第十二話



 関さんはときどき汗を拭きながら、鮮やかな風景画のような港の景色や海の青さに驚いていた。


 彼女は昨年より腕や身体全体が一回り細くなったように見え、この一年近くでずいぶんと痩せたように私には思えた。


「関さん、去年の九月に会った時よりかなり痩せたんじゃないですか?」


 昨年七月に穴吹療育園を訪ねたときも、九月に彼女が大阪に来てくれたときも、こんなにも痩せてはいなかった。

 贅肉のないタイトな身体つきだったが、今日みたいに折れそうなほど腕が細くなかったし、顔も心持ち小さくなったように見えた。


「少しね。そうね、三キロちょっと位かな、体重が減ったの。電話で言ったように春に少し体調が悪い時期が続いて、あまり食べられなかったからかも知れない」


 迷彩色の帽子がちょっと悪戯っ子みたいな今日の関さんだったが、身体が細くなったからか、私にはあまり元気がないように見えた。


 私たちはメリケン波止場を離れて、神戸港を見ながらハーバーランドのほうへ歩いた。


 猛烈な暑さで、しばらくすると汗が首筋を流れ落ちた。

 暑さには辟易したが、私は彼女と並んで歩く神戸ハーバーランドを楽しんだ。


 大阪を案内したときにも感じたが、関さんと過ごす時間がとても心地良いのだ。


 どう言えば適しているのだろう。


 つまり、言葉をあまり交わさなくても、気遣う気持が生まれない感覚、時間が経っても疲れない感覚とでも言おうか、まるで幼少時のころから知っていて、一緒にいるとホッと安心するようなあの感覚だった。


 真鈴と一緒にいるときは、彼女の仕草や言葉に自然と私は敏感になり気遣う。  

 最初のころのように腫れ物に触るような気遣いはしなくなったが、今でも彼女の言動にいつも私は敏感になる。


 でも関さんとの時間は、彼女のすべてを包み込みたくなるような優しい気持ちになるのだった。

 私はその快適さを楽しんだ。


 神戸ハーバーランドは平成七年の阪神淡路大震災で営業休止を余儀なくされたが、その年のうちに阪急やダイエーをはじめ、ほとんどの商業施設が営業を再開した。


 さらに暮れには「モザイク」という名称の大規模商業パークもオープンするなど震災後の復興は急速度で行われた。


「すごいわ、映画館もある。私、こんな大きなショッピングセンターは見たことがない」


 私たちはハーバーランド内の「モザイク」に入った。


 徳島にはない大きな施設に、関さんは大きな瞳をクルクル回して素直に驚いていた。

 彼女は驚くときも少し恥ずかしそうな表情を見せた。

 彼女のすべての表情には、恥ずかしさや気弱さが含まれていた。


 午後三時を過ぎて、私たちは昼食をとっていなかったので早めの夕食にした。


 祝日のこの日、すでに夏休みに入っている学校も多いのか、グルメフロアはこの時間でもかなりの客で混み合っていた。

 私たちは数ある店の中で「中納言」を選んだ。


「僕が住んでいる近くの商店街に、オーナーは変な人だけどエビフライがとても美味いプランタンという店があるんです」


 メリケン波止場からハーバーランドへ歩く途中の会話の中で、関さんは私の言葉に反応して、伊勢海老を食べてみたいとリクエストしたからだった。


 中納言は有名な店で、私も神戸勤務のときに元町のプラザホテル店を訪れたことがあるが、プランタンのエビフライ定食と、中納言の伊勢海老の中程度のコースの値段とは、文字通り桁が違っていた。


「伊勢海老なんて私、初めて」


 関さんは目を輝かせて喜んだ。

 私はメニューの値段に目が点になりそうになった。


「やっぱり山の幸より海の幸のほうが、美味しいものがずっと多いような気がするね」


 私は目の前の大きな伊勢海老の料理を少しずつ味わいながら言った。


「でも山にだって美味しいものがたくさんあるのよ。例えばきのこだけど、岡田さんが知らない種類もいっぱいあると思うの。穴吹には地元でしか食べないきのこがあるのよ」


 関さんは口をモグモグさせていたものを飲み込んでから私に意見した。


 穴吹川は四国で最も水質が良い、いわゆる清流だということや、地元で栽培されるシイタケは大きくて肉厚だということなどを、彼女は少しムキになって説明した。

 私はその主張に素直に頷いた。


 すっかり満足して中納言を出てから、私たちは岸壁の階段に腰を下ろした。


 情熱の太陽はまだ十五度位の位置にしぶとく粘っていた。

 目の前の海の向こうに赤いポートタワーがそそり立っていた。

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