12話 世話役が泣いた日①

「――本日より王女様の世話役を務めることになりました。よろしくお願い致します」


 リリアの部屋の前で、アンは滔々とうとうとそう言って頭を下げた。リリアはベッドから飛び跳ねるように起き上がり、即座にアンの元へ駆け寄った。


「アン~! よくぞ来てくれました!! これからよろしくね!」


「はい。よろしくお願い致します」


 リリアの発言を訂正することなく返事をするアン。リリアは嬉しさのあまり目を輝かせ、その頬はポッと赤く染まった。


「ねぇねぇ何しよっか? 何して遊ぼっか!」


 ルンルンと身を揺らしながら笑顔で尋ねるリリア。アンと共に時間を過ごせることが嬉しくて仕方がないのだ。


 しかしそんなリリアに対して、アンは無表情で答える。


「まずは部屋の掃除をします」


「え~、そんなの後で良いじゃーん! 遊ぼうよ」


「いいえ。今しなければいけません」


 リリアは眉をひそめながらも、時間はたっぷりあるんだから大丈夫だと自分に言い聞かせた。


「掃除が終わったら遊ぶ!」


「掃除が終わったら洗濯をします」


「じゃあ洗濯が終わってから!!」


「洗濯が終わったら買い出しに――」


「って全然遊べないじゃん!!」


 アンの言葉を遮り、以前にも増して大きく頬を膨らませるリリア。嬉しさと面映ゆさで赤く染まっていたはずのその頬は、いつの間にか怒りの赤に変わった。


「アンは私の友達なんだから、少しくらい一緒に遊んでよ!」


「私は貴女様の世話役です。これまで各担当のメイドが行っていた家事、教育、その他貴女様に関わる諸々の仕事をまとめて私が請け負っております。ご了承ください」


 これまでリリアの世話役は一人ではなく、複数のメイドで役割分担をして担われていた。メイド一人では手に負えないからである。しかし今回リリアの世話役として、幼いながらもメイドの仕事を完璧にこなすアンに白羽の矢が立ったのだった。


 アンは言い終えると部屋をスタスタと歩き回り、掃除を始めた。リリアはすっかり不貞腐れ、プンプンと頭上に蒸気を上げながらベッドに飛び込んだ――。



 *  *  *  *  *



「――様」


 ‥‥‥。


「――女様、‥‥‥てください」


 ‥‥‥。


「――王女様、起きてください」


 アンに何度も呼びかけられ、リリアはうっすらと意識を取り戻し始める。ベッドに飛び込んでから、そのまま眠ってしまっていたのだ。


 リリアがあまりに目を覚まさないので、アンはリリアの肩をゆっくりと揺さぶった。


 アンは、リリアが一度眠ってしまうとなかなか起きないことを事前にバラーノから教わっているが、リリアの起こし方までは教わっていない。それで、とりあえず優しくリリアを揺さぶってみている。


 意識を取り戻しかけていたリリアだったが、その揺さぶりがあまりに心地よく、また意識を手放しそうになる。


「王女様、起きてください」


 しかしその声がアンのものだと気づき、リリアは重たい瞼をぐっと上げて覚醒した。


「アン‥‥‥?」


「はい、アンです」


 目を擦りながら上体を起こすリリア。アンに起こされることで、自分の傍にアンが居るという実感が湧いてリリアは心がじんわり温かくなるのを感じる。


 そして、もしやアンがいよいよ自分と遊んでくれるのかと、勝手に気分が舞い上がった。


「――王女様、勉強のお時間です」


 受け入れたくないアンの一言。


「‥‥‥えぇ~」


 リリアは俄然、気分が落ち込む。


 アンに起こされて何かと期待すれば、勉強か‥‥‥。リリアは勉強に対して強い苦手意識がある。少しも興味のないことを延々と教えられることに不快感があるからだ。


 既にアンは、片手に分厚い本を開いていた。その本にリリアは強く覚えがある。先日までリリアに勉強を教えていたメイドが、常に持ち歩いていたものだ。


 リリアはその本の中を見たことがあるが、どのページにもびっしりと細かい文字が羅列しており、目眩がするほどだったことを思い出す。


「勉強はやりたくない!」


 苦虫を噛み潰すような表情で勉強を拒むリリア。しかしアンは、それで引き下がる訳にはいかない。リリアにやるべきことをきっちりとさせるよう、ヘンドルに言い付けられている。


「勉強をしなくてはいけません」


「嫌だ嫌だ嫌だ! 勉強なんて分からないことだらけなんだもん!!」


 リリアはベッドの上でじたばた騒ぐ。それでもアンは表情一つ変えることなく言った。


「分からないことは、全て私が教えます」


「勉強嫌だ嫌だ嫌――」


 リリアの動きがピタリと止まる。そしてリリアは考えた。


 アンが勉強を教えるということは、勉強の間はずっとアンと話ができるということ。この先アンが自分と同じ空間に居るとしても、掃除や洗濯などの間はまともに話をすることができないだろう。つまりアンが世話役となった今、リリアにとって勉強の時間とはアンと話ができるとても貴重でこの上なく喜ばしいことであるのだ!


 これに気づき、リリアの考えは改まった。


「勉強‥‥‥やる!」


「それでは、椅子におかけください」


 リリアはアンに促され、椅子にちょこんと腰かけて机と向き合った。



 *  *  *  *  *



 ‥‥‥それからのリリアはというと、驚くほど真剣に勉強していた。


「では先ほどお教えした四大元素、全て分かりますか」


「火と、水と‥‥‥風! あとは‥‥‥うぅ~、分からない!」


「あと一つは、土です。この四つの元素によって世界は構成されていると言われています」


「そっか土か!! でも本当にその四つだけでこの世界ができてるの? 葉っぱとか雷とか、もっといろんなものがあるのに!」


「はい。それは――」


 リリアはアンと会話ができるだけで嬉しかった。これまで分からないことや興味のないことを前にするとすぐに考えることを放棄していたリリアだったが、アンが世話役となってからは、何でもアンに尋ねて自分でもよく考えるようになった。

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