第4話 花と氷


 

 まっしろな画用紙に、あの日の輝きがよみがえる。赤で燃えるような夕陽を描き、ゴールドのクレヨンで夢叶ちゃんとキラ君のお目目と髪を。まっしろなクレヨンでキョウ君を。まっくろなクレヨンはキョーコちゃんと私。そしてミルクティー色はネネちゃん。


「あ、もちろんきいちゃんとしろちゃんも描くよ。これはね、夕陽にそまった道をみんなで仲良く歩いた時の絵なんだ」


 机の上には画用紙を囲うようにしてクレヨンがちらばっている。一生懸命描いた絵から顔を上げると、机の上にいっしょにいるきいちゃんのお目目と視線が重なった。


「どう? うまく描けたかな? このお絵はね、今度夢叶ちゃんにプレゼントしようと思ってるの! もうすぐお泊まりの日だから。あ、でもその前にキョウ君とキョーコちゃんにも見せてあげよう!」


 わくわくした気持ちで鼻歌を口ずさみながら、クレヨンを一つずつケースへ戻していく。


「見せる前にちゃんとお片付けしなきゃね」


 カレンダーが八月に変わり、私はお泊まりの日が近づいている今日にうれしくなった。夏休みに入ってからというものずっとこんな調子だ。

 二年生になってから私は少しずつ変わった。まず、給食のおかわりを我慢していたのをやめた。すると我慢していた一年生の頃よりも今の自分がすきなった。そしてキョウ君は本来のまっしろな姿で、学校行事に来てくれるようになった。素直な私の気持ちをきちんと伝えたから。その時のキョウ君、私のことを抱きしめながらありがとうって言ってくれて。その声は少しふるえていた。

 ヘンとかフツーじゃないとか、今もいろいろ言われることはあるけど、一年生の頃よりはかなしい気持ちにならなくなった。それは言われることに慣れたからじゃない。自分にとって何がたいせつなのか、それがちゃんとわかったから。だからもう、自分の好きをかくしたりしない。


 それからあっという間にクレヨンの片付けが終わると、描いたばかりの絵ときいちゃんをだきしめながら自分の部屋を後にした。

 腕の中にいるやわらかなきいちゃんは、毎日ベッドでいっしょに寝ている。くりっとしたきいちゃんのまっくろなお目目は、夢叶ちゃんのお目目と形が似ていてとてもかわいい。時々手洗いして、ぽかぽかのお日さまを浴びているの。


「キョウ君キョーコちゃん!」


 浮き立つ気持ちのまま、かけ足でリビングへ向かう。するとこちらに背を向けながら立っているキョウ君は、ぶらりとたれ下がった手にスマートフォンを持っており、となりにはキョーコちゃんの姿もあった。


「ねえ見て、だいすきなみんなを描いたの!」


 二人の元へかけ寄りながら、元気いっぱいにそれを見せる。


「ちゃんとみんなの色で描いたんだよ。きいちゃんもしろちゃんもかわいく描けてるでしょ? 夢叶ちゃんとキラ君はきらきらゴールド! ネネちゃんはミルクティー」

「まこっ……」


 順番に説明している途中で、キョウ君はなぜか遮るように名前をよんだ。え、と思いがけず戸惑いがこぼれたのは、キョウ君の声がいつもとちがうのに気づいたから。


「どうしたの……キョウ君もキョーコちゃんも、どうして泣いてるの?」


 こちらへ振り返った二人は、私が持っている絵ときいちゃんを目にした瞬間。こらえていた何かがあふれ出したみたいに、なみだをぽろぽろ流しながらそっと私をだきしめた。


「麻子……」

「キョウ君どうしたの、少し苦しいよ」と戸惑いながら言うと、キョウ君はなぜかごめんと謝って言った。「夢叶ちゃん家にお泊まり、できなくなった」

 え、とさっきよりも大きな動揺がこぼれる。手に持っていたはずの絵が床に落ちた。


「やだ……うそだよね?」


 あの日からずっとたのしみにしてた。また会えるって。まほうのトンネルにまた一緒に行くんだって約束したのに。

 急にキョウ君の腕から出たくなった。でもキョウ君は抵抗しようとする私を離してくれない。キョウ君は細くふるえる吐息をこぼしてからゆっくり話し始めた。


「実は吉良さんの仕事の都合で、急に遠くに行くことになったんだ……約束守れなくてごめんって、麻子に伝えてほしいって」

「いつ帰ってくるの? もう、夢叶ちゃんに会えないの?」

「会えるよ……麻子が夢叶ちゃんのことをたいせつに想っていれば、いつかまた必ず会える」


 そう話すキョウ君の声はかなしいくらいふるえていて。私をだきしめるキョーコちゃんはまぶたをきゅっとつむったまま、声もなく泣いていた。

 いつもよりも強くぎゅっとされているせいか胸が苦しい。ふり止まない雨のように、次から次へとこぼれ落ちるそれが、きいちゃんのほっぺを冷たくぬらした。濃いきいろのしみが静かに浮かぶ。まるできいちゃんも泣いているみたいに見えて、私の目からも透明ななみだがこぼれた——もしかしたらしろちゃんも泣いているのかもしれない。まぶたの裏に浮かぶきらきらの笑顔が、なみだといっしょに遠くにかすんだ。



「きいちゃん、行ってくるね」


 あれから早数年、私は中学生になった。きいちゃんは今も変わらず私のベッドにいる。少し色褪せてしまったけれど、それも含めて愛おしい。きいちゃんのくりっとしたつぶらなひとみが、セーラー服を身に纏う私を優しく映す。その表情はまるで、いってらっしゃいと囁いているように見えた。


「麻子、早くしないと遅れるわよ?」

「梗子ちゃん。麻子は俺に似て大丈夫だよ」

「慶くんの言う通り! だから安心して梗子ちゃん」

「まったくもう。変なところで慶くんにそっくりなんだから……それにしても麻子、セーラー服がよく似合ってるわ。また一歩大人に近づいたのね」

「きっと充実した中学生活になる。新しい出会いを楽しんでおいで」

「うん! 梗子ちゃん慶くんありがとう。行ってきます」


 変わらない二人の優しさに自然と笑みが溢れる。今日から本格的に中学生活が始まるため、幾らか緊張するものの、期待してる自分もいた。

 両親が朝食を囲うリビングの壁には、あの日私が描いた絵が額縁に入って飾られている。お世辞にも上手とは言えないけれど、絵の中の六人と二つのぬいぐるみはにっこりと今日も微笑んでいる。うつくしい夕陽を一緒に見たあの日から、夢叶ちゃんとは会っていない。現在いま何処にいるのか、元気なのかさえわからない。慶くんや梗子ちゃんに夢叶ちゃんのことを訊くと、とても寂しそうな顔をする。そして申し訳なさそうに何も解らないんだと言って謝る。


 スクールバッグを持ち玄関を出た私は、歩いている途中でふいに足を止めた。近所の家に咲いてる真っ赤な花が、私の視界をさらっていく——大好きと言っていたこの花をまた一緒に見たい。そう心胸こころで呟いては隙間風が吹き抜ける。それからどのくらい見ていたのか、このままだと遅刻してもおかしくない時間に差し掛かっていて。


閃術せんすい瞬光しゅんこう


 人眼ひとめにつかない路地裏に駆け込んで素早く唱える。すると風を切るような速さで身体が発進した。

 大通りで唱えても良かったけど、まれに妖術が見える人間がいるから気をつけなさいって、慶くんに口酸っぱく言われているから念のため。まだそんな人間に出会ったことはないけれど。

 速さを持ち味とした「閃術・瞬光」という妖術は、近すぎず遠すぎない中距離用のものだ。ちなみにこの伍は、かろうじて新幹線くらいの速さで、今の私ができる限界速度。閃術は一つの例外を除いて、他にも近距離や長距離に特化した術がある。目的地や状況に適したものを判別する能力が必要になるから、体力作りや経験も大事だ。自分を過信したり見誤ると、身体への負荷が大きなものになってしまう。


「よし間に合った。授業初日早々に怒られるなんて嫌だもんね」


 下駄箱にローファーを入れ、真新しい上履きへと履き替える。朝の会が始まるまであと五分はあるから、教室までは余裕を持って行けそうだ。ほっと安堵しながら、急ぐことなく四階まで上がりクラスへと向かう。するとその途中で、とあるクラスの前に人集りができているのが眼に入った。


「ねえ、あの人って入学式で見たかっこいい人だよね!」

「芸能活動でもしてるのかな? あのお洒落な髪って地毛? ハーフって聞いたけど眼はカラコンかな?」


 集まっているのはみんな女子で、その傍を通りかかった男子たちがうんざりそうに横眼を向けていた。そこには妬心のような種類も浮かんでいて。何となく関わりたくないなと本能で感じた私は、存在感を消すように歩く。


「そういえば入学式の後、三年のユウコ先輩に告白されたらしいよ。でもユウコ先輩、あっさり振られちゃったらしい」

「え、ユウコ先輩ってあの美人で有名な? 確かモデル活動もしてるんだよね……それじゃあ私たちなんて振られる以前の問題じゃない」

「そりゃそうでしょ。あれだけ整ってるんだから。でも意外に中身重視かもしれないし」

「それ最高……って、一緒に話してる男子もかなりのイケメン!」


 こういった話題に溶け込むのは小さい頃から得意じゃない。注目の的となっているそのイケメンボーイも、朝からこんなに好き勝手噂されて、あまりいい気はしていないだろうな。いや、むしろその視線を集めている自分に恍惚うっとりするようなタイプかもしれない。なんて一人勝手な想像をしていると、興奮した様子の女の子と肩が打突ぶつかった。咄嗟に謝るも、彼女は私のことなど見えていない様子で必死に例のクラスを覗き込んでいる。思わずため息がこぼれそうになりながら視線の先が見えたその時、私は思いがけず足を止めた。


「何で……」


 その男は窓際の席にいた。柔らかそうな猫っ毛の銀髪。異なる二色の眸に整った容姿。学ランを着た彼は同い年とは思えないほど大人びた雰囲気がある。それは氷を連想させるような冷たさにも似ていた。そしてそんな彼は一つ前の席にいる黒髪の男と話していて——本当だ、とふと想った。騒がれているだけあって黒髪君も美男子だ。でも驚きでいっぱいの私はそれどころじゃない。


 ——九尾の狐ってどんな外見なの?

 ——九尾の狐は例外なく、オッドアイのうつくしい眸を持っている。そして佇まいが他とはまるで異なる。

 いつだったか慶くんと交わした会話が脳裏を過ぎる。あの頃は佇まいの意味がよく解っていなかった。でも十二か十三という年齢でこんな雰囲気を纏うのは異様というか、少し違和感があるような。


「ねえ、彼女いるのかな?」

「一度でいいからあんな美男子の隣を歩いてみたい」

「私もこのクラスがよかった」


 もうすぐ朝の会が始まるというのに、女子たちは一向にこの場から動こうとしない。一見すると、私もその一人に加わっているように見られているのかもしれない。と冷静さが戻ってきた私は視線を戻そうとした。でもその直前で、ふいに例のオッドアイと視線が重なる。

 深緑色と藍色の眸が私を見た。それは時間にして数秒ほどしかないのに永遠のようにも感じられて。その男から放たれる圧倒的な雰囲気のせいか、簡単には眼を逸らすことのできない何かを強く感じた。

「ねえ、今こっち見た!」と歓喜に震える女の子たちの声に意識が明瞭になった私は、結局急ぎ足で自分のクラスへと向かった。


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