第9話 小春

 尾道に着いて伝三に訊いた女忍びの住まいを探した。大きな老舗しにせの乾物問屋の斜向はすむかいにある下駄屋の二階に住んでいるらしい。探すという事もなく住まいはすぐに分かった。人通りの多い広い道に面した間口の狭い下駄屋だった。店に入って主人に尋ねると、行商からまだ帰ってないと言う。半時ほど待つと手押し車を押しながら帰って来た。

「ただ今戻りました。暑い暑い、もう夏じゃわい」

 明るい声だった。背丈は中くらいの痩せた女だ。切れ長の目に鼻筋の通った顔は美形と言って間違いないだろう。行商をしているせいか、若い女にしては色が浅黒い。が、肌はきめ細かく化粧をすれば映えるに違いない。夏物の薄い着物の中には、鍛え上げられたはがねの様な筋肉がひそんでいることが吉十郎には分かった。年は二十五と聞いているが、見た目はもっと若くまだ娘の様だ。気ままな一人暮らしがそうさせるのだろう。同年代の女がたいていは所帯じみているのにそんな気配がない。


「ここの御坊ごぼう御待おまちちじゃ」

 下駄屋の主人が女に声をかけた。

「小春殿か」

「はい、小春でございます」

 小春ははっきりとした声で答えると、吉十郎の顔を見て頭を下げた。

「手紙を預かっておる」

 伝三のしたためた書状を小春は受け取り、すぐその場で封を切り読み始めた。そして、読み終わるや何の躊躇ちゅうちょもなく、

「明後日のつ、国境の橋のたもとで」

 と伝えた。小春は声には出していない。くちびるを小さく動かせただけだ。

「承知」

 吉十郎も声は出していない。

「では、拙僧せっそうはこれにて」

 吉十郎が云うと、下駄屋の主人と小春に軽く頭を下げ、背を向け去って行った。

「近頃には珍しい律儀な御坊じゃのう。何かと言えば金、金の乞食坊主ばかり。つめあかでもせんじて飲ましてやりたいわい」

 下駄屋の主人は、そう言うと吉十郎の後ろ姿に手を合わせた。

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