5話 王女、"始まりの間"へ

「えっと‥‥‥この方角で間違いない‥‥‥よね?」


 城を出てからしばらく北に歩いてきたリリア。勇者召喚の儀式が行われる建物まで辿り着きたいが、彼女はどこをどう行けば良いのか、正確には分からなかった。


 リリアが住む『王都シャンドラ』はヴァルトリア王国の西側に位置し、西ベネラル鉱山地帯の影響で傾斜のある地形となっている。王都シャンドラを北側へ下っていくと貴族が暮らす街――『ワードム街』があり、そのさらに北側に"始まりの間"はある。


 魔法技術が発達したヴァルトリア王国は建築にもそれを生かしており、住宅の一つでさえ並みの家の倍以上に大きく建てられている。その中でも"始まりの間"は王国随一の楼閣であり、城の付近であれば遮蔽物を気にすることなく視認することができる。しかし王都シャンドラを下っていけば、忽ち周りの建物で覆い隠されてしまう。


 リリアは近頃よく部屋の窓から"始まりの間"を眺めていたが、先ほど城を離れる時に緊張のあまり"始まりの間"の位置を確認し忘れており、不安になってしまったのだ。


 人気のある住宅街をオドオドと歩くリリア。しかしその衣装で目立たないはずもなく‥‥‥。


「おや? その服は城のメイドさんだ! 珍しいなぁ、こっちの方に下ってくるなんて。何か探し物かい?」


 住民の男に話しかけられてしまった。リリアはすぐに顔を隠すように俯いた。


「えっと‥‥‥」


 しまった。外で話しかけられた時の対策を何も考えていなかった。


 リリアは一国の王女であり、国中に顔が知れ渡っている。会話が長引けば正体を勘づかれてしまうリスクがどんどん高まる。


「おとう――じゃなくて‥‥‥国王様にお届けものがあって、"始まりの間"へ行かなくてはなりませんの」


 咄嗟に思いついた適当な言い分を、相変わらずのお嬢様口調で伝えるリリア。それを聞くなり、男は目を丸くした。


「メイドさん! あんた、まさか‥‥‥」


「ギクッ‥‥‥」


 もしや王女だとバレてしまった? リリアの頬を冷や汗が伝う。


「あんたまさか、ここから"始まりの間"まで歩いて行くつもりなのか!? それじゃ何時間と掛かっちまうよ」


「――そ、そんなに掛かるんですの!?」


 あまりの驚きに、リリアは顔を上げて反応してしまった。


「掛かるとも! ここは王都シャンドラ。"始まりの間"はここをずっと下った先にあるワードム街を、さらに奥に進んだところにあるんだから。到底歩いて行けるような距離じゃないよ」


「それは困りましたわ‥‥‥。あの大きな建物がそんなに遠かったなんて‥‥‥」


 リリアは"始まりの間"を城から眺めたことしかなく、それ以外の位置に関する情報を一切持っていなかった。ただその楼閣が高く大きく聳えていたので、それほど遠くはないだろうと高を括っていた。


「行ったことのない所へこんな華奢な子を一人で向かわせるとは‥‥‥。バラーノの婆さんはついにどうかしちまったのか!」


「あ‥‥‥」


 怒りを露にする男を前に、リリアは俄然と後ろめたさを強く感じて視線を落とした。


 バラーノは関係のないことなのに、彼女が悪いように思われてしまった。それも、自分が発した嘘が原因で。他人を巻き込むつもりなんてなかったのに。


 リリアは物心ついた頃からバラーノの顔を知っていた。リリアが産まれる前から城のメイドとして務めていたからだ。付き合いの長さなら父親と比べたってほとんど変わらない。彼女が心から優しい人だと、リリアはよく理解している。


 ――誤解を解かなければ。しかし、言い方が思いつかない。下手したら自分が怪しまれるかもしれない。


 バラーノへの誤解を解きたい思いと、自分の正体がバレたくない思いがぶつかる。


 バラーノが悪く言われてしまうのは嫌だ。自分が王女だとバレてここまで来たのが台無しになるのも嫌だ。


 葛藤するリリアに、男は優しく声をかける。


「心配することはないよ、メイドさん。今、馬車を呼ぶから。それに乗って"始まりの間"に向かうと良いさ」


「‥‥‥えっ、良いんですの?」


「それくらい安いもんさ! 国王様のおかげで俺たちは良い暮らしできてるんだ。その人の城で働くメイドさんとあっちゃ、助けない理由が見当たらないね」


 男は通りかかった馬車を呼び止めると、御者に"始まりの間"まで走るよう頼んだ。御者は客が城のメイドだと知るや否や、二つ返事で快諾した。


「――ご親切にどうもありがとう」


「良いの良いの。それより、帰ったらちゃんとバラーノの婆さんに文句言っとくんだよ? あの人はちょっと口煩いところがあるが、人のこと考えないような野暮な人間じゃないはずだ。話せば色々考慮してくれるさ」


 男は微笑みながら言う。その言葉を聞いて、リリアは心が温かくなるのを感じた。男は真にバラーノのことを見限った訳ではなかった。それどころか男も御者も、国王や城のメイドに対して良い印象を持っているらしい。リリアはそれが分かって嬉しくなったのだ。


その反面で、嘘をついている自分に罪悪感を感じてしまった。しかしここで勇者召喚の儀式を諦める訳にもいかない。せめて、アンやバラーノたちが悪く言われることだけはないように気をつけようと、リリアは胸に誓った。


「それでは、ごきげんよう」


「頑張ってきなよ!」


 こうしてリリアを乗せた馬車は北の方角、"始まりの間"へ向かって走り出した。


「‥‥‥にしてもあのメイドさん、珍しい喋り方だったなぁ」



 *  *  *  *  *



 馬車はワードム街を抜け、一面に広がる森を前にして停まった。森の中には、ただ一つだけ道があった。御者はその道を指差して説明する。


「お嬢さん、この一本道を真っ直ぐ進めば"始まりの間"へ到着しやす。もし不安でしたら、あっしも途中までついていきやしょうか?」


「お気遣いに感謝しますわ。でも大丈夫、後は私一人で向かいます。ここまで送ってくださってどうもありがとう」


 リリアは丁寧に礼を言って馬車を降りた。御者は照れ臭そうに首を横に振る。


「とんでもねぇ、お安いご用でさぁ。‥‥‥それじゃあ用事がお済み次第、こちらに戻って来てくだせぇ。お気をつけて」


 手を振って見送る御者に会釈をし、リリアは踵を返した。


「よし‥‥‥、行こう」


 リリアは森の中の一本道を進んでいった。


 森の中は静かで暗い。まだ昼間だというのに、日の光がほとんど届いていない。


 この道の先に、異世界からやってきた勇者が居る。一体、どんな人なのだろうか。それが男であれ女であれ、きっと凄まじいオーラを纏っているに違いない。


 期待と緊張とでリリアの心音が大きくなる。


 我慢ができなくなったリリアはついに走り出した。スカートの裾を持ち上げ、全速力で森を駆け抜けた。


 やがて前方に光が見えてくる。森の出口のようだ。目を凝らしてみると、光の奥に建物がうっすらと認められた。間違いない、"始まりの間"だ。


「はぁっ、はぁっ‥‥‥!!」


 光が近づいてくる。リリアは息を切らしながらも速度を落とさずに走り続けた。


「も、もうすぐ‥‥‥!!」


 リリアはあまり運動をしていない。幼い頃はよく城中を駆け回っていたが、最近では王女という立場故に激しく動くような機会がない。


 身体中に疲労を感じる。突然の全力疾走で肉体に大きな負荷がかかってしまっていた。緊張も相まって、呼吸も激しく乱れている。


 それでもリリアは走るのを止めない。疲労よりも、緊張よりも、期待の方がずっと強くなっていたのだ。


 森の出口が近づき、リリアの視界に光が満ちた――――。




 ――――森を抜けて立ち止まったリリア。彼女の心音と、荒い吐息の音だけが木霊する。


 目の前には高く大きく、堂々と聳え立つ楼閣――"始まりの間"。そしてその扉の前に、"灰色の服を纏った"一人の男が立っていた。


 今この瞬間に相対した二人は互いに衝撃を受け、思わず各々が感じたことを吐露したのだった。


「か、可愛い過ぎやしないか‥‥‥!!」


「な、なんて冴えない佇まい‥‥‥!!」

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