6話 勇者と王女、邂逅

 ユキミチはひどく動揺していた。


 広く静かな森を背景にして立つメイド服の少女。それがあまりにも美しかったからだ。


「さっきまで男しか居なかったから気づかなかった‥‥‥。さすが異世界、女性が魅力的過ぎる!!」


 ユキミチは舐め回すように少女を見つめる。少女は疲労しているようで脚は小刻みに震えており、両手はスカートの裾を掴んで前傾姿勢になっている。少し乱れた桜色のロングヘアと、仄かに幼さを感じさせつつも整った顔立ち。


 そんな少女は、悲壮な面持ちで真っ直ぐとユキミチを見つめている。


「見たことのない服装‥‥‥」


 どう見てもこの世界の人間ではない。つまり彼は異世界人であり、"始まりの間"を背にして立っている以上、間違いなく勇者なのだ。


「でも‥‥‥」


 ならば何故こうもパッとしない容姿なのだろうか? リリアはだんだんと眉をひそめ、首を傾げる。


 勇者は強力な能力ステータスとスキルを持ち、王国のために勇猛果敢に戦う英雄である。それが、彼だというのか‥‥‥? リリアは俄に事を呑み込めない。


「王様に仕えるメイドさんか? すごいな‥‥‥髪の毛ピンク色だぞ‥‥‥。メイドの一人までこんなに可愛いんじゃ、王国の姫様なんてどうなっちまうんだ」


 ユキミチはブツブツと独り言を言いながらリリアへ近づいていく。リリアはようやく息が整い、背筋を伸ばした。


 見た目はあれだけど、勇者であることには違いない。初めは勇者召喚の様子を少し見学して帰るつもりだったが、目の前に勇者が居るというのなら、ぜひ話をしてみたい。


 そんな欲望がリリアの中にむくむくと湧いてきた。


「あ、あの――」


 リリアは話しかけようとするが、緊張のあまり上手く声を出せなかった。気を取り直して、思い切って声を出そうとしたが――。


「‥‥‥え?」


 ユキミチは立ち止まることなく、リリアのすぐ横を通過してしまった。


「ああのちょっと! 待って!!」


 慌てて呼び止めるリリアに、ユキミチは振り返った。


「えっと‥‥‥俺?」


 困惑するユキミチに向かって強く頷くリリア。


勇者あなたと話がしたいの! 少しでも良いから!」


「俺と話を‥‥‥? 君は、王様のところのメイドさんじゃないのか? 王様ならあの建物の中に居るよ」


 ユキミチにはリリアの思考が分からなかった。服装はどう見てもメイドのそれ。メイドが異世界人である自分に用件があるとは予想だにしない。


「あ‥‥‥えっと、それは‥‥‥」


 リリアは返答に困ってしまう。この状況をどう説明すれば良いのだろう‥‥‥。メイドが勇者と接するというのは不自然だ。かといって自分が王女だとバレる訳にもいかない。


 ――と、ここでリリアは一つ考えた。


 相手はこの世界の常識を知らない異世界人。たとえ勇者に対して自分が王女であると告げても、国王や他の住民にそれがバレなければ問題ないはず。ならば‥‥‥!


「私、実は――」


 リリアは"始まりの間"の中に居る人々や森の奥に控える御者にほんの僅かにだって聞こえないよう、小声で勇者に真実を話した。


「――な、何だって!!? 君はこのヴァルトリア王国の王女リリア=ユークリスで、勇者召喚の儀式を見るためにメイドに変装して他のメイドや国の住民の目を掻い潜ってここまでやって来たって、それ本当なのか!!?」


 ユキミチの想像以上の驚き様、そしてリリアの事情を一言たりと余すことなく大声で繰り返したことに、リリアは全身の毛がよだつのを感じた。


「こ、声が大きい!! どうして全部言っちゃうのよ!?」


「ご、ごめん‥‥‥。まさか、いやいや、まさか! メイドの格好をした女の子が実は一国の王女だっ――」


 また徐々にボリュームが大きくなっていくユキミチの口を、慌ててリリアは両手で塞いだ。もはや勇者と会話することへの緊張など、いずこかへ飛んでいってしまった。リリアの心に焦りと怒りが満ち満ちる。


「わざとやってるでしょう!!」


「ううん! ううん!」


 口を塞がれたまま一生懸命に首を横に振るユキミチ。彼は本当に驚いていたのだ、リリアと出逢ったことに。


 ユキミチの考えはこうである。


 異世界に召喚されることだって十二分に珍しいが、それは飽くまできっかけにすぎない。異世界の地に降り立ち、それからが問題なのだ。

 ユキミチの異世界に対する価値観は、学生時代に読んだ異世界もののライトノベルに依存している。異世界ものに限らず、物語では何らかの出来事イベントが発生する――というよりは、著者によって出来事イベントが用意されている。

 現実はそう上手く奇天烈なことばかり起こる訳ではない。異世界に来れたからといって、出来事イベントに恵まれるとは限らないのだ。


 そんなユキミチが異世界に召喚され、外に出た先で出逢ったのがリリアだった。


 ユキミチが落ち着いたと判断し、リリアはユキミチの口を塞いでいた手をそっと離した。


「異世界に来てからいきなり君みたいな常識外れなお姫様と出逢えるとは夢にも思わなかった。‥‥‥異世界に来ることだって夢みたいな話だけれども」


 ユキミチは嬉しそうにそう言った。


「私も異世界人から常識外れだなんて言われるとは夢にも思わなかった‥‥‥」


 リリアは密かにショックを受けていた。


「いやぁ、早々にこんな出来事イベントに出くわすことができて、俺の異世界人生も幸先が良いってものだな! リリアと逢えて良かった、ありがとう! 俺はユキミチ。これからお互い頑張っていこうな!!」


 ユキミチは笑顔で手を振りながら森の中へ消えていく――。


「あああ、ちょっと待って! 待って!」


 リリアは再びユキミチを引き止めた。ユキミチは"颯爽とした別れの場面"が思い通りに決まらず、ずっこけそうになってしまった。


「えっと‥‥‥、まだ何か話が?」


 リリアは「まだほとんど何も話していない気がするけど‥‥‥」と小声で呟いてから、ユキミチにこう尋ねた。


「ユキミチ、あなたは勇者なんでしょう? 一人で外に出て、これから何をするの?」


 この世界に来たばかりでほとんど何も知らないはずの勇者が、まだ"始まりの間"の中に居るであろう国王たちを残してたった一人で外に出てきたことが、リリアには疑問だったのだ。


 ユキミチは少し考えた。これから自分が何をするのかを、どう伝えるのが最も分かりやすいだろうか?


「‥‥‥うーん。王国の人たちから見れば――――"脱走"、っていうのかな」


「‥‥‥‥‥‥はい?」

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