第7話 芋酒

「なんと、日照りに強く、痩せた土地でもよく出来るだと。そのような芋があるのか。甘藷とか申したな」

 伝三は身を乗り出してきた。

大殿おおとのの申されるのはすべて聞き覚え。なにやら昔の剣術仲間に聞いた話だという事で、大殿御自身、見たことはなく、その形や色も分からぬそうでございます。日照りに強く、痩せた土地でもよく育つと言うのも確かなものかというと、果たして断言してよいものかどうか?」

 吉十郎は、身を乗り出してきた伝三に、いささか躊躇ちゅうちょして話を収めに入った。

「では、偽りという事もあるのか?」

 伝三は真剣だ。

「全くの偽りという事はないと思いまする。その剣術仲間、少々かぶき者の御様子なれど嘘偽うそいつわりを申すお方ではないと大殿自ら申されておりました。ただ、少々物事を大げさに言うへきはござるそうで、一のものを五にも十にもすることはままあり、話半分に聞くのだとも申されておられました。その芋で造った芋酒を大殿も召し上がったそうですが、大層旨い酒だったそうでござる」

 

 定基の昔の剣術仲間、近藤一馬こんどうかずまがこの芋の話をもたらしたのだ。定基は、岩松という幼名の頃、叔父の松山藩主、松平定直の勧めに従い江戸でも名高い直心影流じきしんかげりゅう、堀内道場へ通った。そこで知り合い、懇意になったのがこの近藤一馬だった。最初は大名の子息であることを伏せ、旗本の五男坊で松岡岩松との偽名を名乗っていたが、父親が急の病で身罷みまかり十六歳で今治藩の家督を継いだ時、この近藤一馬にだけは身元を打ち明けた。近藤一馬は、一笑に付し、

「おぬしが公方様でも天子様でも同じ事、おいらにとっちゃ岩松だぜ」

 と言い放った。それ以来、ますますその友情は深まった。

 近藤一馬の話では、旗本のごろつき子息たちに囲まれて甚振いたぶられている若侍を助けたのだが、これが薩摩の留守居侍るすいざむらいで、礼にと届けてくれたのがこの芋酒だと言う。

「薩摩では甘藷、唐芋、あるいは琉球芋と称して、広く栽培されている芋から造るそうだが、これが、日照りに強く、せた土地でもよく成り、薩摩ではこの芋のおかげで飢饉知らずという事らしい」

 近藤一馬は、定基に酒を勧めながら語った。あまりに旨い酒だったので誰にも告げず独り占めしようとしていたのだが、残り少なくなって急に、

「お主の顔が浮かんでしまったのよ。このまま飲み干してしまうとなんとも後味が悪い。という事で最後はお主と飲もうかとこの大徳利に入れて持参したのよ、さあさあ遠慮せずどんどんやってくれ」

 近藤一馬はそう言うと、定基の盃にまた芋酒を注いだ。

「それは良い心がけだ」

 そう言って、定基は注がれた芋酒を飲み干した。なるほど確かに旨い酒だ。ほのかに芋の香りがして、口に入れるとかすかな甘みがする。そして、滑るように胃の腑に入って行くその喉越のどごしの良さがたまらない。だが、定基の頭の中では近藤一馬の漏らした、『日照りに強く、痩せた土地でもよく育ち、薩摩ではこの芋のおかげで飢饉知らず』という言葉が何度も繰り返されていた。

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