42 乳白色の男
同じ頃、綾杜は雫の垂れる桃色の髪と身体を
適当に髪を乾かし洗面所を後にしては、冷蔵庫から飲みかけのミネラルウォータを取り出す。冷蔵庫の中には、作り置きの
二口ほど飲んでから、今度は冷凍庫を開けた。定番のカップアイスから箱アイスまで豊富に常備されている。チョコバーへ手が伸びるも、既に歯を磨いていたことを
∞ ―― ―― ―― ―― ―― ―― ―― ―― ∞
「テ、テレビ……!? ええ、メイク直した後で良かったあ。――え、今日ですか? 今日は昨日よりかはましですねえ。からっとした暑さだから、メイクよれよれのお化けになってないし。ていうかこれって、全国に流れるやつですか? もうちょっとお洒落してくればよかったあ」
「もぅ、みーちゃんてば気にし過ぎぃ。そう言えばあれ、なんて言うんでしたっけぇ。記録的モウソ……?」
「ちょっとばかあ、お腹痛んだけど……! それを言うなら猛暑でしょ、
八月中旬。適当に
硝子窓を開けた網戸の向こうでは、夕陽色に染まった
少年が居る一階のダイニングテーブルには漢字ドリルや計算ドリル、一行日記と書かれたプリントの束が無造作に並んでいた。桃色の短髪を扇風機に靡かせている少年が、チョコ味のアイスバーを美味しそう頬張っている。それは少年にとって、和菓子の次に好きな
ふと、鳴り始めた固定電話の音に眉を顰めては、煩わしそうにつり眼を流す。何回かのコール音が続いてから食べ終えると、
「おそいよ、綾杜のばか!」
「あ? そんな生意気言うなら切るぞ」
「やだ! うそだから切らないで!」
「うるせえな。わかったから大声出すなあほう」
甲高い声で喋る麻子に、堪らず受話器を遠ざける。無造作に髪を
「そういやお前、初めてできた友達の家にこの間泊まったんだろ? お前ずっと楽しみにしてたもんな」そう言うと、麻子は急に押し黙った。つい
「なくなっちゃったの。……だからお泊まりしてない」
「は? あれか、春休みに友達できたって言ってたのは麻子の勘違いだったのか」
「綾杜のばか! ちがうもん、夢叶ちゃんとは友達だもんっ……!」
「ああ、わかったわかった。冗談だろ。頼むから大声出すな。で、何があったんだよ?」
何だかんだ話を聞こうとしてくれる綾杜に、麻子がぽつりぽつりと話し始める。
「
「誰それ」
「夢叶ちゃんのお父さん」
「ふうん。じゃあまたいつか会えるじゃん」
「そう、かもしれないけど。私すごく楽しみにしてたから。はじめての友達で、友達の家にお泊まりするのもはじめてだったし……」
落ち込む声に、「友達できた!」と嬉しそうに報告してくれた笑顔を憶い浮かべた。それはおよそ五ヶ月前、麻子が小学二年生に上がる前の春休みのことだった。夢叶から貰ったという黄色い
「麻子の気持ちもわかるけどな。でもそれは向こうも同じだろ?」
こぼしたそれに、麻子がえっと口を開く。綾杜は名前しか知らない女の子を
「夢叶って子も、麻子に会えなくて今頃悲しんでるんじゃねえのか?」
「……夢叶ちゃんが悲しいのは、いや」
「だったらその楽しみにしてた気持ちは、未来に取っておけよ」
「未来?」
「そ。今回会えなかった分、会えたときの楽しみが倍に増えるだろ」
「うん、そうかも……! 何か綾杜のおかげで元気出てきた! すごいよ綾杜!」
徐々に声色が明るくなった麻子に、綾杜がほっと笑みを浮かべる。誇らしげに鼻先を擦って言った。
「まあ、お前よりも大人だからな」
「たった一個だけでしょっ、綾杜のいじわる! 私のほうが綾杜よりも先に宿題おわらせるもんね」
「は? 一個下のガキに言われたくねえ。ってもう切れてるし」
唐突に切れた受話器を、ため息をこぼしながら下ろす。然し麻子が元気になったことが嬉しいのか、その
テーブルに広がっているプリント類へ意識を戻すと、今度はインターフォンが鳴った。家に訪ねてくる人物はある程度決まっているため、綾杜は胸に期待を躍らせながら玄関を解放した。
「
見上げながら嬉しそうに言うと、「こんにちは綾杜」と穏やかで通る声が響く。儚くも深みのある声は、彼の魅力の一つだ。つい
「ちゃんと、誰か確認してから開けないと駄目だよ。悪い人だったらどうするの?」
「そしたらその悪い奴を、俺の
「ふふ。綾杜は頼もしいね」
生成りに、淡緑色と
慎は綾杜の家へ遊びに来る際、毎回綾杜の好物である和菓子を持参する。そんな綾杜は、慎と和菓子を味わう時が
(高校生になったら、俺も慎君と同じウルフカットにしよ)
柔らかなウェーブが入った、
(麻子の父さんは色のある白って感じだけど、慎君は透き通るような白なんだよな。いつ見ても、慎君の左眼は満月みたいにきれいだな)
キッチンで、
(今年で三十七になる父さんと、九歳の俺と友達なんて変な感じだけど、この先もこの関係が続いていくっていう自信がある。慎君は年齢で人を見ないしな)
乳白色の左眼下にある
「そんなに熱い眼差しで見られると、流石に照れるなあ。はい、用意が出来たから一緒にいただこうか」
少年の頬が途端に赤らむ。優美な笑みを浮かべる青年から、咄嗟に
「ふふ。そんなに慌てて食べると、喉に詰まらせちゃうよ」
「好きな物を食べる時は自然とこうなっちまうんだよ。でも慎がくれた物だから、味わって食う」
「あ。そういえばさっき、慎君をニュースで見たよ」そう話し始めた綾杜に、不思議そうに首を傾げる。綾杜はふうと息を吐いては笑みをこぼした。
「俺にくらい
唇のすぐ傍まで来ていた、黒文字を持つ慎の手が僅かに
「あたりまえだろ。慎君は九尾の狐の中でも一番すごいんだから!」
自信たっぷりに答えては、にっと口端を持ち上げる。微かにオッドアイを揺らした慎は、そっと睫毛を下げ、薄い笑みを浮かべた。
「そうえば慎君、今日は何で
「え?」
「おでこ、少しだけ汗かいてた。いつもだったら、その髪飾を使って移動して来んのに」
僅かに眼を瞠った慎が、一度手を停める。感心したように
「実はね、俺、髪飾使うの辞めたんだ」
「は……?」
綾杜の表情が固まる。慎は穏やかな面持ちで続けた。
「実は、髪飾と
「楓って、慎君の親友の?」
肯く慎の微笑みに、哀しみの色が見えた気がして息を呑む。綾杜は楓との面識が一度しかないものの、慎から話を聞いていたので、知らず知らずのうちに楓のことを知っていた。楓もまた、九尾の狐であった。――慎と同い年で、幼馴染であることや、中華料理が好きなこと。また綾杜と違い、甘い物が得意では無いこと。プロフィールを半分ほど埋めることが出来るくらいには、楓のことを知っていた。
慎の笑みに不安を覚えた綾杜が眼を逸らす。と、視線の先に意識が留まった。それは偶然、慎と楓に
「楓ね、亡くなったんだ」
放たれた言葉に、
「死んだんだ、黙っていてごめんね」
ひやりとした冷たいものが、胸の真ん中から垂れ落ちる。
「……いつ」
「今年の二月だよ」
ふと、今度は熱い何かが腹から逆流した。湧き上がるそれが怒りなのか哀しみなのか、判別がつかない。
「何で……何で、教えてくれなかったんだよっ! もう、半年も経ってるじゃねえか」
苦しそうに声を荒げる姿に、ごめん、と静かに謝る。
「父さんと母さんは、知ってたんだよなっ?」
「うん。知っていたよ。本当にごめんね……。綾杜にはまだ言わないで欲しいって、俺が二人にお願いしたんだ。
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