第三十話

 八幡浜の調査をいつものように完璧に終えた私は、翌日の午前九時四十分の臼杵行きカーフェリーに乗った。


 フェリーは豊後水道の海上をひた走ったが、やはり近づいている台風の影響だろうか、ときどき船首が持ち上げられるようになったり、横波で船体がかなり揺れることもあって、私は少し船酔いをしてしまった。


 それでも遅れもなく昼過ぎには臼杵港に無事に到着した。


 フェリーから降りて国道三十三号線を南下し、そのままグングン走ると東九州自動車道に乗る。

 何度も九州の調査に来ているが、この高速道路を走るのは初めてである。


 一時間余りガラガラの高速道路を飛ばすと延岡南インターチェンジ、さらに一時間ほど南下すると清武ジャンクション、ここで宮崎自動車道へ入る。


 午後四時ごろまでには霧島温泉へたどり着くだろうが、私は真鈴の姿を一刻も早く確認したい気持ちを抑えられず、一度も休憩を取らないまま車をブッ飛ばした。


 頭の良い真鈴のことだから、おそらく穴吹から岡山を経て福岡あたりで一泊して、それから昨日のうちに鹿児島へ向かい、霧島温泉の牧園町に着いていると私は推測した。


 何の根拠もないのだが、穴吹療育園を訪れたのなら、次に真鈴が向かうところは霧島温泉の湯治宿以外に考えられない。

 父・沢井圭一が穴吹療育園のスタッフだった森京子とふたりで失踪した場所だ。


 六年半にも及ぶ真鈴の巨大な空虚、寂しさを最終的に埋める術は、彼女がそこを訪ねて、父が失踪後たどり着いた地を自身の目で確かめるしかないと私は思っていた。

 それこそが、尾行中に真鈴が私を捕まえて、父の所在の捜索を指示した起点へのエンディングなのだ。

 私の頭の中には、啓示される神の教えに似た感覚が確かにあった。



 えびのジャンクションで宮崎道から九州自動車道に移り、霧島市には午後四時過ぎに入った。


 横川インターチェンジで車を高速道路から降ろして、さらにひた走る。一年前にこのルートを走って真鈴の父の捜索に来たことが、ついこの前のような気がした。


 しばらくすると、天降川に架かった懐かしい赤茶けた鉄橋が見えた。

 ここを渡れば田丸本館である、こころが締め付けられるような躍るような感覚になった。


 一年前と全く変わっていない田丸本館の一階の駐車場へ車を休ませ、フロントへ向かう。

 受付も前と同じだ、一年前のことがよみがえってきたが、前回と違うのは依頼人を捜しに来たことだろうか。


「一泊お願いします」


「二食付きでしょうか、それとも自炊コースにされます?」


 前回と同じやり取りだ。私は迷わず二食付きをお願いし、そして「こちらに本日、沢井という女性が泊まっていませんでしょうか?知り合いなんです」と訊いてみた。


「沢井様という女性ですか?お泊りではないですね」


「そうですか・・・、若い女の子なんですけど、大阪から来ているはずなんですが」


「若い子ですか・・・」


 受付の矢部という名札を付けたスタッフがパソコンのディスプレイを見ながら言った。


 昨年来た時も彼女が受付にいたことを憶えている。その時、沢井圭一は鹿児島空港へ客を送迎に出ていたのだった、


「若い女の子で大阪から来られている方が、昨日からお一人で泊まられてますね。でも沢井様ではありません」


「差し支えなければ、その方のお名前は?」


「岡田様ですね。岡田・・・何て読むのかしら、真実の真に鈴って漢字なんですけど」


 矢部さんは、ウーンと唸りながら言った。


「マリンと読むんですよ。沢井真鈴、いや岡田真鈴、私の身内です。何号室ですか?」


 やっぱり来ていたのだ。

 私はもちろん岡田光一でチェックインして部屋の鍵をもらい、真鈴の部屋の番号も矢部さんから教えてもらった。


 部屋に荷物を置くと、大きな虚脱感のようなものが襲ってきて、私は疲労困憊気味になってしまった。

 だが、もう慌てる必要はない。

 私は部屋に置かれていた手ぬぐいを肩にヒョイとかけて、ひとっ風呂浴びることにした。


 部屋を出て廊下を少し歩き、それから外に出る。

 自炊用の設備や洗濯機などが屋根付きの一角に設置されている。そこを抜けると渡り廊下となっていて、突き当りが男女別の湯治湯だ。


 渡り廊下を歩いていると、濡れた髪の毛を手ぬぐいで拭きながら、下を向いてこちらに向かってくる女の子と遭遇した。


「何やってるんだ、心配したんだぞ」


 私の声にハッと顔を上げた真鈴は、今まで見たことがないほど呆然とし、数秒間自失していた。


「何で、何でなの?」


「探偵だからな、どこでも捜し出すんだ」


 そのあと真鈴は、何故か「バカ!」と叫んだあと濡れた髪を振り、一気にあふれ出た涙を飛ばしながら私の胸にぶつかってきた。


 外は台風の影響だろうか、暗さを増してきた山の方から強い風が吹きおろし始めていた。

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