第3話 芋泥棒

 それは半月ほど前のこと、家老の服部伊織から呼び出しの書状が届いた。病がえたならすみやかに屋敷に出仕せよとの命だった。吉十郎は病を得て出里の大三島に引き籠っていた。吉十郎の病は「気鬱きうつ」であった。四人の子供を次々に亡くした上、妻にまで先立たれ、重いうつ状態になったのだ。見るに見かねた主人の伊織が故郷の大三島に帰って静養することを勧め、それに従った。三年ほど野良仕事や釣りなどをしてのんびりと暮らしているうちに大分よくなってきて、そろそろまた出仕しようかと思っているところの呼び出しだった。しかし、病が癒えたなら速やかに出てこいと言う内容に尋常ならざるものを感じ下命の如何なるものかを思うと気が重たかったのだ。

だが、与えられた仕事は、「芋泥棒」。

「わしも芋泥棒まで落ちたか」

 吉十郎はそうつぶやくと一人笑いをした。

「吉十郎様、何が可笑しいのでございますか?」

 また船頭が声をかけて来た。

「いや、面白い仕事を仰せ付かってな」

「それはどのような仕事で?」

「いや、これは誰にも言えんわい。けんど、皆の役に立つ仕事かもしれんけんのう、楽しみに待っとってくれ」

 吉十郎は「芋泥棒」の値打ちを図っていた。とてつもない値打ちがあるものかもしれないのだ。


 昨日のことであった。呼び出しに応じ吉十郎が大三島を発ち久しぶりに服部屋敷に出向いたその日の晩、服部伊織に奥の座敷に連れて行かれた。そこには身だしなみの良い一人の若い侍が床の間を背に座っていた。

「大殿じゃ」

 伊織の言葉に驚いて、下げていた頭をさらに畳に擦り付けるように下げた。

「そんなにかしこまらんでよい。頼みごとをするのはこちらの方じゃ。そう畏まられては頼みづろうなる。頭を上げよ」

 若い侍はそう言うと、近くに寄るように扇子を傾けた。

行燈あんどんの炎に薄ぼんやりと照らし出された顔は、いかにも涼しげで、その毛並みの良さは一目で分かった。豫洲今治藩第四代目当主、松平采女正定基まつだいらうねめのしょうさだもと、先代の急死で十五歳で家督を継ぎ十年、参勤交代により先月今治に戻って来たばかりである。

「実は、そこもとにある物を盗んできてほしいのじゃ」

 定基は早速用件を切り出した。

「ある物を盗めと?」

「そうじゃ」

「して、ある物とはいかなる物にございましょうか?」

「芋じゃ」

「芋?」

「そうじゃ、芋じゃ」

「芋と言うと、食う芋で?」

「食う芋よ。食えない芋を盗ってきてどうする」

「はあ、それはどのような芋で?」

「甘藷芋、琉球芋、あるいは唐芋とも言うらしい。琉球から伝わった芋で、薩摩の国でしか作られておらんと聞いた。薩摩ではこの芋を門外不出にしておるそうで、八方手を尽くしたが手に入れることは無論、目にかけることもできなんだ。手に入れるには薩摩に行って盗んで来るしかない」

 これ以上、芋の事については定基は知らぬと言った。ただ、この芋は痩せた土地でもよく育ち、日照りに強く、狭い土地でもたくさんの収穫があるらしいとも付け加えた。吉十郎はこの言葉に敏感に反応した。狭くて痩せた土地、日照りが続く気候、吉十郎が生まれ育ち、今なお住む芸予諸島そのものではないか。話が本当だとすれば、この未だ見知らぬこの芋がどれほどの益を芸予の島々にもたらすであろうか。

 芸予諸島では五年に一度は干ばつにみまわれる。十年に一度は大干ばつに襲われ餓死者も多数出る。つい三年ほど前も大干ばつに襲われ、嬰児えいじ殺しが横行し餓死者は三百名に達した。この四代目の大殿、皆は凡庸だと噂しているがそんな事はない。伊予大三島を故郷にする自分に白羽の矢を立てたのもそれなりの魂胆があったのだろう。


「薩摩に行って盗んで来てくれぬか」

 定基は、そう言うと軽く頭を下げた。

「必ずや仰せの通りに」

 吉十郎は反射的にそう答えてしまった。まさか大殿が自分如きに頭を下げるとは思ってもみなかったのである。

「すまんのう。宜しく頼むぞ」

 定基はそう言うと側に侍る家老の服部伊織に目配せをした。伊織は、五十両の束を二つ敷布に載せて吉十郎の前に差し出し、

「当面の入用に使え、足りねば何時でも文をよこせ。手形を送る」

 と言い、そして、少し砕けた口調で、

「吉十郎、大殿はそなたの忍びの技を一つ見てみたいと所望されておる。何かお見せできる技はないか?」

 と続けた。

「お恐れながら、忍びと申しましても、それがしすでに忍びではござりませぬ」

「はて?」

 定基がいぶかしげな顔で問う。

「忍びとは人を忍んでこその忍び、大殿にはそれがしが忍びと分かっておられる。忍びとばれた時は忍びはすでに忍びではござりません」

 吉十郎はきっぱりと答えた。老忍の弥助が常日頃から口癖のように使っていた言葉を反復したのだ。

 江戸幕府が開かれて百年を越し、忍びの活躍はすでに伝説となってしまっている。辻の講談師たちが「空を飛んだ」だとか「水の上を歩いた」だとか、あるいは「馬を飲みこんだ」だとか、いい加減な作り話を作って物語を面白くしているが、そんなものはあくまで絵空事に過ぎない。だが、この大殿も若いがゆえに半信半疑ながら忍びの使う技に興味があるのだろう。

「どうじゃ、なんでもいいから一つご覧に入れられぬか」

 伊織が笑いをこらえながら頼む。

「では、この金子、遠慮のう頂いておきます」

 吉十郎は、手前に差し出されている五十両の束を掴むと懐に入れた。そして、もう一つの束を掴むとまた懐に入れた。

「あっ、まだございまするな。ではこれも」

 吉十郎は、敷布を見ると手を出した。そこには、すでに無くなっているはずの五十両の束二つが乗っていた。二度繰り返し、

「三百両頂きましたのでこれで十分、手形は無用にございまする」

 と言ってにやりと笑った。

 忍びの術と言う程のものではなく単純な手品なのだが、若い定基を驚かせるのにはこれで充分であった」

「どういう事じゃ、何で百両が三百両に?」

 定基が目をむいで驚く。

 側で家老の服部伊織が笑いをこらえきれず吹きだした。

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