43 楓の最期と受け継ぐ者
気付けば
「別れた元恋人と復縁? いやあ、ないすっね。だって推しの
「そうですね……。私は一度だけありますけど、結局別れちゃいましたね。些細なことなんですけど、食べ方とか所作って言うんですか。お互いに受け入れ難い部分があって。指摘するとかちんときたり、気まずい空気になることも多くて……。二度目の終わりを迎えるよりも、関係を続ける方が難しかったんです」
テレビ画面の左上には「真夏の恋愛インタビュー第三弾! 元恋人と復縁したことはある? ありなしインタビュー!」とポップなフォントで書かれていた。――どうでもいい。綾杜は
「僕は少し前に復縁した彼女と喧嘩別れをしたんですけど、その別れ方に後悔して――」
ぷつん、音が切れた。無造作にリモコンを掴んだ綾杜が、電源を切ったのだ。慎の意識が、ふっと眼前に居る少年に戻る。
「俺が、ガキだから言わなかったのか」
口にしてすぐ、ばか、そうじゃねぇだろと内心で突っ込んだ。綾杜の胸中は雨風に
「俺は慎君の友達じゃねえのかよ……」
「親友だよ」
「じゃあ何でっ……」睨むように、それでいて今にも泣き出しそうな顔を向けた綾杜を、透き通るオッドアイが映す。慎は静かに言った。
「楓はね、
綾杜の口から渇いた息が漏れる。冬の寒さに覆われたみたいに、全身が硬直した。
「
首を振っては、「俺は慎君のことをよく知ってる……」と呟く。感情の
「楓の死後、俺はこの
「じゃあやっぱり九尾の狐が」、と口にした綾杜に、ゆっくりと首を振る。
「九尾の狐は、適任であるようで適任ではない者が多い。便利が故に大切に扱わず、都合よく利用する者や、妖装の恐ろしさを学ぶことなく使う者も多いからね。そして困ったことに、俺の妖装は好き嫌いが
くす、と困ったように肩を竦める。然し、銀の
「それでね、ここ最近になって
「は……いや待て。だからって何でそうなるんだよ」
訳が
「いきなりじゃないよ。だって綾杜、去年の誕生日に、髪飾が欲しいって半泣きで俺に
途端に耳先を赤らめては、「そんなの、
「どうして? あの時の綾杜すごく可愛かったよ。勿論今も可愛いけれど」と首を傾けると、「うるせえ……」と綾杜は
「それは、他の誰よりも君が適任だと思ったからだよ」
「綾杜は妖装の素晴らしさも、恐ろしさも両方知っている。そして君は、まだ子どもとは言え、客観的な眼で物事を見る力にも優れている。何よりこの髪飾は、綾杜のことをとても気に入っているからね。でも、押し付けるつもりは全然無いよ。選択するのは綾杜だ。嫌だったら断ってくれて構わない。綾杜の自由だよ」
そう言っては、
「俺以外にあげようと思った奴、いないの?」
「いないよ」
「一人も?」
「うん。一人もいない」
落ち着き払った声は、嘘を吐いているようには見えない。綾杜は考え込むように黙った。暫くして顔を上げては、躊躇うようにまた俯く。
「綾杜、訊きたいことがあるなら口にしていいんだよ。遠慮しなくていい」
優しい声だった。それでいて綾杜が何を訊ねようとしているのか、解っている風でもあった。黒眼を揺らした綾杜がそっと顔を上げる。
「楓は、どんな
知りたくない。でも知らなければならない、と綾杜は思った。少しの間を置いてから、慎が口を開く。
「殺されたよ。禁忌の掟で
「そいつはまだ、生きてんの……」
「うん。生きてるよ。楓の妖装である黒い髪飾を所有しながら」
「くそっ……。だったらそいつに会って
「綾杜」
静かな声が制止する。綾杜は小さく肩を揺らした。然し、続く声は変わらず穏やかなものだった。
「綾杜も知っている筈だよ。禁忌の掟を犯した妖狐は、本来の寿命を真っ当することが叶わなくなるって」
一瞬声を詰まらせるも、綾杜は納得出来ない様子でオッドアイを見つめ返した。
「復讐してやりたいって思わねえの……?」
「思わないよ」
「嘘だ……。慎君がそいつに妖攻すれば」
遮るように、慎が首を振る。
「嘘じゃないよ。その相手は
途端に、綾杜は後悔した。ごめん、と口にすると、優しい声で「大丈夫だよ」と返ってくる。「俺の方こそごめんね」と謝る繊細さに、胸の奥が軋んだ。
「待てよ……。じゃあつまり楓は、相手が
「そうだね」
「じゃあだとしたら、何で
写真立てに眼を走らせた綾杜が、強い疑問を示す。
「それはね、その相手が完璧に妖術を扱うことが出来なかったからだ。妖術を自分のものに出来ていない、半端な状態で妖攻したんだ。だから楓の身体も憶い出も、光の粒になって完全に消えることは無かった……。それだけで、十分だよ」
その声音に憤りといった類は無い。ただ、寂しさだけがある。
髪飾に視線を戻した綾杜はよく考え始めた。――父さん母さんは? と思っても見たが、父さんは髪飾に噛まれ、母さんの手からはすぐに離れてしまったことを憶い出し、その考えをすぐに打ち消す。
自分に
「わかった。慎君の髪飾は俺がもらう。ぐだぐだあれこれ考えて、何もしねえのは好きじゃねえからな。だから、実際に使ってみて扱えないってなったらその時は返品する。それでいいか?」
「ふふ。ありがとう。髪飾も喜ぶよ」
不安はある。然し、自分の考えで決断したことについて、綾杜は少し誇らしい気持ちがした。
「慎君」「うん?」「髪飾をもらってやる代わりに、一つ約束して欲しい」と言うと、「なあに?」と柔らかな声が返ってくる。綾杜は
「一人で全部背負わないって。……親友が少しも頼ってくれないの、すげえ悲しいんだぞ」
オッドアイが、微かに波打つ。揺れる湖面に月が浮かんでいるみたいに、儚く。慎は小さく口端を持ち上げて微笑んだ。
「何笑ってんだよ……」
「いや、綾杜は俺より何倍も大人だなあって」
「ばかにしてんのか?」
「違うよ。
むすっとしたつり眼が青年を睨む。然しその頬は少し赤らんでいた。はあと息を吐き出した綾杜が、夜の気配を取り込む硝子窓に視線を遣る。
「父さんと母さん、俺が慎君の髪飾もらったって聞いたら仰天するだろうな」
「あ。それなら事前に話を通してるから、清も桃子さんも知ってるよ」
「は?」
「綾杜はまだ九歳の未成年だ。両親の承諾も得ずに妖装を渡すことはできない。……正直怒られるかなって思ったけど、二人共真剣に耳を傾けてくれて、『息子の考えに一任する』って言ってくれたんだ。今日は
「そっか……」込み上がる感情とは裏腹に、素っ気ない返事が空気に混ざる。
「そういえば綾杜、夏休みの宿題は終わったの?」
ぎくり、と肩を揺らす先で、積み重なっているプリント等を認めた慎が、「一行日記なんて懐かしいなあ」と呟く。そして「日記は
「いいのか?」
「ふふ。勿論だよ」
「やった! 麻子よりも早く宿題終わらせてやる」
急にやる気スイッチが入ったみたいに、気合の
「そういえば、麻子ちゃんは元気?」
「元気元気。ただ友達に会えなくてしょげてたけど」
「そう。それは寂しいね」
「夢叶ちゃん夢叶ちゃんて、その子の名前をうるせえくらい言うんだよ」
急に、慎の表情が固まった。
「慎君……?」
「夢叶ちゃん、て言う子の苗字は知ってる?」
「え、ああ、確か月雪だったと思うけど……」
慎が、硬く瞼を閉ざす。何かを必死に堪えるみたいに――――。それは、深い失望や怒りの類を表しているようで。然し、それが何処に向けられた感情なのか、綾杜には検討も付かない。ただ漠然とした不安を覚えた。
「慎君は、夢叶って子と知り合いなのか?」
「いや。俺が一方的に知っているだけだよ」
「じゃあ夢叶が
僅かに顔を顰めた慎は、もう一度瞼を伏せてから言った。
「夢叶ちゃんのご両親……今月の上旬に亡くなったんだ」
「まさか、だって仕事だって」
「それはきっと、麻子ちゃんを傷つけたくなくて吐いた嘘だと思う」
「は……、っ夢叶は、無事なのか」
「
綾杜の脳裏に、麻子の笑顔が浮かんだ。事実を知らない麻子のことを――。綾杜は恐怖を覚えた。慎が楓のことを話せなかった
「麻子、会えるのずっと楽しみにしてたんだよ……。こんなの、酷過ぎるだろ」
ごめん、と慎が謝る。
「慎君は、何も悪くないだろ」
「悪いと思うよ」
「……何に?」
答えは無かった。そして綾杜も、それ以上追求する気になれなかった。慎が自分と同じ――いや、それ以上に傷ついているように見えて。
穏やかな陽射しから、急に真夜中に放り出されたみたいな、暗い沈黙が流れる。暫くしてから、慎は俯く少年の名前を呼んだ。重々しく顔を上げては眼を瞠る。そこには何時になく、強い意志を露わにした顔が在った。
「俺がどうして夢叶ちゃんを知っているのか、綾杜には話したいと思う。話さなくちゃいけないとも思う……。だけどそれは、間違い無く綾杜を傷つける。だから聞きたくなければこれ以上は何も言わない。……狡い訊き方をしてごめんね」
聞く、と答えた綾杜の返事は早かった。好奇というよりも、向き合わなければならない、という思いと緊張が背筋を伸ばす。
「長い話になる。それでも聞いてくれるかい?」
綾杜は
「起きた時期は異なる。だけど夢叶ちゃんの件と楓の件、この二つは密接に繋がっている」
∞ ―― ―― ―― ―― ―― ―― ―― ―― ∞
そっと、瞼を開ける。
上半身を起こした綾杜は、ベッド脇にあるサイドテーブルへ眼を向けた。
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