全て見た

マコンデ中佐

第1話 🪷

 ベッドには入ったがまんじりともせず、寝返りを打った耀司が時計を見ると、午前零時を回っていた。


 薄く開いたカーテンから、月の光が差し込んでいる。


 高校に入って半年、授業や部活で体も頭も疲れている。なのに寝付きが悪いのは、強すぎる月明かりのせいだけではない。


 騒がしくはない。しかし、外に人の気配がある。


 カーテンの隙間に見えるのは、隣家の前の車が一台。スーツ姿の男がふたり。玄関を開いたおばさんの、強張った顔。


 ベッドサイドのスマホが震えた。


莉子りこねえちゃん……」



◆ ◆ ◆



 耀司の姉が死んだのは、ひと月前の事だった。


 高速道路をまたぐ陸橋から、下へ落ちた。


 遺書は無かった。明るい性格はかげらぬままで、おかしなところは何もなかった。


 あの姉が、自殺したとは思えなかった。


 そこから、次々と人が死んだ。明白な連続殺人の、被害者は全てこの市内に集中している。


 すると姉は、この一連の殺人の、最初の被害者なのかも知れない。耀司はそう考えていた。



◆ ◆ ◆



「ごめんね。こんな夜中に呼び出して」


 耀司にメッセージを送ったのは、隣の家に住む莉子りこだった。


 姉と同じ十八歳。幼馴染みで無二の親友。今は、都内の大学に通っている。


 外灯もない堤防の上、白のコットンシャツと細身のジーンズが、満月の光に浮かび上がる。背中まである黒髪を秋の夜風に吹かれても、少しの寒さも感じていない。


「あんたにだけは、話しておこう……ううん、聞いて欲しいと思ってさ」


 スウェットの上にブルゾンを羽織り、寝静まった親を起こさぬように家を出たのは、予感があったからだ。


 呼び出された土手の上には、一面の彼岸花が咲いている。ひんやりとした夜の風に、赤い花がゆらゆら揺れる。


 莉子がそうであるように、耀司も寒さは感じていない。しかし、せり上がってくる恐れと不安が、身体をぶるりと震わせた。


「話って、何だよ」


 つまらない事なら、承知しない。


 いつもの調子を装う耀司は、できればそうであって欲しいと願う。


「知ってるでしょ、連続殺人。あれ、あたし」


 いつもの調子で返した莉子は、からかうように、少し笑った。


 驚いたでしょ?


 悪戯いたずらを仕掛けた時の、いつもの笑顔は、いっそ誇らしげですらある。


 姉が死んで幾日も経たない内に、次の被害者が発見された。公園での絞殺。凶器はパソコンの電源ケーブルで、死体の首に巻き付いたままだった。


 姉の遺体が検死から戻り、執り行われた通夜と葬儀。


 一睡もせず、棺の傍から離れなかった莉子は、一粒の涙も落とさず、固く唇を結んでいた。耀司とも、他の誰とも殆ど言葉を交わさず、ただ宙をにらんでいた。


 その数日後に、次の死体が見つかった。堤防脇の用水路での刺殺。凶器の柳刃包丁は、被害者の腹に刺さったままだった。


 そして更に一週間後。今の所は最後の死体が発見されたのは、この河川敷だった。


 凶器は拳銃。夜間に発砲音の通報は無かったが、額と胸に一発づつの銃創があった。


 凶器に指紋は見つからないが、死体は放置されていて、犯行を隠蔽いんぺいする素振りがない。


 死体には争った跡がなく、凶器を準備した計画的な犯行。


 そして、被害者は全て、市内にある県立高校の卒業生で、同じクラスの生徒だった。


 テレビや新聞、連日の報道は凶悪な連続殺人に賑わった。


 顔見知りの犯行なのは明白で、動機が怨恨えんこんなのは素人にも分かる。


 犯人逮捕は時間の問題。殺人犯の検挙よりも、その動機となった恨みの物語に、世間の耳目は集中していた。


「なぜ、そんな事を……」


 耀司の予感は当たっていた。あの葬儀で見せた莉子の様子は、親友の死を悲しむ幼馴染みのそれではなかった。


 しかし、そうだとしても経緯が分からない。


 子供の頃から一緒だった、隣の家の住人が、そんな事をする理由に、想像すらつかない。


 だから、口をついて出たのは、そんな素朴な質問だった。


「姉ちゃんを殺したのも、莉子ねえちゃん、なの?」

「そんなわけが、ないでしょ」


 口の中が粘着ねばつく。飲み込む唾液もないままに、喉だけがゴクリと動く。飲み物が欲しいと、耀司は思った。


彼奴あいつらのせいで、あの子は死んだ」


 だから、殺した。



◆ ◆ ◆



 子供の頃から、仲良しだった。


 たまたま家が隣だったからではない。たまたま同い年だったからではない。そんな偶然では片付けられない。


 出逢った事を誰かに感謝したくなるような、そんな相手だった。


 明るくて優しい。いつもニコニコしながら後を付いてくる。のんびりした性格は、せっかちな莉子とは正反対だが、それでもふたりは馬が合った。


 小中高と同じ学校に通い、友達付き合いも遊びに行くのも全て一緒。あの子の具合が悪ければ、莉子も用事をキャンセルしたし、逆の時も同様だった。


 そして、その関係は、思春期になっても変わらなかった。


 モデルのような細身の美人。莉子には男が寄ってきた。男なんか下らない。これっぽっちも興味はない。


 しかし、あの子が行きたいと言えば、渋々ながらも付き合った。


 あの子は自分に自信がなかった。笑っていれば可愛いのに。あの朗らかさは、作って出せるものではないのに、それを言っても信じなかった。


 だからなのか、あの子の恋愛に対する憧れは、かえって人より強かった。


「飯塚くんて、優しいよね」


 莉子といるから優しくされる。莉子へのアピールのおこぼれに預かっている。多分、あの子は分かっていたけれど、それが自分に向くのを望んだ。


「まったく、見ていられなかったわよ」


 次の休みに着る洋服も、喫茶店で頼むケーキも決められない。どれにしようか、何がいいか。いつもは何でも莉子に聞くのに、肝心な事は相談しない。


 何でも莉子に頼るのは、良くない事だと思ったのだろう。少々の事は良いとしても、大切な事は自分で何とかしようと決めたのだろう。


 もしかしたら、駄目だった時の事を考えて、莉子を困らせるのを嫌ったのかも知れない。


 小心なのがコンプレックス。引っ込み思案を克服したくて、反動が出る。


 そんなあの子のアプローチは、スマートさの欠片もない。見るに堪えない不器用さだった。


 無理にはしゃいで、笑って、媚びた。


 そしてやはり、無様と言っても良いほどに、振られた。


「それを慰めるのは、あたしなのよ」


 自分らしさをかなぐり捨てて、付け焼き刃の可愛い女を演じた。自己嫌悪と恥ずかしさに嗚咽おえつしながら、それでも相手を悪くは言わなかった。


 しかし、失恋の傷が癒えてしまうと、あの子はまた恋を求めるのだ。


 あれだけ嘆き悲しんでおいて、それを人に慰めさせておいて「角田くんて、素敵だな」と来る。


 莉子に対して向けられた、薄っぺらな猫撫で声に、あの子はまんまと引っ掛かる。男を見る目が、致命的に欠けている。


 しかし、恋に恋する乙女になったあの子に対して、莉子は何も言えなかった。


 角田の後は豊本だった。高校を卒業して半年後の、いささか早すぎる同窓会。


 解散のあとで告白をして、三年で三度目の失恋をした。


「余計な事は相談してくるくせに、肝心なことは勝手に決めるのよ」


 その数日後、あの子は道路に身を投げた。


 その直前に、電話があった。


 飯塚も角田も豊本も、自分を振った後で、莉子に告白したのを知っていた。無論、莉子がそれを断ったのも知っていた。


 その三人の男たちが、陰で自分をわらっていたのを知っていた。それでも振り向いて欲しいと願っていたが、無理だった。


「ごめんね莉子ちゃん」


 莉子には何も言わせず、電話は切れた。



◆ ◆ ◆



 下らない男を好きになって、ダメ元の恋愛にそれでも頬を緩ませる、あの子を見た。


 小さな恋への期待が無惨に踏みにじられて、子供のように泣く、あの子を見た。


 そして、それをあざける男を見た。


 だから、殺した。


 元々は自分に気のある男たちだ。親友を失って寂しい。事件の事が不安だと持ち掛ければ、呼び出すのは簡単だった。


 素人の殺人など、隠しおおせる物ではない。人目もカメラもない場所を選んでも、いづれ事は露見する。


 だから、短期間に連続して殺した。捜査の手が伸びる前に、やってしまう必要があった。 


 耀司は口を挟めない。とても現実とは思えない話の連続に、ついていくのがやっとだった。


 しかし、これが嘘でも冗談でも無いことは、嫌というほど分かっている。


 だから、ただ黙って莉子から目を逸らさず、聞いている事しかできないでいる。


「あたしね。あの子の事が好きだったのよ」

「…………」


 しかし思春期になって、異性との恋愛に夢を持ったあの子の嬉しそうな顔を見ていると、そんな事は言い出せなかった。


 男なんかに取られたくない。その嫉妬心を、見抜かれるのが怖かった。


 子供の頃からの関係を失うのが、一番恐ろしい事だった。


 あの子が幸せになるなら、それでいい。自分は親友として、ずっと一緒にいればいい。


 そう思って諦めた。しかし、そうはならなかった。


 こんな事になるのなら、自分のものにしてしまえば良かった。


 優柔不断で引っ込み思案は、実はあたしの方だった。


「ねえ、知ってる?」


 ずっと耀司を見つめていた目が、ふと下がる。そこには月に照らされた彼岸花が、斜面に拡がっている。


 彼岸花には毒がある。


 赤い花は美しいが、地面の下の球根にある毒は、ねずみ土竜もぐらを寄せ付けない。


 だから、大切な場所の周りに、彼岸花は咲いている。


「あたしは、彼岸花には、なれなかったよ」


 それまで毅然きぜんとしていた莉子の声が、かすかに揺れた。顔を上げると、頬に一筋の涙が流れた。


「ごめんね、耀ちゃん」


 この罪を、他人に裁かせるつもりはない。


 実らなかったあたしの恋は、墓の中まで持っていく。


 でも、自分とあの子の死の真相を、誰か一人にだけは伝えたかった。それは、耀司以外にあり得なかった。


 腰の後ろから取り出したのは、黒光りする拳銃だった。


 伝手つてを辿って、身体を許すのと引き換えに、街のチンピラから手に入れた。


 銃口を咥えると、脳に向かって引き金を引いた。


 月明かりのコンクリートに、細く幾重にも赤い筋が流れた。


 道の向こうから車が来る。赤色灯が音もなく回っている。


 耀司は無言のままで、その場を後にした。

 

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