第5話 坪内伝三

 坪内伝三は、吉十郎よりも十歳年上で、同じく老忍の弥助に忍びの術を仕込まれた先輩でもある。吉十郎が奉公に上がった時は、弥助は九十を越えており、すでに自らの身体を使って教えることはできず、実際は、この伝三に教わったと言っても良い。服部屋敷では兄貴分で、何かと面倒見がよく吉十郎も相談事などはまずこの伝三にしていた。今回も、秘密裏に為そうかとも思っていたが、やはり不安はぬぐいきれず伝三に相談することにしたのだ。


(あの伝三殿が御山奉行とは、出世したものよ)


 吉十郎は伝三が浅野家家臣の家に婿養子として入った時のことを思い出していた。

先代の服部伊織が参勤交代に伴って今治に帰って来た時、伝三に婿養子の話を伝えた。相手は芸州浅野藩の家臣、堀孫四郎、四百石取りの一人娘たつという事だった。三十石取りの三男さんなんの伝三にしてみれば願ってもない話である。

 この時代、武家の婚姻は江戸で決まることが多々あった。江戸で親しくなった者同士が息子、娘、甥、姪らの婚姻を勝手に決めてしまう訳である。無論、本人たちに拒絶の権利はない。相手の娘たつは三度目の縁だった。最初に迎えた養子は一年もしないうちに流行り病で死に、二度目の養子には隠し子が居て破談となった。


「娘も哀れで、もう婿などいらぬと申すのでござるが、それでは子ができるはずもなく、困り果てておる次第で…」

「それならば、うちの家臣にいいのがおりまする。年は二十九と少々いってはおりますが、文武に長け、その質は温厚、婿養子にはうってつけと思われまする。家禄三十石の軽輩の三男でござるが、家は河野につながる名門、血筋は保証いたしまする」

「それは願ってもない事。娘も二度の傷物、二十五の大年増でござりますれば文句は言えぬ立場、どうぞ宜しくお願いいたしまする」

 

 と言う具合で決まってしまうのである。

 吉三郎はこの伝三の婿入りに婚礼道具を運ぶに荷役として付いて行ったことがある。広島城下に入った時、広島の町の大きさに驚いたことを覚えている。それまでは松山が大きい町として頭にあったのだが、その松山の三倍はあろうかと思われた。それ以来の広島である。城下に入って武家屋敷を訪ね歩き、堀伝三の屋敷の前に立って面会を求めた。名を名乗ってしばらく待っていると、伝三が飛び出してきた。

「おお、吉じゃないか、久しぶりじゃのう、何年振りじゃ」

 伝三は手を握りしめ声を上げて歓待してくれた。

「十年ぶりでございます。お父上の法事で帰られた時以来でございます」

「そうか、あれからもう十年か」

 吉十郎は奥の客間に通された。広い庭を持つ大きな屋敷だった。

「さすが四百石の大身の御屋敷、広ろうございまするなあ」

 お世辞ではなかった。今治藩ではこれに匹敵するのは筆頭家老の服部屋敷くらいのものだ。

「なに、四百石とゆうてもこの浅野の家中では中の上と言ったとこよ。今は御山奉行の役扶持として百石上乗せしてもろて都合五百石じゃ。なんとか上の下くらいにはなったかもな。名も堀伝三じゃ」

 そう言うと伝三は扇子で自らの頭を叩いて笑った。やはり、いろいろ苦労もあっただろうが、出世は素直に嬉しいものらしい。しばらくすると、酒と肴が運ばれ小さな宴席が設けられた。運んできたのは奥方自らだった。

「下見吉十郎殿じゃ」

 伝三が奥方に紹介した。

「たつと申しまする。お噂はかねがねよく聞いておりまする。この度は遠路はるばるようお越し下さりました」

 年は伝三の四歳下という事だから四十五。いかにも血筋の良い武家の奥方そのものと言う感じの目鼻立ちの整った婦人だった。

「下見殿は、これからこの姿の通り六部僧になられて諸国を巡礼するそうじゃ。なにせ、四人の子を次々と亡くし、揚句、奥方までもが亡くなられた。そこで、一念発起されたそうじゃ」

 伝三が言って聞かすと、

「それは御可哀想に、手前共も子を亡くしたことがあります。子に先立たれると言うのは親としてこれほど辛いことは、それもすべてとは、その上奥方までも、お気持ちは痛いほど…」

 奥方の目から涙があふれ出した。

「どうぞごゆるりと」

 と言うと、目頭を押さえ逃げるように客間から退出した。

「すまんのう。すぐに泣く女での、あの涙にいつもやられてしまう」

「いえ、お優しいのでございます。しかし、良かったですな、オコゼ西風でございませんで、それどころか大層美形で、若かりし頃はさぞお美しかったでしょう」

「そうよ、その事よ。美形という程ではないが、オコゼ西風ではなかってひと安堵したもんよ」

 オコゼとは、瀬戸内の沿岸で捕れる魚で味はすこぶるいいのだが、姿が醜悪で例えによく使われる。オコゼ西風はこの醜悪な魚が西風を受けて顔をしかめたという意味で瀬戸内沿岸では不細工な女の事を指して言う。顔も分からぬ女を妻にする男は、やはりこのことが一番気になる。婿入りに向かう船の中で伝三が吉十郎に漏らした不安を思い出して言ったのだ。


「ところで、この度は何の相談ごとじゃ。遠慮のう言うてみろ。その六部僧のいでたちもまやかしのもんじゃろう」

 伝三の方から切り出した。すべて見抜かれていた。

「御明察、しかし何故お分かりか?」

「お前は悩み事があってなかなか口にできぬ時、左目を半開きにする癖がある。ちいーとも変わっとらんのう」

 さすがに伊賀一と謳われた弥助の一番弟子。弥助自身が自分の若い頃よりも上だと言った男。忍びの術においては最後まで伝三にはかなわなかったのだが、やはり今度もやられたかと思うと苦笑いをするしかなかった。

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