第三十四話

 台風は午後九時ごろに岡山県の水島港あたりに再々上陸の見込みと報じていた。


 横風をもろに受けるだろうが、焦って車をブッ飛ばさなくとも、水島から大阪の吹田インターまでは四時間程度で着くはずと私は計算した。


「台風は今どのあたり?」


 宮島サービスエリアを出て一時間ほどで尾道ジャンクションの手前に来た。


「ちょっと待って」


 真鈴はスマホを検索して台風情報を確認し、「台風君は、今まだ今治市あたりだって」と平然と言った。


 瀬戸内海を挟んで、尾道のほぼ対岸である。

 横風がさらにひどくなってきて、しっかりとハンドルを握り続けないと車が左へ振られる。

 私はスピードをやや落として安全を優先した。


「しかし台風君って、何だそれ。怖くないのか?」


「光一は探偵でしょ、車の運転は信頼してるから」


 確かに探偵は運転技術が備わっていないと、車の尾行では話にならない。

 だが、台風や地震などの自然の猛威にはかなうはずはないのだ。


「お嬢さんを無事に届けないと、お父さんに申し訳ないからな。もう休憩はしないから、運転を信頼しているなら寝ててもいいぞ」


「光一が必死で運転しているのに、横で寝るなんてできないよ」


 たまには嬉しいことを言ってくれるが、怖くて寝ている場合ではないのだろう。


 尾道から福山市を過ぎて岡山県に入った。

 横風よりも雨がひどくなってワイパーをフルに回しても前方がはっきり見えなくなった。

 台風は瀬戸内海の島々を襲って、予測されたとおり岡山を睨んでいるようだ。


「何か話せよ」


「何を?」


「何でもいいよ、退屈だし」


「何にもないよ」


 真鈴は相変わらず前方に目を向けたままジッと黙っていた。

 何かを考えているのか、或いは考える余裕などないのか、横顔を見ただけでは判断がつかない表情であった。


 宮島を出て二時間、愛車は風雨などものともせず、岡山ジャンクションを通過した。

 台風はまだ瀬戸内海を北西に向かっているらしいが、私の勝ちだ。


 岡山を出ると、まるで嘘のように風は弱くなり、雨も暴れるほどのものではなくなった。


「もう大丈夫だな。台風にはアクセルはついていないから」


 岡山を抜けて兵庫県に入り、午後八時半ごろには姫路にたどり着いた。

 台風はようやく岡山県の水島港付近に上陸したようだが、勢力は衰えているとカースラジオが報じていた。


「暴風雨を抜けたな。真鈴みたいだ」


 神戸ジャンクションで山陽道から中国道へ高速を移ってから私は言った。


「何言ってるの、意味分かんないよ」


 分からなくてもいい。

 父が失踪し、身を隠していた霧島温泉の湯治温泉宿を訪れたことでエンディングを迎え、タイミングよく台風が上陸して暴風雨に見舞われたが、それも振り切ったのだ。


 真鈴も私も、もういろいろ抱えている問題をいったん棚上げしてでも終わりにして、次の段階に足を踏み入れないといけない。

 いつまでも現状の未解決なことだけに苦しんでいては先へ進めない。

 私はそう思った。



 吹田インターチェンジに着いたのは午後九時半前であった。

 台風の進路がやや北向きに変わって、現在位置は津山市を抜けて鳥取市へ向かっていると報じていた。


「家まで送っていくからな。多分あと一時間ちょっとで行けると思うよ。お父さんに連絡を入れておいた方がいいだろ」


 真鈴は返事をしなかった。


「何故黙ってる?」


「泊めてくれないの?」


「無理だな。明日は一日中忙しいし、送って行くなら今日だ」


「その、律子さんっていう事務の人、明日は10時ごろまで来ないんでしょ?だったら泊めて、お願い」


 私はどうしたものかを考えた。

 しばらくは真鈴に会えないような気がしたし、もう少し一緒にいたい気持ちが強かった。


「じゃあ、お父さんに連絡して、台風のために今はまだ岡山あたりなのって言うんだ。そのあと電話を代ってくれ」


 真鈴は父に電話をかけた。

 沢井氏はすぐに出たようで、「うん、そうまだ岡山なの。ちょっと代るから」と言ったあと私にスマホを手渡した。


「すみません、意外に横風がひどくて、大事をとって休憩しながら大阪に向かっています。明け方になると思いますが、ご自宅まで真鈴さんを送って行きます」


 沢井圭一は「申し訳ありません。何から何まで」と恐縮がって電話を切った。


「やったー、今日泊まれるんだね」


 電話を切ると真鈴が急に元気になり、助手席で小躍りしそうだった。


 二十歳の浪人生の女の子が、妻と別居を余儀なくされた、たった一人の探偵稼業の男を、いったい何が気に入って好いてくれてるのか、私にはさっぱり理解できない。


 前にも真鈴に何度か言ったことがあるが、きっと猛烈な寂しさと不安が詰まった段ボール箱が、こころの中に山積みになっていたところへ、ある日突然変な探偵が現れ、何の打算もなく父の捜索に奔走してくれたことへの感謝の気持ちを、愛情と勘違いしているのだ。


 いったん近畿自動車道に乗って南へ車を走らせ、真鈴の自宅のある泉北方面へ向かったが、真鈴が泊まることになったため東大阪ジャンクションで阪神高速道路に乗り換え、北浜で高速を降りた。


「明日朝早く起きないといけないからな。大丈夫か?」


 台風は明け方にはとっくに日本海に抜けているだろう。

 いくら休憩しながらといっても、そんなに時間がかかるはずもないと思われるかも知れない。


「ゆっくりでいいじゃない。どうでも理由がつくから。パーキングで疲れて寝てしまったって言えばいいんだし」


「あんまり嘘は言いたくないからな。明日は朝四時には出て、五時には送り届けるから」


 真鈴は「何でそんなに早く・・・」などとブツブツ呟いていたが、二十も年齢差のある真鈴との関係を疑うようなことはないだろうが、ほんのわずかでも沢井氏に疑問を持たれたくない。

 明日の早朝には家に送り届けたい。


 鹿児島からほとんど休みなく走って来た愛車にご苦労さんと労いを言い、駐車場に休ませて、私と真鈴は事務所兼自宅に戻った。


 時刻はもう午後十一時前になっていた。

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