第8話 女忍び

「吉十郎、その話、わしも一口乗った」

 しばし何やら考えていた伝三が口を開いた。

「何と?」

「わしもその芋が欲しい」

「芋酒を造って飲むので?」

「なんと、情けない。わしを見くびるな。これでも芸州浅野藩、御山奉行やぞ。藩の行く末を思うてのことじゃ」

 

 御山奉行は、その名の如く領内の山間部を受け持つ役割を担っている。芸州の山は痩せた土地で木がなかなか育たない。材木は建築材料としては商品価値がなく、薪に使われるか、せいぜい炭にして売られるくらいなのだ。そして、畑としても、瀬戸内独特の日照りが多い上に痩せた土地という事で作物も育ちにくい。名産と言えば松茸ぐらいなのだが、現代とは違い松茸は商品作物としてはあまり価値はない。御山奉行は代々手を尽くしてきたが、広大な不毛の土地を駆けずり回るだけで、ほとんどが徒労という事を繰り返してきた。そんな訳で、御山奉行は浅野藩の奉行職の中では、誰もなりたがらない、いわば冷や飯食いの扱いをされるのだ。元々は他国者である伝三は、要するに、押し付けやすい立場にあった。あまり期待もされていないのは痛いほど分かっている。それだけに、一矢報いてやろうと心密かに思うのだが、やはり代々の奉行の例を外れることなくあてもなく山を駈けずり回ることだけをこの一年間やって来た。


「その甘藷とや琉球芋とかいう芋、手に入れば分けて欲しい。無論、只で頂こうとは思とったりはせん。わしの方からもお主に助成をするつもりじゃ」

「助成とは、如何いかなる? 立場上、銭を頂く訳には参りませぬが」

「女じゃ、女忍びよ。昔はくノ一とも言うたらしいけんどのう」

 伝三が示した条件は、技量抜群の女忍びを加勢に差し出すので、盗ってきた種芋を分けてくれと言うものだった。


「それにしても、加勢に女忍びを付けるけん種芋をよこせちゅうんも、えらい虫のええ話じゃのう」

 吉十郎は尾道に向かう道すがら独り言を漏らした。

 銭を出すと言うなら、それは汚職となるのできっぱりと断ることができるが、加勢を出すと言うのであれば断り切れない。小春と言う名の女忍びで、伝三が手塩にかけて幼き頃より育てたと言っていた。技量抜群という事もまんざら張ったりでもなさそうだ。

 それにしても、出世と言うものも苦労が絶えないものだと感じ入る。若い頃は、物事に気を巡らす様なことはほとんどなく、何かにつけ、「どうでもええわい」、「どうにかなるわい」、「どうにでもせい」と言う三言さんことが口癖で、陰で「三どう殿」などとあだ名されていたあの伝三が、己の職分の成果を気にかけているのだ。

 女忍びの小春は表立っては尾道で乾物の行商をしているとのこと。行商をしながら隣の福山藩との境で公儀隠密の潜入を監視させているのだそうだが、何度も隠密の潜入を阻止した実績があるらしい。

 小春は、伝三が佐伯さいき郡の代官をしている時に洪水で二親ふたおや、兄妹をすべて亡くし、哀れに思って引き取って育てたと言う。下女、子守として使っていたのだが、その合間に伝三が忍びの技を教え込んだ。その頭の賢さ、身の敏捷さが尋常でないことに気が付いて、何かの折には役に立とうかと思い、半ば面白半分に仕込んだという事だ。ただ、年頃になっていつまでも置いておくわけにもいかずどうしようかと思っていたところ、十七の時、縁あって近くの村の百姓家に嫁ぐことができた。その時は、伝三が嫁入り仕度をしてやったのだそうだ。だが、二十二になっても子宝に恵まれず離縁となって帰って来た。子ができない女ではもう嫁の貰い手もないだろうという事で、今度は忍びとして使うことにしたのだと言っていた。

 尾道まで引き返す道すがら、つくづく伝三に会ったのは正しかったと思っている。なにせ六部僧のいでたちで薩摩に潜入するのは、伝三の言う通り、まさに『怪しい者でございまする』の幟を立てて行くことと同じである。伝三に会って初めて『薩摩飛脚』と言う言葉も初めて知った。知らなければ、伝三が言う様に首がいくつあっても足りなかったであろう。その上、伝三は助言もしてくれた。

「薩摩潜入はいかにも危ない。それよりも、大阪の薩摩の蔵屋敷あたりを探ってみてはどうか。蔵屋敷の役人どもも本国を離れているゆえ気も緩んでおろう。甘藷芋の事も訊き易い。蔵の中にはおそらくその甘藷芋とやらもあるんじゃないか」

 なるほどそれもそうだと、伝三の言葉に素直に従うことにした。実際、あの弥助の爺さんが仕損じたと言う話を聞いて、薩摩と言う国への恐怖が全身にまとわりついたのだ。子らをすべて失い、妻にも先立たれ天涯孤独となった今でも「死」への恐怖はまだ十分残っている。

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