第二十二話
ホテルに入ると、空いている部屋の写真とその横にボタンがあった。
ご親切に一時間の料金と泊まりの料金が明示されていた。
「ラブホテルってこんなふうになってるんだな。この前京都で泊まったホテルとは全然違うね」
「入ったことないの?」
「残念ながらないな、若いころからあまりモテなかったからね」
「この部屋でいい?」
「どこでもいいよ」
真鈴は適当な部屋のボタンを押した。
あとは部屋に行けばドアは開いているらしい。
部屋は四階、エレベーターに乗るといきなり真鈴が私の胸ぐらをつかんだ。
「ど、どうしたんだ?」
「さっき、この前京都で泊まったホテルとかなんとか言ってたでしょ。あれどういう意味、いつのことなの?」
私はしまったと思った。だがどう話をはぐらかせばよいのかすぐに思いつかなかった。
「あっ、いや、知り合いが旅行に来てたんだ。それで、飲みすぎてね、仕方なく泊まった」
戸惑った態度があからさまに出てしまったため、真鈴は胸ぐらをつかむ力を緩めず、怒った顔で私の眼をジッと睨んだままだった。
「痛いよ、離してくれよ」
「知り合いって、誰?」
「真鈴の知らない人だよ。徳島の人だ」
「男の人、それとも女の人なの?」
私はもう覚悟を決めた。もともと嘘をついたり隠し事が出来ない性格なのは自分でも分かっている。
こうなったら関さんのことを話しておこうと思った。
「僕が嘘のつけない性格ってこと、君は知ってるよね」
「光一は嘘なんてつけないよ、すぐに態度に出るから。よくそれで探偵なんてできるものだわって、前から思ってたの」
真鈴は胸ぐらから手を離して、ため息を吐きながら言った。
「ひどいことを言うんだな」
ともかく私は関さんのことを真鈴にかいつまんで話をした。
関さんという女性は、真鈴の伯母さんにあたる沢井悦子が長年入院している徳島の「穴吹療育園」の職員であること。
父・沢井圭一は失踪する前、年に数回は悦子を見舞いに来ていたこと、そして療育園の職員だった森京子という女性といつの間にか親しくなってしまったこと。
会社が倒産して圭一が失踪した際に、先ずは療育園にやって来て、しばらくしてから森京子と霧島温泉に身を隠したこと。
そして昨年、私が父捜しに動いたときに、関さんの協力と情報がなければ、霧島温泉の湯治旅館で働いていた圭一のもとにたどり着くことは難しかっただろうということなど、それらを私は一気に真鈴に語った。
真鈴はその間一度も口を挟まず、私の話を神妙な顔をして聞いていた。
「お父さんが見つかったのは、その人の情報からだったのね」
「そうだよ、僕が穴吹療育園を訪ねたときは何も得られなくて、仕方なく帰って来てから君と扇町公園で会って、経緯を報告しただろ、憶えていないなかな、もう一年余り前のことだからな」
真鈴は「忘れた」と言って、また黙った。
「そのあと何日か経ってから、関さんが僕に連絡してくれたんだ。君のお父さんが霧島温泉の湯治旅館で働いているようだってね」
「じゃ、私が感謝しないといけない人なのね」
「そうだな」
「でも、何でその人と、京都のホテルで同じ部屋に泊まったの?」
「仕方がなかったんだ。三日間関西を旅するからって急に連絡が来てね、神戸と京都を案内したんだけど、ちょっと心を病んでいてね、京都ではずっと一緒にいてほしいって言うから帰るに帰れなかった。
何をするか分からない状態だったし、心配だからね。でも何も無いよ、本当だ」
私は一部嘘をついてしまったなと思ったが仕方がない、嘘も方便と言うではないかと自分を弁護した。
だが、真鈴はこのことを聞いたあと、ガックリと肩を落とした。
「ホテルで朝までいたのね。そしてあくる日に瀬戸大橋を渡って四国に行ったんでしょ。分かってきたわ」
「彼女のこころをリセットする必要があると思ったから、急きょ大阪観光は取りやめて実家に少しだけでも帰ろうって提案したんだ。それで愛媛県の西条ってところにある実家へ無理矢理連れて行った。
でもな、それで関さんも彼女の両親も喜んだし、よかったんだ。本当だよ。人間はたまにリセットして元気を取り戻す必要があるんだ」
私は自分の言葉を肯定するために、頷きながら言った。
「本当にエッチしなかったんなら許す。でも、そんなときはこれから連絡してね。光一にとって私はどういう存在なの?私、光一だけなんだからね」
二十歳を目前にした女の子の言う台詞ではないだろうと思った。
でも、私は別居中の妻がいる立場だ。真鈴の気持ちを大きな手を広げて受け入れるわけにはいかない。
「エッチなんかしてないよ。もうその話はいいじゃないか。真鈴ともエッチはしないからな。寝転んでゲームしよう」
「何で?」
「前にも言っただろ、まだ環境が整っていないって」
「意味分かんないよ。二十歳になったら環境が整うの?そのときはエッチしてくれるの?」
「エッチエッチって、女の子が叫ぶなよ。ともかくもっとリラックスしよう」
私はシャツを脱いでベッドに寝転んだ。
「分かったよ。でも、汗かいてるからシャワーを浴びさせて」
「シャワーなんて浴びなくてもいいよ」
「馬鹿」
彼女は長い時間シャワーを浴びた。そしてバスタオルを一枚巻いただけで出て来て、私の横に寝転んだ。
「光一はそのままでいいよ」
「アホ」
交代で私もシャワーを浴びた。そしてふたりともバスタオル一枚の姿になって、ベッドに寝転んでテレビゲームをして遊んだ。
ときどき真鈴の小さな胸が私の身体に触れると、精一杯我慢していた私の理性は完全に吹き飛びそうだった。
ビリージョエルが「オネスティ」でしきりに訴えていたことが正しいような気がしてきた。
私は真鈴を覆っていたバスタオルを剥ぎ取り、肌を合わせた。
この世の中にこんなにサラサラとした肌が存在するのかと思うほど、彼女の肌は滑るように心地よく、その感触はやがてしっとりと私の身体に溶けた。
真鈴は少し震えていた。
「辛いな、エッチしないって」
「じゃ、して。難しく考えないで」
「してなんて、はっきりとそんなこと言うなよ」
「じゃ、抱いてください」
「そういうわけにはいかない。もう少し環境が整ってからだ」
「何だよ、バカ。私、光一におとなにして欲しいんだよ。だからエッチして、お願い」
「我慢することも大事だよ。こういうのって、僕にとっては不純異性交遊っていうらしいからな、正義やルールを絶対に無視しない探偵は我慢するんだ」
「バカみたいだよ」
そう言って真鈴は私に背中を向けた。
彼女は尾行中に二人の高校生とホテルに入った。
彼女が依頼人の息子以外の男とホテルに入ったのを見届けたとき、私は身体が崩れそうなほど落胆した。
でもそのあとで私が彼女に捕まり、何度も会っているうちに「ホテルでテレビゲームやDVDで映画を観ていただけ」と言う彼女の言葉を信じるようになった。
そして今、私にすべてを預けようとしている真鈴を前にして、彼女の言葉は間違いないと確信した。
「生駒遊園地の山頂で、私が光一に抱いてって言ったとき、これ以上の関係に進むにはもっと環境の変化が必要だって言ったでしょ。でももう十分変化して整ったはずだよ。だから悩まないで」
あのころの真鈴は精神的に不安定で投げやりで、尋常な状態ではなかった。
私は私で有希子との夫婦関係や義父母のことで苦悩していた。
それからずいぶん月日が経って、今、私と真鈴はお互いに気持ちを遮るものが薄くなっている。
環境は整っていると言えるのかも知れない。でもまだ駄目だ。
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