第2話 忍びの心構え

「甘藷、はたまた琉球芋というが、大殿も御家老も見たことはないという。見たこともない物を盗んで来いとは…」

 また愚痴ぐちった。だが、その一方で吉十郎は安心もしていた。家老、服部伊織に呼び出された時は、また人を殺せとの下命かと心が重たかったが、芋を盗んで来いとは拍子抜けがした。吉十郎は先代の家老の命で何度か人を殺めたことがある。忍びの技を遣い人を闇に葬るという陰の仕事であった。後味の悪い仕事だった。忍びの術は幼い頃より仕込まれるのが普通で、人の道、情け等を身に付けた後ではそれらが邪魔をして、冷酷、非情に成り切るのが難しい。吉十郎が技を覚え始めたのは成人してからであり、冷酷、非情に徹するには遅すぎたのだ。

 戦乱の世はすでに遥か遠く、忍びはもはや伝説となっていたこの時代、吉十郎は伊賀の忍術を伝える数少ない忍びの一人だった。そう、家老の姓は服部、かの服部半蔵の直系にあたる。服部家は、久松松平が桑名、伊勢長島から松山、今治の地に転付になった折、その家老としてこの今治の地にやって来た。藩祖、久松定勝の娘の松尾姫が服部半蔵の嫡男正就の正室であり、服部家が断絶した後、定勝が、その孫たちを不憫ふびんに思いそれぞれ久松松平家の家老として仕官させたのに由来する。今治藩では代々服部伊織はっとりいおりを称し千石の知行で今治藩の筆頭家老職を幕末まで続けた。

 この服部伊織家に下男として付いて来た一人の老忍がいた。すでに年は九十を越え、枯れ木の様な体をしていたが、若い頃は伊賀一の忍びと称され、大阪の陣の折、いち早く豊臣方の不穏な動きを江戸に知らせたというのが自慢であった。吉十郎は、この老忍にその頭の機転と身体の敏捷を見込まれ、奉公に上がった十五の年から忍びの術を仕込まれたのだ。

 この弥助という名の老忍は足を引きずっていた。その昔、豊臣の残党狩りに出向いた時に負った傷が元だと言っていた。鉄砲で左足のすねを射抜かれ、以来、走ることはもとより、杖なしで歩くことさえもままならなくなった。使い物にならなくなった忍びは捨てられる運命にある。だが、初代の服部伊織は、哀れに思ったのか下男として雇ってくれた。そして、久松家の転付とともに服部家に従いこの今治の地までやって来たのだ。弥助は物の役にも立たなくなった自分を使ってくれ、雨露を防ぐ小屋と身に纏う衣、日々の飯と采を与えてくれる服部家に深い恩義を感じていた。


「弥助殿が今までにやり遂げてきたことを思えば、然りではあらぬか」

 

 吉十郎は、一度問うてみたことがある。今まで上げた手柄をもってすれば老後の生活の保障は当然のことではないかと言うことである。弥助は答えた。

「忍びには今しかない。昔もなく、先もない」

 忍びは今現在どのような働きをするかで試されるものであり、過去にこれだけの仕事をしたか、未来にどれだけの仕事をするかなどは何の意味もないという事だ。吉十郎は、忍びの世界の無常さに愕然あぜんとしたことを覚えている。

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