2話 勇者召喚

 ヴァルトリア王国内の北側に位置する貴族が住む街――ワードム街。その街外れに一つ聳える巨大な楼閣――通称"始まりの間"。その中には数人の魔導師と十数人の研究員、数百人の鎧を纏った衛兵、そして国王ヘンドルが集っていた。


 外はそよ風が流れる心地良いほどの快晴だというのに、楼閣内はいくつかの灯火で照らされているにも関わらず薄暗く、見通しがあまり良くない。楼閣の最奥では魔導師らが身振り手振り何かを行っているようである。


 衛兵らが談笑に浸る中、ヘンドルは目を凝らしながら周囲を見渡し、表情を曇らせた。


「カイル君は来ていないのかね?」


 ヘンドルの問いかけに衛兵のリーダーが敬礼をして答える。


「はっ! 冒険者カイル殿はまだ来ておりません。確かに儀式を行うのは今日だと連絡したのですが‥‥‥」


「いつ連絡したのだ?」


「五日ほど前に」


 その返答を聞いてヘンドルはしまったと言わんばかりに額を押さえた。


「‥‥‥すまない、伝え損ねた私の不手際だった。彼は神経質でとても几帳面にスケジュールを立てる。遅くとも二週間前には連絡しておかないと対応してくれないのだよ」


 この世界には、ギルドと呼ばれる組織団体で依頼を受け、素材を採取したり猛獣モンスターを討伐したりする"冒険者"という職業がある。ヘンドルはギルドの最高責任者であるギルドマスターと古い付き合いで、この頃活躍している冒険者らについても何度か話を聞いていた。


「そうだったのですか。情報を把握できておらず、申し訳ございませんでした。すぐにギルドにて代わりの冒険者を探して参ります!」


 衛兵のリーダーは慌てて楼閣を出ようとするが、ヘンドルはそれを制した。


「もう正午が来てしまう。懸念は残るが、このまま始める他ないだろう」


「――第三十八人目の勇者、召喚します!!」


 魔導師の一人が声を上げる。いよいよ全員が楼閣の最奥に視線を向けた。


 これから始まるのは勇者召喚の儀式。召喚を行うのは魔導師らであり、それを見守るのは十数人の研究員と衛兵数百人、そしてヘンドル国王。本来ならそこに実力のある冒険者を加え、磐石の備えで迎えるところだったが、今回は不在だ。


 なぜ衛兵や冒険者までもが儀式に参加するのか。その理由は召喚される異世界人にある――――。



 ◆  ◆  ◆  ◆  ◆



「あー‥‥‥疲れた」


 軽自動車を運転しながら、ため息混じりでぼやく男。制限速度六十キロの国道を時速四十キロでゆっくりと進んでいる。後続車が詰まってしまう――ということは起こっていない。


 それもそのはず。現在、午後十一時半。男は職場での六時間残業を終えて真夜中の帰路についているところなのだ。家々の明かりもぽつぽつとしかなく、消えている方が多い。他に走っている車を見かけることもうない。


 やなぎ幸道ゆきみち、二十歳。若いというのもあって肌質や顔立ちは悪くないはずである。しかし美容に関心がなく、短い黒髪の先端はあちこちにうねり、目尻はやや下がってタレ目になっているために、どうしても冴えない印象が否めない。


 高校卒業後、製造業の会社に入社し、一年と少しが経った頃だった。


 現場配属当初は失敗が多く不良品の連発だったが、今では自分の仕事内容は一通り覚え、一人で淡々と作業をこなせるようになっていた。


 幸道は、自身の発言とは裏腹に肉体的な疲労はそれほど感じていない。同じ作業をひたすら反復するだけの仕事なので身体がすっかり慣れてしまっていた。


 それでも幸道は毎日のように「疲れた」と言う。口に出さないと気が済まない。口に出して、自分は今日も頑張ったのだと言い聞かせる。――気づけばそれは幸道の口癖になっていたのだ。


「いつからだっけ‥‥‥」


 いつから、こんなにネガティブなことを言うようになってしまったのだろうか。学生時代の自分はそんな性格ではなかったはずだ。


 "疲れた"なんて言葉は、部活や学校行事の後で達成感や満足感と共に自然と溢れるものだったのに。今では自己暗示の手段へと成り下がっている。


 仕事中、他人との関わりはほとんどない。あるとすれば、何か指示を受ける時くらいだ。女性との出逢いなんてとても実現し得ない。帰宅後だって楽しいことは何もない。残業すれば家でゆっくりする暇もなく、寝る前に動画サイトでおもしろ動画などを無心に漁るだけである。


 仕事が辛いかといえばそうではない。もちろん残業はあるがそれも法律の範疇を出ず、キツイと思うことはない。ただただ何の変哲もない日々。そんな代わり映えのない日常に落ち着いてしまった自分がいることに気づいた。


「心が貧しくなってるというか何というか‥‥‥二十歳はたちってこんなものなのか?」


 それでふと、別の人生を考えてしまった。就職せずに大学に通っていたら? 何か自分が熱中できるスポーツや趣味があったら?


 マンガやドラマのような輝かしい世界を、漠然と想像してしまった。


 せっかく自分は毎日頑張っているのだと言い聞かせてきたのに。代わり映えのない平凡な日常を享受してきたのに。


「変わりたいなぁ‥‥‥」


 変化を、求めてしまった。


 しかし少し遅かった。せめて学生のうちに何かを求めて動き出していたなら――。


 今はもう、そんなことをじっくり考えるような時間はない。心の余裕もない。


 若い内は何だってできるとよく聞くが、今の自分には既に手遅れに思えてしまってならない。今さら仕事を辞めて別の人生を歩んでいく勇気がない。


 勿論、今の時代で仕事を辞めたくらいで生きていけなくなることはないだろう。だが、それだけの決断をして上手くやっていく自信が、どうしても持てないのだ。


 俄然、むくむくと後悔ばかりが浮かんでくる。自分が学生の内に、もっと我が儘に考え、やりたいことを探していたなら――。


『――ほう、それは本当ですか? 実に恐ろしい話ですね~』


 車内の静けさを紛らわすように流れているラジオの音声。幸道の心は一気に現実へと引き戻された。


『どうですかね、最近見つかったかなり古い文献でしてね。どの時代かも特定できておらず、まだまだ謎が多いのです』


『俄には信じられませんよね。たった一人、それも刃物一つで八千人もの命を奪うだなんて。正気と思えません』


「いや、正気とか狂気とかそういう問題じゃないだろ‥‥‥。あり得ないっての」


 誰が聞く訳でもないのに、思わず一人でツッコむ幸道。


『その男は若くして死んだそうです。そしてこの文献には、男は死ぬ間際にこう言い残したとあります。"我、鬼とならん"』


『まぁ! なんと恐ろし――』


 ここで幸道はラジオを切った。


「いくら深夜だからって、こうもつまらない話を垂れ流さないでほしいものだな。こちとら只でさえ楽しくない人生なんだから」


 誰が聞く訳でもないのに、一人で説教する幸道。


 ――前方から光が近づいてきた。対向車だ。幸道はヘッドライトをロービームに切り替えた。対向車のライトはハイビームのままだった。幸道はパッシングで相手に知らせてみるが、対向車のライトが切り替わる様子はない。


「あぁ眩しい‥‥‥」


 距離が縮まるにつれて光は強くなっていく。どんどんどんどん強くなっていく。


「あれ、眩しいっていうか‥‥‥眩し過ぎない? ‥‥‥ちょっと、ヤバイヤバイ!」


 異常に強い光は幸道の車のフロントガラスを覆い隠し、幸道の視界は真っ白になってしまう。訳が分からなくなりながらも幸道は咄嗟にブレーキを踏もうとする――――が。


「‥‥‥は?」


 どこまで足を伸ばしてもブレーキに触れることができない。それどころか、ハンドルを握っている感覚すらなくなってしまった。何も見えず、自分がどうなっているのかが分からない。ラジオの音もエンジンの音も聞こえない。やがてシートに座っている感覚も消えてしまい、全身が宙に浮いたように軽くなる。


 重さを感じなくなったかと思えば、今度はとてつもない"勢い"を感じる。巨人か何かに身体をぶん投げられたような、凄まじいスピード感。それと同時に激しい耳鳴りが響く。次々と襲いかかる未知の感覚で、幸道は物事を考える余裕が全くなかった。



 ◆  ◆  ◆  ◆  ◆



 ――しばらくして、幸道はパッと全ての感覚がなくなった。その後ゆっくりと、下に下に落ちていくような重みを感じる。


 ピタリと、地に足が着く感覚。


 周囲の音がフェードインし、何か騒がしい様子だと分かる。しかし何も見えない――否、幸道は自分が視界をシャットアウトしているのだと気づいた。


 ‥‥‥恐る恐る目を開ける。


 ――薄暗い空間。鎧を着た兵士、白いローブとやたら長い三角帽子を身に纏った魔法使い。そして立派な王冠を被り、白髭を生やした王様。


 ゲームやマンガでしか見たことのないような、信じがたい景色。


「‥‥‥え? 何これ‥‥‥」


 柳幸道――改め"ユキミチ"は、異世界・・・に立っていた。

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