第六話



 翌日、部長から受け取った事前調査資料に基づいて村井沙織の現住所を訪ねた。


 宮津駅から徒歩五分程度、国道百七十八号線の大膳橋を渡って斜めに少し入ったところで、外観がきれいな二階建アパートの二階の一室に沙織は居住していた。


 アパートの前の国道の向こうには宮津港が見えた。


 国道といってもそれほど交通量は多くなく、アパート周辺は住宅と宮津港から水揚げされる魚介類の加工会社や倉庫などが混在しているが、比較的静かな環境だった。


 今夜、沙織が勤めている店を直接訪れるのだから、アパートの近隣や大家への聞き込みは行わないことにした。


 ただ、彼女と息子との写真をどうやって撮ろうかとあれこれ考えてみたが、よい方法は浮かばなかった。


 夜まで時間が余っていたので、天橋立の方へぶらぶらと歩いた。


 広い公園と緑豊富な丘、そして宮津湾、素晴らしい景色に思わずため息を吐く。

 天橋立ビューランドという展望台から、昨日電話したばかりの真鈴に再び電話をかけてみた。


「はい、真鈴」


「あっ、今話せないか?」


「予備校、今講義中なの。あとでかける」


 電話が切れた。


 予備校の講義中になぜ彼女が電話に出られるのかが不思議だった。


 展望台から海を眺めていたら、海と空の分岐点が分からなくなってきた。

 それくらい海も空も鮮やかな青だった。


 空の青に唯一浮かんでいる太陽が私の頭上に強烈な熱射を注いできた。

 それはまるで射るような熱の線だった。


 私は今夜の聞き込みの作戦を考えた。

 この調査は沙織に会う以外に状況はつかめないし、子供の写真撮影も不可能だろう。


 沙織と接触する方法を様々考え続けたが、ともかく以前働いていた店を訪ねてみないことには何も始まらないと思った。

 暑さで思考が揺れ始めたとき、ようやく真鈴から電話がかかってきた。


「どうしたの?」


「特に用事はないんだ。ごめんな、昨日電話したところなのに、また電話してしまって」


「そんな気遣いなんていらないよ」


「ありがとう。真鈴もこの暑いのに夏期講習なんて大変だな」


「夏をどう乗り切るかが勝負って先生が言うのよ。勝ち負けじゃないのに、馬鹿みたいでしょ」


 彼女は小さくため息をついて言った。


「来年、どこの大学を受験するつもりなんだ?」


「えっ?K大学だけど」


 真鈴は平然と言った。


「真鈴」


「うん?」


「僕が抱いている女の子の概念を、君ははるかに超えているよ。頭がクラクラしてきた」


「何言ってるのよ、変な人。じゃ、またね。講義がはじまるから。仕事、頑張ってね」


 電話が切れた。


「K大学か・・・。難易度、超ハイレベルな国立大学じゃないかよ」


 私は声に出して呟いた。


 そして今夜はキンキンに冷えたビールを飲みながら、真鈴のことをもう一度出会ったあたりから、つまり、尾行に気づかれて捕まったあたりから思い起こしてみたいと思った。


 いったん宿に戻ってシャワーを浴びて、夕方五時半を過ぎてから沙織が働いていたとされる料理店へ向かった。


 M氏から聞いていたその店「魚膳」は旅館や飲食店などが並んでいる一角にあった。

 彼が赴任していたころから十三年もの長い年月が経過していたにもかかわらず、今も変わりなく営業を続けていた。


 店の入り口は格子戸になっていて、ガラっと開けると店内は意外に広く、テーブル間のスペースも広くとっていて、ゆったりした雰囲気の店だった。


「いらっしゃいませ」


 愛想のよい和服姿の女性に迎えられ、私は意識的に目の前に調理場が見えるカウンター席の最も奥の位置に座った。


 屋根が高く、テーブルやカウンターをはじめ、店内のものすべてに高価そうな木材を使ったなかなか立派な店の造りだ。


 店には板前さんが三人と店内係の女性がふたりいた。


 ひとりは明らかに五十歳はとうに過ぎている女性で、もうひとりの女性は二十代の前半とみられ、沙織らしき四十歳前後の女性はいなかった。


 まだ時間も早く、客は少なかったので、ビールと料理を適当に注文してから、混み合わないうちに年配の方の店内係に尋ねてみた。


「久しぶりに大阪から出張に来たのですが、もうずいぶん以前、ここに沙織さんという方がいらっしゃいましたよね。今日はお休みなのですか?」


「ああ沙織ちゃんならもうとっくに辞めていますよ。お客さんは久しぶりに来られたのですかね。今は駅の向こうの大膳橋の近くで、自分でお店をやっていますよ」


 大膳橋といえば、沙織が住んでいるアパートがあるあたりではないのか。


「お店って、飲み屋さんですか?」


「まあそうですね。ひとりで小さくやっていますよ。行かれますか?」


 せっかくだしこのあと少し寄って帰りたいからと、店の名前と場所を訊いてメモをした。

 店はおそらく十時半くらいまでは営業しているはずだが、お客さんの具合によっては遅くまで開けている様子とのことだった。


 店内係の女性に沙織の店を教えてもらったあとも、私はしばらく「魚膳」で飲み続けた。


 沙織の店をできるだけ遅い時間に訪れて、閉店間際まで飲むためだった。

 遅くまで粘って酔いつぶれたふりをして、相手を安心させていろいろと訊きだす作戦なのだ。


 ところが魚膳で夜九時前まで飲んでいたら、本当にすっかり酔ってしまった。


 魚膳を出たあと、夜の宮津の街をふらつきながら歩いた。


 大阪などと違って街灯の数は圧倒的に少なく、少し離れた国道を車が走行するときのヘッドライトの明かりが、ときおりサーチライトのように舗道を照らしていた。


 少しふらつきながらもどうにかこうにか沙織の店にたどり着いた。

 店はカウンター席のみ十席程度と小ぢんまりしていた。


 ウイークデーの夜ということで店には男性客がふたりいただけで、その客たちも、私が店に入ってから十五分程で帰ってしまった。


 沙織から直接話を訊くには絶好の条件となった。

 でも私はかなり酩酊していた。


 昼間、天橋立の展望台で真鈴と熱い会話を交わしたこころと身体を冷やすため、「魚膳」で生ビールをたて続けに何杯も飲んでしまったのがいけなかった。


「沙織さん、M氏からの依頼であなたの近況を訊きに来ました」


 危うくそう宣言して、手帳を左手に、ペンを右手に持って取材を始めてしまいそうなくらい、私は酔っていた。

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