3話 王女は城を出る

「王女様、紅茶をお持ち致しました」


 紅茶を淹れ直して戻ってきたアンが、リリアの部屋の前でそう呼びかけた。‥‥‥しかしリリアからの反応はない。


「王女様? お眠りになっているのですか」


 ドアをノックしながら尋ねるが、やはり何も返ってこない。先ほどの言い合いで疲れて眠ってしまったのだろうと、アンは考えた。


「こんなに日の高い内から眠っていては、夜が眠れませんよ?」


 アンはドアノブを握り、トレーに乗せた紅茶を溢さぬよう慎重にドアを開けた。


 ――静まり返った部屋の中。テーブルに紅茶のトレーを置いてからベッドを覗き込んでみるが、そこにリリアの姿はない。蹴り飛ばしたかのようにひっくり返った毛布があるだけだ。


 お手洗いにでも行っているのだろうか。アンは毛布を丁寧に畳むと、リリアの机に目を移した。そこには読みかけであろう開いたままの本が乱雑に何冊も重なっている。


 リリアは好奇心旺盛で、色々なことに興味を持つ。興味を持ってはアンに質問したり本を読み漁ったりしている。ところがその集中力は長く持たない。


 難しい内容だとアンが教えている最中に寝てしまうし、読んでいた本は開いたままでまた別のことを始めてしまう。


「いつも栞を挟んで閉じておくよう言っているのに‥‥‥」


 アンはため息をつきながらも本の一冊一冊に栞を挟み、机の隅に背表紙を揃えて重ねていった。


『冒険者の心得[百条]』『ベネラルの絶景たち』『魔王を倒す五人の英雄の御話』『超危険!? 超解説!! 猛獣図鑑』――。


 どれも冒険者や旅人に向けて書かれた本だ。最近のリリアはこの類いの話にめっぽう興味を示しており、先日はついに国を背負う王女という身でありながら"冒険者になりたい"と言い出したのだ。


 リリアにはいつも手を焼いている。それは七年前から何も変わっていない。


「さて次は‥‥‥」


 アンの視線の先には開けっ放しのクローゼット。そして、そのすぐ傍には衣服が散らかっていた。アンは目を細めてそれを見つめた。


 ――間違いない。散らかっているのは、先ほどまでリリアが着ていたはずの衣服だ。


 脱ぎ散らかされた衣服を畳みながら、アンは首を傾げる。まさか、ファッションに全く無頓着だったあのリリアが、自ら服を選んで着替えたというのだろうか。だとすれば、一体どんな服を? 気になる。


 アンはクローゼットの中を確認した。ここにある服は全てアンがリリアのために発注し、国一番の職人に作ってもらっている。どの服がないのか――即ちリリアが今何を着ているのかを特定するくらいは朝飯前なのだ。


「これは‥‥‥」


 少し呆然としてから、アンはもう一度クローゼットの服を一着一着確認した。


「えっ‥‥‥」


 何度調べても結果は変わらない。クローゼットにはリリアが先ほどまで着ていたものを除いてメイド服だけがなく、それ以外の全てが揃っている。


「一体どうしてメイド服を‥‥‥?」


 アンは悩みに悩んだ。



 *  *  *  *  *



 一方その頃。


「――あらあんた、見ない顔だね。新入りかい?」


 今年で四十八歳になる大柄なベテランメイド――バラーノが廊下でのすれ違い際に少女を呼び止めた。少女は不恰好ながらもメイドの制服を纏っていたのだ。少女はびくりと肩を震わせると、視線を下に向けたままチラリと振り返った。


「え、ええ‥‥‥。昨日来たばかりですの」


「そうかいそうかい! あたしゃバラーノ。もう三十年近く国王様の城に勤めている古株さ。分からないことがあれば何でも訊いとくれ」


「あ、ありがとうございます」


「そんじゃ早速アドバイスを一つ。メイドたるもの、ご主人様に不快感を与えないよう、如何なる時も胸を張って凛としていなきゃいけないよ!」


 フーン! と強く鼻を鳴らすバラーノ。少女より一回り以上大きい身体から発せられる凄まじい覇気に気圧され、後退りする少女。


「‥‥‥は、はい。留意しますわ。それでは――」


「ちょっと待ちな!!」


 そそくさと去ろうとする少女をバラーノは再び呼び止めた。びくびくと全身を震わせながら直立不動になる少女。


「あんたのその佇まい、ど~も見覚えがあるような‥‥‥」


「き、きき気のせいですわ! それではごきげんようぅぅ!!」


 少女は大慌てで走り去ってしまった。バラーノはその様子をぽかんと見つめていた。


「‥‥‥何故にお嬢様口調なのかね?」






 バラーノから逃げ切り、少女――リリアはほっと胸を撫で下ろした。部屋のクローゼットに偶然置いてあったメイド服を纏い、リリアは部屋を抜け出していたのだ。運の良いことに、服のサイズはピッタリだった。


「さ、さすがにバレるかと思った‥‥‥。りにもってバラーノと遭遇するなんて。喋り方を変えていたおかげでなんとか切り抜けられたわ」


 バラーノはリリアの専属メイドでこそないものの、リリアが赤子の頃から顔を合わせているため、リリアはいつ気づかれるのかと気が気でなかったのだ。


 まさか王女であるリリアがメイド服を纏って城を歩き回るなど誰一人として夢にも思っておらず、ここまで正体がバレずに済んでいる。


「今どきお嬢様口調で喋る王女なんていないからね。誰も私が王女だなんて怪しまないわ! 我ながらすごく良い作戦!」


 ‥‥‥お嬢様口調で喋るメイドはもっと珍しいだろうが、今のリリアにそんな思考は一切浮かばなかった。


 ――安堵しながら歩き続ける内に、リリアは城の正面玄関エントランスに辿り着いていた。


 アンがリリアの世話役となって以来、リリアの行動にはいつもアンが付き添っていたので、一人でここに立つのはもう七年振りになる。ましてや、城の敷地外へ出るのは生まれて初めてのこと。


 城の外へと繋がる扉を、付き添いもなくたった一人で目の前にした。かつて一人でそこを飛び出していた七年前までが記憶に蘇り、その扉がとても大きく感じられる。リリアは息を呑んだ。


 メイドに扮して城を脱走するという作戦が上手くいったことへの喜び。それと同時に、いよいよ一人で城を出るのだという実感で全身に緊張が走る。


 リリアは胸に手を当て、緊張する自分に言い聞かせる。


「‥‥‥大丈夫。ちょっと儀式を見に行くだけ。この格好なら誰にも気づかれない。何かあった時のために、お金も少し準備してる」


 大きく息を吸い、ゆっくりと吐く。そしてドアノブに手をかける。


「アンには迷惑かけないから。私一人でやってみせるから。行ってきます」


 小声でそう言うと、リリアはついに城の外へと一歩を踏み出した――。

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