第三十七話
翌日の土曜日はこの一週間の疲れを十分な睡眠で補って昼前まで寝たが、起きてすぐに八幡浜の案件の報告書に写真を添付してT社へ送った。
しばらくしてT社の部長から連絡が入った。
「完璧な写真が撮れとるね、岡田君。どうやって本人の顔写真を正面から撮ったのかね?」
八幡浜案件の直接訪問時の写真撮影についてである。
「それは、今の時代では割と簡単ですよ。バレたらヤバいですけどね」
「まさかピンホールカメラをバッグに入れてとかやっとるのかね?」
「いえ、そんな高価な機材は買えませんからね。単にスマホを動画撮影画面にして、ポケットに入れてオンにしたまま訪ねるだけですよ」
部長は、「そうか、わしにはそんな大胆なことは出来んな。まあ、新地のホステスの件は岡田君しか出来る調査員がおらんから、頼んますわ」と言って電話を切った。
しかしそう期待されると焦ってしまう。
午後からは真剣にこの案件に取りかかった。
西宮市内の御手洗剛彦の自宅、または自営する不動産業・平安商事の店舗のいずれを訪問したほうがスムーズにいくかを考えてみた。
でもどう考えてみても、家族や従業員がいるところに訪問することは、相手の心証を最初から刺激することになる。
外で一度お会いしたいと誘うには、先ず電話でアポイントメントを取る必要がある。
だが、面会したい理由を何にするのか?
まさか電話で依頼人の名前を挙げるわけにいかない。
御手洗氏へいきなり電話をしたとしても、用件が曖昧だと話にならない。
ましてや相手は街の不動産業者だ。
百戦錬磨の押しの強い灰汁のある人物と相場が決まっている。
T社の部長は「岡田君のやり方に任せる」と言うが、方法を思索するまま数時間が経過してしまった。
「だめでした。前に付き合っていた男性と縁が切れている証明なんて、どこの調査会社でも無理ですよ。調査費用の半分はお返しします」
それでは依頼人は納得しないだろう。プライドにかけても何とか結果を出さないといけない。
私は窓の外の兎我野町のビル群を眺めながら考え続けた。
土曜日なので、ビルの窓は明かりが点いていないところもある。
御手洗氏の不動産会社は今日も営業をしているだろう。
不動産会社は水曜定休日が普通である。
「ともかく、あたってみるしかないか」
有希子と別居してから無意識に何かに向かって呟くことが多い。
自分の生き方や直面する問題について、ときにはテレビのキャスターに向かって問いかけてみたり、夜中、ベランダに出て夜空の月や星に向かって「どうしたらいいんだ?」と相談を持ちかけてみることもあるが、もちろん彼らは無言で私を見下ろしているだけだ。
さて、そうと決まったら先ずは電話でのアプローチだ。
午後四時過ぎになってようやく私は電話をかけてみた。
「平安商事でございます」と若い女性が応対した。
「私は岡田と申します。御手洗社長をお願いしたいのですが」
「少々お待ちくださいませ」
女性は簡単に御手洗氏に取り次いだ。
「はい、お電話ありがとうございます、御手洗です」
低い厚みのある声が返ってきた。
プロの探偵の私でも少しだけ緊張する。
「私は岡田と申します、初めて電話させていただきました」
「どちらの岡田様でしょうか。どのようなご用件で?」
声のトーンが一段階低く変わった。
怪訝そうな顔つきになっていることが想像できた。
「突然で申し訳ありません。実は御手洗様がご存知の方にこのたびご縁談話がありまして、是非その方についてのコメントを少しいただければと」
「何ですって、縁談話?誰ですかな、その人は?」
「恐れ入ります。まことに勝手なお願いですが、お会いしてから申し上げたいのですが」
「縁談話がある当人が誰か分からんのに会えませんわ。あんたちょっといきなりで失礼とちゃいまっか?今忙しいので切らせてもらいますわ」
御手洗氏は電話を切った。
アポイント一回目は失敗に終わった。そりゃそうだろう。
私が反対の立場でも同じアクションを起こすだろう。
作戦不足だったと反省し落胆した。
次の作戦を考えている間に、私の気持ちを反映するように陽が沈んでしまった。
やむなく本日の業務を終了して、私の足は安曇野へ向かうのであった。
すっ呆けた女将さんの顔を眺めながらビールを飲んで、態勢を立て直したいと思ったからである。
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