7話 勇者は脱走する
リリアは一瞬、ユキミチが何を言ったのか分からなかった。ユキミチの口から確かに"脱走"という単語が聞こえたのだが、これの意味するところが理解できない。
「脱走‥‥‥と、いうとそれは‥‥‥?」
「あれ、あんまり伝わってない? 俺はこの国を出て、自由に旅をしようと思うんだ」
「‥‥‥え? ‥‥‥え?」
リリアは戸惑いを隠せない。
彼は勇者である。それは間違いない。勇者というのは、王国を危機から救うため、世界を超越してやってくる"救世主"なのだ。
そんな勇者が、"脱走する"と言ったり"自由に旅をする"と言ったりしている。一体どういうことだというのか?
「
「うん」
一切躊躇いのない即答。ユキミチがあまりに正々堂々と発言しているので、リリアはとうとう自分の勇者への認識を疑い始めてしまった。
勇者とはこういうものなのだろうか? 王国のために戦う勇ましい姿を勝手に想像していたが、勇者を直接この目で見たことはない。想像と事実が大きく異なる可能性は否めない。己の能力の高さに有頂天になり、私利私欲にまみれているかもしれない。
仮に勇者がこういうものなのだとするなら、気になることがある。
「お父様――ヘンドル国王は、それを認めているの?」
「ヘンドル国王って‥‥‥あの王様のことか」
父親はこれをどう見ているのか? それを確認したい。これまでの勇者も皆、ユキミチのように王国のことを気にかけずにやりたいことをやっているのだろうか?
父親が頑なに勇者召喚の儀式を自分に見せないのは、この事実を隠すためだったのだろうか‥‥‥?
自分の中での常識がひっくり返ってしまいそうで、リリアは息を呑んだ――。
「いいや全く。王様も他の皆もびっくりしてたよ。よっぽど予想外のことだったんだろうなぁ」
――ユキミチはあっさりそう答えたのだった。リリアはしばらく硬直したままユキミチの言葉を反芻し、その後にハッ‥‥‥と呼吸を再開した。
「‥‥‥そうなんだ」
リリアは安堵の吐息をついた。ユキミチの口振りだと、どうやらこれまでの勇者たちはやはり国のために戦ってくれていて、だから国王たちはユキミチの言動に驚かずにはいられなかったのだろう。それが分かってリリアは一安心したのだ。
しかしリリアはすぐに「いやいやいや」と首を振り、落ち着いている場合ではないと自分に言い聞かせた。
それならそれで、結局まずいじゃないか。勇者として召喚されたユキミチが、国王の頼みを断って"始まりの間"から出てきたのだから。
そんなの異例中の異例だ。
「すぐに引き返して、もう一度国王と話をするべきよ! あなたは王国の希望となる勇者としてこの世界に召喚されたんだよ? それを断るなんて!」
「別に話すことなんてもうない。俺は自分のやりたいように生きる。そう決めたんだ」
「そんなこと‥‥‥無責任だとは思わないの!? 勇者召喚の儀式には膨大な費用がかかっていると聞くし、これは国王だけじゃない、ヴァルトリア王国の全国民の願いが込められた儀式なんだよ?」
リリアは必死にユキミチを説き伏せようとするが、ユキミチの平然とした様子は一切変わらない。
「そりゃあ、とんでも能力持ちの異世界人を召喚するなんて大それたこと簡単にはできないだろうし、勇者と呼ばれて助けを乞われたら断れるはずがないけど」
「それならどうして――!!」
「三十八人目」
突然、ユキミチの声音が低くなった。
「え?」
リリアは首を傾げる。ユキミチは悲哀の表情で視線をゆっくり下へ落とした。
「俺は三十八人目の勇者だって、そう言われたんだ」
「‥‥‥えっと、それの何が問題なの?」
「‥‥‥え? ‥‥‥え?」
リリアの反応にユキミチは戸惑いを隠せない。リリアには、ユキミチが受けたショックが一切伝わっていなかったのだ。
「三十八人目だぞ!? 三十八人目!!」
「‥‥‥さっきからあなたが何を言いたいのか分からないんだけど!」
「勇者ってのは救世主なんだ。王国の希望となる大事な役割を担っている」
「その通りだよ。だからそれを断るなんて――」
「そんな勇者がどうして一国に三十八人も居るんだよ!?」
「‥‥‥は?」
「勇者――即ち主人公は一人でなきゃ駄目だ! 多くてもせいぜい四、五人だろう! 三十八人目の勇者なんて、あまりに地味じゃないか!!」
ユキミチの熱心な主張にリリアは頭を抱えた。この勇者は一体何をこだわっているのだろうか、と。
「えっと‥‥‥理由はよく分からないけど、つまり、勇者の数が多いからあなたは勇者にならない、ということ?」
「うん!」
清々しいほど真っ直ぐな肯定にリリアは気圧されてしまうが、すぐに反論する。
「そ、そんなの我が儘だよ!! 地味だからって国を守る役割を放棄するなんて――」
「さっきから"無責任"だとか"我が儘"だとか、人聞き悪すぎないか? そういうの全部、国側の都合だろう?」
リリアの言葉を遮ってユキミチが言った。
「えっ‥‥‥?」
「王国は大金をはたいて異世界人を召喚しているんだろうけど、俺のような被召喚者は問答無用でここに転移されてるんだ。急に連れて来られて、あまつさえ国のために危険な戦いに出てくださいってのは、なかなか酷なことだと思わないか?」
「それは‥‥‥」
リリアの語気が弱まる。確かに考えてみれば、勇者召喚というのはこちらの世界の人間が異世界の人間に対して一方的に行っていることだ。召喚される側の状況なんて、考えたことがなかった。
「勇者は三十人以上居るんだ。俺一人が抜けるくらい、どうってことはないだろう」
「うーん‥‥‥」
リリアが返答に悩んでいると、にわかに楼閣の方が騒がしくなってきた。
「みんな無事か!?」「勇者が逃げたぞ!!」などと叫ぶ声が聞こえてくる。
ユキミチは顔色を変えた。
「まずい、王様たちが追いかけてくる! 逃げるぞ!」
ユキミチはリリアの手を引いて森の方へと走り出した。
「えっ、ちょっと!! どうして私まで!?」
「君だって王様にバレたらまずいんだろう?」
「そ、それはそうだけど‥‥‥だからってあなたと一緒に逃げる必要は――」
「俺この国のこと何も知らないし、逃げるついでに案内してよ! 異世界なんだし、馬車とかあるでしょ! 街に出れば人混みで追っ手の目も誤魔化しやすくなるさ!」
「そんなこと急に言われても‥‥‥!! ‥‥‥ていうか、どうしてちょっと楽しそうなのよ!!」
走りながら、ユキミチはリリアに振り向く。リリアが見たその表情は、それはもう、満面の笑みだった。
「楽しいだろ!! この夢にあふれた異世界を、誰かが敷いたレールの上で大人しく生きるなんて勿体ない! 自分のやりたいように、自由に生きる方がずっと楽しいに決まってる!!」
――この世界のことを何も知らないからか、あまりに純粋に輝いているユキミチの瞳。彼に引かれる手を通じて伝わってくるその熱心さ。果たしてこの時、リリアはどのようなことを感じたのだろうか。
森の中に真っ直ぐと差す一本道を、二人はあっという間に駆けていった。
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