11話 王女と世話役の出会い③

 アンがヴァルトリア王城のメイドとなって数日。アンは八歳という幼さにしてメイドの仕事を難なく覚えていく。これにはベテランメイドのバラーノでさえも驚いているという。


 それまでアンは捜査員としての仕事だけを淡々とこなしていたらしく。なのでメイドとして働くとなると慣れるまでに時間がかかるだろうとヘンドルは案じていたが、彼女はものの見事に適応してみせた。


「――国王様。先日の第四捜査班の件、本当に何も対応をとらなくて良いのですか? わざわざ上位五班トップファイブが出向くということは、世界政府は相当この国を警戒しています」


 玉座で物思いに耽るヘンドルの横で、衛兵のリーダーが尋ねた。


「‥‥‥ああ。だが疑われるような悪しきことなど、このヴァルトリアにはないだろう」


 ヘンドルは目も合わせずに虚ろな声でそう答える。


「もしや政府は、この国が"異世界人召喚"の研究を進めていることに勘づいているのでは!?」


「そうであっても、それ自体が罪に問われる訳ではあるまい。政府と敵対するつもりもないのだから、堂々と振る舞えば良い」


 上の空で返答するヘンドルに、衛兵のリーダーは首を傾げた。


「国王様。先ほどから一体、何をそう思い悩んでおられるのです? 夢幻鏡を差し出したことを悔いておられるのですか?」


 ヘンドルは一つため息をつくと、ようやく衛兵のリーダーと目を合わせて答えた。


「あんな小物など、どうでも良い。私が懸念しているのはアンのことだ」


 ヘンドルに残る懸念は、アンの精神面について。アンは泣くこともなければ、笑うこともない。彼女は一切感情を表に出さない。それどころか、そもそも何も感じていないようにすら窺えた。


 その原因がギールにあるとヘンドルは考えている。ギールの支配から解放された今、アンの精神に何らかの変化があるのではないかと期待していたが、彼女は無表情のままだった。


 事は思っていた以上に深刻らしい。


「少し、外の空気でも吸ってくるとするよ。君も少し休みたまえ」


 ヘンドルはゆっくりと立ち上がる。


「お気遣い痛み入ります。しかし貴方様を護衛するのが私の使命ですので」


「君はまだリーダーに就いて間もない。頑張ることを悪いとは言わないが、あまり張り切りすぎてもいけないぞ」


 ヘンドルはそう言い残して部屋を去った。衛兵のリーダーはヘンドルの背中に向かって深く頭を下げた。



 *  *  *  *  *



 外に出るつもりが考えに耽りすぎ、ヘンドルの足は廊下の半ばで止まってしまった。


 アンは極限まで心を塞ぎ込んでしまっている。彼女の心を開くには、どうすればよいのか‥‥‥。


 窓からぼーっと外を眺めて悩むヘンドルの前に、一人の小さなメイドが現れた。アンが偶然通りかかったのだ。


 アンはすれ違い際に立ち止まり、ヘンドルに深く礼をしてまた歩き出す。丁寧な動作だが、やはりそこには一切の感情がないよう。


 その小さくも大人のように落ち着いたアンの背中を見つめていると、また一人、今度はドタバタと慌ただしい小さな王女が現れた。


「アン見つけた~!! ねぇ遊ぼ遊ぼ!!」


 リリアが目を輝かせてアンの前に立ちはだかったのだ。


「私はメイドです。仕事があるので、王女様と遊ぶことはできません」


 アンはまるで手引き書をそのまま読み上げるかのような、緩急のない声音で答えた。リリアは小さな頬をぷくりと膨らませて眉をひそめる。


「少しくらい良いじゃーん。アンの意地悪!」


「私は意地悪ではなくメイドです」


 この問答を聞いてヘンドルは心の中で苦笑した。あしらい方が明らかに八歳のそれではないからだ(アンにはそもそもあしらっているつもりすらないのだろうが)。


 長くアンの足を止める訳にもいかないし、そろそろリリアを注意しようとヘンドルが動き出したその時。


「そうだ良いこと思いついた! ‥‥‥そのお仕事、サボっちゃおうよ!!」


 リリアは満面の笑みでそんなことを言い出したのである。ヘンドルは目を丸くした。


「仕事をサボることはできません。叱られます」


「大丈夫だよ! みんなにバレなければ良いんだから!」


 我が娘ながら、一体リリアは何を考えているのか? 目の前で見ているじゃないか、国王である実の父が!!


「さ! 私の部屋に行こう!!」


 リリアがアンの手を引いてヘンドルの真横を通過しようとして。


「待ちなさいリリア」


 ヘンドルは低いトーンでリリアを呼び止めた。リリアはびくりと肩をすくませ、足の動きが止まった。そしてカクカクと少しずつ首を横に向けていき、その視界にヘンドルを認める。


「お、おおおお父様!? どうしてここに!?!?」


「私はずっとここに居ただろう! なぜ今の今まで気づかなんだ!?」


 リリアは良くも悪くも、何かに夢中になると周りが見えなくなるところがある。第四捜査班が訪れた時もそうだった。ギールとヘンドルの会話は勿論、自分が暴行を加えられそうになったことすら気づいていなかった。


 ヘンドルに呼び止められてなお、リリアは懲りない。


「ねぇお父様ぁ、アンと遊ばせてよ!」


「駄目だ。アンにはやるべきことがある。リリア、お前にだってやるべきことがあるだろう?」


 ヘンドルの問いかけに首を傾げるリリア。彼女の頭上には疑問符が踊る。やはりアンに夢中ですっかり頭から抜けているようだ。


「今は勉強の時間だぞ」


 ヘンドルがため息混じりでそう言うと、ちょうどどこかから女性の声が聞こえてきた。


「リリア様~! どこにいらっしゃるのです~?」


「あ‥‥‥」


 自分を呼ぶその声を聞いて、リリアはようやく思い出した。廊下の向こうから一人のメイドがやってくる。つい先ほどまでリリアに勉強を教えていたメイドだ。


「リリア様! こんなところにいらしたのですね! さぁ早く、お勉強に戻りますよ」


「えぇ~」


 露骨に嫌そうな表情をするリリア。ヘンドルはため息が止まらない。


「私はこれからアンと遊ぶの! そうだよね、アン! ‥‥‥って、あれ?」


 キョロキョロとあちこちを見回すリリア。そこにはもう、アンの姿はなかったのだ。


「アンはメイドの仕事に戻ったのだ。だからリリアも勉強に戻りなさい」


「‥‥‥そんなぁ」


 ヘンドルに言われ、リリアは泣く泣くメイドと部屋に戻っていった。


 ――廊下が静かになって、改めてヘンドルはため息をついた。


 リリアは随分と我が儘な娘に育ってしまったものだ。幼児期に少し甘やかし過ぎただろうか?


 自分のこれまでの子育てを思い返しながら、ヘンドルはふとこんなことを考える。


 いっそのこと、アンがリリアくらい感情を表に出してくれれば良いのに。


 そうしてすぐに、こんなことを思いつく。


「そうだ、アンにリリアの世話役を任せよう!」

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