第三十三話

 宿を出たのは午前九時前だったが、さすがに休みなく車を飛ばしても、後方や斜め後ろからの強い風雨を受けながらの運転なので、神経を集中するのにやや疲れ、昼前に古賀サービスエリアで小休止をとることにした。


 フードコーナーに入り、私はそんなにお腹が空いていなくておにぎりを二個買っただけにしたが、真鈴は「ちゃんぽんが食べたい」と言って、店にあった古賀ちゃんぽんを注文した。


「朝ご飯を二杯も食べたのに、すごい食欲だな」


「バカにしてる?」


「バカになんかするわけないだろ。健康的でいいなって」


「フン!」


 真鈴は黙々と麺を喉の奥に滑らせ、野菜をよく噛んで食べスープを飲み、フーとため息を一回吐いてから、「せっかく九州に来たんだから、本当はとんこつラーメンも食べたかったんだけど、ゆっくりしていられないから諦める」と言った。


「九州でも四国でも、こっち方面の案件が入って、仕事に付き合うのだったら、あちこちの名産を食べられるぞ」


「何で私が光一の仕事に付き合うの?嫌だよ、ずっと張り込みしたり」


「張り込みだけが仕事じゃないからな。家出や所在調査は聞き込みが中心だし」


「光一の仕事のことは分かんないよ。じゃ、行こうか。台風が追いかけて来るよ」


 真鈴は席を立った。


 彼女の言動は、私にこころを許して甘えていることの表れなので、悪い気はしないが、まったく自分本位である。


 古賀サービスエリアを出て一時間ほどで関門海峡にさしかかった。

 関門大橋からの眺めを観て、それまでずっと黙っていた真鈴は、「すごい!」を連発した。


「夜の関門大橋はもっと綺麗だぞ」


「本当?いいなぁ、光一はあちこち行けて」


「じゃ、今度九州に調査が入ったら連れて行ってやるよ」


 仕事だとしても、また真鈴と九州に来れたらいいだろうなと思って言ったが、彼女は「仕事に付き合うのは嫌。予備校生なんだからね、そんな暇はないよ」と、重ねて言うのであった。


「忙しいのに鹿児島くんだりまで急に行くんだな。矛盾してないか?」


「それは特別なことなの。分かってるくせに、喧嘩を売ってる?それともいじめるの?」


 偉そうな口を利くくせに、私が少し嫌味を言うと敏感に反応する。


「僕が真鈴をいじめたりするわけないだろ。いろんなところを観たいって言うから、ついてくるかって軽く言っただけなのに。すぐにふくれっ面するなよ」


「ごめんなさい。分かったから」


 もともと真鈴は頭の良い子だが、中高生と父が行方不明の家庭環境で生きてきたことで、負けず嫌いの勝ち気な性格になってしまったのだ。

 でも、素直な一面も持ち合わせている。


 本州に入ってからは風は横風に変り、雨も降り続いていたが、風雨ともにそれほど強くはなかった。

 私は無理をせずに制限スピードを守りながら快適に車を走らせた。


 カーステレオからの台風情報によれば、今朝方に指宿あたりに上陸後、現在は鹿児島県から宮崎県内を北西に向かっており、まもなく日向灘に出て四国へ再上陸をうかがっているとのことだった。


「台風のスピードよりこっちのほうが早いから、何とか捕まらずに帰れそうだな」


「途中で少し仮眠をとった方がいいんじゃない?」


 真鈴はそう言うが、明日の金曜日は八幡浜の案件の報告書を急いで書いて、土曜日にはそれをT社へ持参して終了させたい。

 そして日曜日は律子さんとの約束があるから、今日のあまり遅くならないうちに大阪に着きたいのだ。


 だがそうは言っても山陽自動車道の大竹西を過ぎたあたりで疲れと睡魔が襲ってきた。

 時刻は午後四時前である。


 このまま岡山を抜けるあたりまで無理をするか、ここでいったん休むかを考えたが、真鈴が「トイレに行きたい、もう漏れちゃうよ」と言うので、宮島サービスエリアに車を滑らせた。


 トイレから戻ってきた真鈴は、「ちょっとここで休もうよ、お腹も空いてきたし」と言う。相変わらず旺盛な食欲だ。


 レストランに入り、私は軽く宮島ラーメンという地元のラーメンを、真鈴はカキフライ定食を注文した。


「よく食べるなぁ、若い証拠だな」


「また言う。それ嫌味にしか聞こえないよ」


「嫌味なものか、感心してるんだ」


「フン!」


 相変わらずの態度である。


 ふたりともゆっくり食べ終えて、もう一度トイレを済ませてから車に戻った。


 時刻は午後五時を過ぎた。この調子だと日付が変わるまでには大阪に戻れるかどうか微妙なところである。


 スタンドでガソリンを満タンに補給し、再出発だ。

 だが、小一時間休憩した間に、風雨が再び強くなってきていた。


「また風雨がひどくなってきたな。真鈴、ちょっとスマホで台風情報を見てくれないかな」


 うんと言って真鈴はスマホを検索し始めた。

 私は車を発進してガラガラの山陽道を西へとアクセルを踏み込んだ。


「光一、大変。台風が愛媛県に再上陸してるよ。瀬戸内海に出て進路を北西に取りながら、もうすぐ岡山か兵庫県だって。こっちに来てるよ」


 カーラジオをつけてみると、真鈴の言った通りの気象ニュースが流れていた。

 台風はスピードを増して岡山県の水島港付近に午後九時ごろには再々上陸する予報であった。


「このペースで走っていたら、この車に直撃だな。車ごと夜空に舞い上がるかもな」


 私は笑いながら言った。


「だから、光一はルートを間違ったんじゃないの?下関を過ぎてから、中国自動車道に乗っていれば少しは違ったんじゃない?ここって山陽道でしょ、違うんじゃないの?」


 アッと私は一瞬声に出してしまった。そうだった、私としたことが高速道路誤りをしてしまった。


 中国自動車道だと、中国地方のど真ん中の山岳地帯を進んでいくから、台風の影響は受けにくいし、暴風雨圏内に入る前に兵庫県内に逃れることも可能かも知れないのだ。


「うっかりしてたな。可愛いお嬢さんを助手席に乗せて走ってると、どうも判断を誤る」


「バカじゃないの?」


 今さら仕方がない。横からの風雨が次第に激しさを増してきて、ときどきハンドルを取られそうになる。

 スピードを落として慎重に運転を続けた。


 暴風雨ガールを乗せているから仕方がないなと、軽く声に出して自嘲した。


「何ニヤニヤ笑ってるの?変な人」と暴風雨ガールが馬鹿にした目で呟いた。

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