芋地蔵

かわごえともぞう

第1話 下見吉十郎秀誉

「それにしても芋を盗んで来いとは…」

 瀬戸内の中央部に位置する海の難所、来島海峡を渡る渡海船の欄干に座り、午後の日の光を反射してキラキラ光る波を見つめながら男は一人つぶやいた。深い皴を顔に刻んだ浅黒い精悍な顔つきの男だ。白髪交じりの髪を後ろで縛り、腰には二本の大小を差している。長身の引き締まった体がその剣の腕もさぞやと思わせる。見るからに牢人の風情なのだが、そうではない。豫洲よしゅう今治藩筆頭家老、服部家に仕える主持あるじもちである。


下見あさみ様、何をブツブツ独り言を…」

 船頭が声をかけて来た。

「いや何でもない。ここの景色は何度見ても絶景だと感じ入っとったんよ」

 時は正徳元年五月、芸州げいしゅう豫州よしゅう、今の広島県と愛媛県の間に連なるように並ぶ芸予げいよ諸島は最もその美が生える季節である。漁師たちが一本釣りで釣り上げる真鯛まだい朱色しゅいろまぶしく輝く。

「この春は鯛が豊漁の様じゃのう」

「へい、漁師共も大層喜んでおりまする。下見様も鯛はお好きで」

「あたりまえよ。この時期に捕れる鯛は格別じゃけんのう。鯛は刺身でも、いても、やいてでも、吸い物でも何にでもええしな。いかん、こら早速鯛飯が食いとなったわい」

 男はそう言うと大きな声をたてて笑った。

 

 男の名は、下見吉十郎秀誉(あさみきちじゅうろうひでたか)、この年39歳になる。平安以前より900年に渡り伊予を支配した豪族、河野氏の末裔で、寛文13年(1673年)伊予大三島に生まれた。河野氏は秀吉の四国征伐でその力を失ったが、江戸幕府が開かれ徳川の世になっても地方の名族としてその血筋は尊ばれた。

 江戸初期、徳川家康の異父弟、久松定勝ひさまつただかつを藩祖とする久松松平が、桑名藩、伊勢長島城からそれぞれ松山、今治の地に転付になりやって来た時、河野氏につながる者達が多数現地採用され、また郷士として遇された。吉十郎は伊予大三島の郷士の家の三男として生まれた。伊予大三島は松山藩領であるが、今治の沖にあることで、実際は今治藩とのつながりの方が深い。人々も松山にまで出向いて商いをしたり、奉公をしたりする者はおらず、大概は今治で済ませる。吉十郎も元服をしてすぐ15の年、今治藩の筆頭家老服部家に奉公に上がった。


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