと分かるのに十数秒を要した。
「急なことですが、明日の葬式に出ていただけませんか。お仕事も大変だとは思いますが、どうか、娘にお別れを言ってやってください」
元義父は私に対する恨み辛みを一切言葉にも口調にも出さず、ゆっくりと悲痛な声でそう言った。
私は心臓を射抜かれたような胸の痛みに急襲される中、「分かりました」とかすれた声で辛うじて答えた。
葬儀の時刻などを聞いて電話を切ってから、法務局の入り口付近で腰が抜けたようにしゃがみ込んでしまい、しばらく身動きひとつできず呆然自失の状態となった。
そしてそれは数分続き、近くにいた警備員が「どうしましたか?顔色がすごく悪いですよ」と心配そうに声をかけてきた。
「大丈夫です」と返事をしてようやく立ち上がり、地下鉄谷町線の谷町四丁目駅によろけるようにして入り、到着した電車の座席に崩れた。
有希子に癌の転移があったのか、或は急死に至った何か他の症状があったのか、彼女と電話で最後に話をしたのはいつだったのだろうかなどと、南森町駅までの二駅の間、私の頭の中はめまぐるしく動き回った。
離婚届の用紙が届いたので有希子の実家に電話をしたのは十一月の下旬だ。
その時有希子はすでに病院に入院していたのだろう。
それから一か月半ほどで死に至ったとは、私はすんなりと元義父の言ったことを消化できなかった。
だがしばらくすると、亡くなった原因はいったい何なのだろうという感情は消えていき、次にはただ自分自身への腹立たしさ、情けなさ、悔恨の念だけが次々とこころを襲ってきた。
南森町駅で地下鉄を降りて事務所に戻るまでの十数分、私は夢遊病者のように国道一号線の脇を彷徨っていたに違いなかった。
※あと一話で続・暴風雨ガールは完結です。
続編を「翔ぶ彼女たち」というタイトル で続けていこうと思います。
この先もよろしくお願いします。
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