26 花と氷



 まっしろな画用紙に、あの日の輝きがよみがえる。温かい夕陽を赤で描き、夢叶ちゃんとキラ君のお目目と髪はゴールドで。まっしろなクレヨンはキョウ君を。まっくろなクレヨンはキョーコちゃんと私。そしてミルクティー色はネネちゃんを。


「あ、もちろんきいちゃんとしろちゃんも描くよ。これはね、夕陽にそまった道をみんなで仲良く歩いた時の絵なんだ」


 机の上には画用紙を囲うようにしてクレヨンがちらばっている。一生懸命描いた絵から顔を上げると、机の上にいるきいちゃんとお目目が重なった。


「どう? うまく描けた? このお絵はね、今度夢叶ちゃんにプレゼントしようと思ってるの、もうすぐお泊まりの日だから。あ、でもその前にキョウ君とキョーコちゃんに見せてあげようっと!」


 わくわくした気持ちで鼻歌を口ずさみながら、クレヨンを一つずつケースへ戻していく。


「見せる前にちゃんとお片付けしなきゃね」


 カレンダーは八月に変わり、私はお泊まりの日が近づいている今日がうれしくなった。夏休みに入ってからというもの、毎日がずっとこんな調子だ。

 二年生になってから私は少しずつ変わった。まず、給食のおかわりを我慢していたのをやめた。すると我慢していた一年生の頃よりも、今の自分がすきなった。そしてキョウ君はまっしろな姿で学校行事に来てくれるようになった。素直な私の気持ちを伝えたから。その時のキョウ君、私のことを抱きしめながらありがとうって言ってくれて。その声が少しふるえてたのを今でも覚えてる。

 ヘンとかフツーじゃないとか、今も色々言われることはあるけど、一年生の頃よりかなしい気持ちにはならなくなった。それは言われることに慣れたからじゃない。自分にとって何が大切なのか、それがちゃんとわかったから。だからもう、自分の好きをかくしたりしない。


 クレヨンを片付けた私は、描いたばかりの絵ときいちゃんをだきしめながら自分の部屋を後にした。腕の中にいるきいちゃんは、毎日ベッドでいっしょに寝ている。くりっとしたきいちゃんのまっくろなお目目は、夢叶ちゃんのお目目と形が似ていてとてもかわいい。時々手洗いして、ぽかぽかのお日さまを浴びているの。


「キョウ君キョーコちゃん!」


 浮き立つ気持ちのまま、かけ足でリビングへと向かう。するとこちらに背を向けながら立っているキョウ君は、ぶらりとたれ下がった手にスマートフォンをにぎっており、となりにはキョーコちゃんの姿もあった。――何かいつもとちがう。ヘンだなって思ったけど、自分の勢いを止めるこは出来なくて、


「ねえ見て見て、だいすきなみんなを描いたの!」そう言って二人の元へかけ寄りながら、自信にみちた顔で絵を見せた。「ちゃんとみんなの色で描いたんだよ。きいちゃんもしろちゃんもかわいく描けてるでしょ? 夢叶ちゃんとキラ君はきらきらゴールド! ネネちゃんはミルクティー」「麻子……」


 順番に説明している途中で、キョウ君はなぜか遮るように私の名前を呼んだ。え、ととまどいの声がこぼれたのは、キョウ君の声がかすかにふるえていたから。


「どうしたの……キョウ君もキョーコちゃんもどうして泣いてるの……?」


 ゆっくりと振り返った二人は、私が持っている絵ときいちゃんを目にした瞬間。こらえていた何かがあふれるみたいに、なみだをぽろぽろと流しはじめた。キョウ君が強く私をだきしめる。「キョ、キョウ君どうしたの……苦しいよ」少し身をよじると、キョウ君はごめんと謝った。重みのある声に何も言えなくなる。


「夢叶ちゃん家にお泊まり、できなくなった」その言葉に、手に持っていたはずの絵が床に落ちる。


「……うそ、だよね? どうして急に、だって一昨日、夢叶ちゃんからお手紙の返事が届いて、たのしみにしてるって言ってたのに」


 そう、私もあの日からずっとたのしみにしてた。また会えるって。まほうのばらを一緒に見に行こうって約束したのに。思わずキョウ君の腕から出たくなった。でもなぜか、抵抗する私を離してくれない。


「キョウ君っ……」

「ごめんな。実は、吉良さんの仕事の都合で、急に遠くに行くことになったみたいなんだ……約束守れなくてごめんって、麻子に伝えてほしいって」

「え、じゃあいつ帰ってくるの? もしかしてもう、夢叶ちゃんには会えないの?」

「いや、会える。会えるよ……麻子が夢叶ちゃんのことを大切に想っていれば、必ずまた会える」


 そう話す声はかなしいくらいふるえていて。私をだきしめるキョーコちゃんはまぶたをきゅっとつむったまま、声もなく泣いていた。――胸が苦しい。両目からあふれ出るそれが、きいちゃんのほっぺを冷たくぬらしていく。濃いきいろのしみがいくつも浮かんだ。まるできいちゃんも泣いているみたいに見えて、私の目からも透明ななみだがこぼれる。もしかしたら、しろちゃんも泣いているのかもしれない。まぶたの裏に浮かぶきらきらの笑顔が、なみだといっしょに遠くにかすんだ。



「きいちゃん、行ってくるね」


 あれから早数年が経過し、私は中学生になった。きいちゃんは今も変わらず私のベッドに居る。少し色褪せてしまったけれど、それも含めて愛おしい。きいちゃんのくりっとしたつぶらなひとみが、セーラー服を身に纏う私を優しく映す。その表情はまるで、いってらっしゃいと囁いているように見えた。


「麻子、早くしないと遅れるわよ?」

「梗子ちゃん。麻子は俺に似て速いから・・・・大丈夫だよ」

「慶くんの言う通り! だから安心してよ梗子ちゃん」

「まったくもう。変なところで慶くんとそっくりなんだから……それにしても麻子。セーラー服よく似合ってるわ。また一歩大人に近づいたのね」

「きっと充実した中学生活になる。新しい出会いを楽しんでおいで」

「うん! 梗子ちゃん慶くんありがとう。行ってきます」


 変わらない二人の優しさに自然と笑みが溢れる。授業が始まる今日から、本格的に中学生活が始まるため少し緊張している。だけど期待してる自分もいた。

 両親が朝食を囲うリビングの壁には、あの日私が描いた絵が額縁に入って飾られている。今にして思うと、お世辞にも上手とは言えない出来だけど、絵の中の六人と二つのぬいぐるみはにっこりと今日も微笑んでいた。うつくしい夕陽を一緒に見たあの日から、夢叶ちゃんとは再会出来ていない。現在いま何処にいるのか、元気なのかさえ解らない。慶くんや梗子ちゃんに夢叶ちゃんのことを訊くと、とても寂しそうな顔をする。そして申し訳なさそうに何も解らないんだと言って謝る。


 スクールバッグを持ち玄関を出た私は、歩いている途中でふと足を停めた。近所の家に咲いてる真っ赤な花に眼が留まる。大好きと言っていたこの花をまた一緒に見たい想いに駆られる――元気? 現在いま何処にいるの? それからどのくらい見ていたのか、気付けば遅刻してもおかしくない時間帯に差し掛かっていた。


閃術せんすい瞬光しゅんこう


 人眼ひとめにつかない路地裏に駆け込んで素早く唱える。すると風を切るような速さで身体が発進した。大通りで唱えても良かったけど、まれに妖術が視える人間がいるから気をつけなさいって、慶くんに口酸っぱく言われているから念のため。まだそんな人間に出会ったことはないけれど。


 速さを持ち味とした「閃術、瞬光」という妖術は、近すぎず遠すぎない中距離用に特化したものだ。ちなみにこの伍は、新幹線に近いくらいの速さで、今の私ができる限界速度。閃術は一つの例外を除いて、他にも近距離や長距離に特化した術がある。その時の目的や状況に適した判断力が必要になるから、体力作りや経験も大事だ。過信したり見誤ると、身体への負荷が大きなものになってしまう。


「よし、間に合った。授業初日から早々に怒られるなんて嫌だもんね」


 そうこぼしては下駄箱にローファーを入れ、真新しい上履きに履き替える。朝の会が始まるまであと五分はあるから、教室までは余裕を持って行けそうだ。ほっと安堵し、急ぐことなく四階まで上がりDクラスへと向かう。するとBクラスの前に人集りができているのが眼についた。


「ねえ、あの人って入学式で見たかっこいい人だよね!」

「芸能活動でもしてるのかな? あのお洒落な髪って地毛? ハーフって聞いたけど眼はもしかしてカラコン?」

「自分の眼らしいよ。もう眼福過ぎる」


 集まっているのは何故か皆んな女子で、傍を通りかかった男子たちがうんざりそうに横眼を向ける。そこには妬心のような種類も浮かんでいて、何となく関わりたくないなと感じた私は存在感を消すように歩いた。


「そういえば入学式の後、三年のユウコ先輩に告白されたらしいよ。でもユウコ先輩、あっさり振られちゃったらしい」

「え、ユウコ先輩ってあの美人で有名な? 確かモデル活動もしてるんだよね。でもそれじゃあ私たちなんて、振られる以前の問題じゃない」

「そりゃそうでしょ。あれだけ整ってるんだから。でも意外に性格重視かもしれないし」

「それ最高……って、一緒に話してる男子もイケメンじゃない?」


 こういった話題に溶け込むのは小さい頃から得意じゃない。注目の的となっているそのイケメンボーイも、朝からこんなに好き勝手噂されて、あまりいい気はしてないだろうな。いやもしかすると、視線を集めている自分に恍惚うっとり酔いしれるタイプかもしれない。

 一人勝手な想像を広げていると、「今眼合っちゃったかも!」と興奮している女の子と肩が打突ぶつかった。瞬時に顔を向けて謝るも、本人は気付いていないのか、必死にBクラスを覗き込んでいる。ふぅとため息がこぼれそうになったその時、思わず息を呑んだ。


 窓際の後ろに座る男子生徒に、視線が留まる。柔らかそうなウェーブがかった銀髪。異なる二色の眸。学ランを着ているその男子は、まるで映像芸術アニメから出現あらわれたみたいで、同い年とは思えないほど大人びている。例えるならそう、何処か氷みたいな雰囲気。そんな彼は一つ前の席にいる黒髪男子と話していて――本当だ、と私も思ってしまった。騒がれているだけあって黒髪君も美男子だ。でも私は驚いているのはそこじゃない。


 ――九尾の狐ってどんな外見なの?

 ――九尾の狐は例外なく、オッドアイのうつくしい眸を持っている。そして佇まいが他とはまるで異なる。

 何時だったか、慶くんと交わした会話が脳裏を過ぎる。あの頃は佇まいの意味がよく解っていなかった。でも私と同じ十二か、若しくは十三という年齢でこんな雰囲気を纏うのは異様というか、ちょっと違和感があるような。


「ねえ、彼女とかいるのかな?」

「一度でいいからあんな美男子の隣を歩いてみたい」

「私もBクラスがよかった」


 もうすぐ朝の会が始まるというのに、女子たちは一向にこの場から動こうとしない。一見すると、私もその一人に加わっているように見えるのかもしれない。ふと、冷静さと変な焦りが湧いて視線を逸らそうとした。でもその直前で、数メートル離れているオッドアイと急に打突ぶつかる。

 深緑色と藍色の眸が私を捉えた。それは時間にして数秒ほどしかないのに永遠にも感じられて。その男から放たれる圧倒的な雰囲気のせいか、簡単には眼を逸らすことのできない何かを強く感じた。


「ねえ、今こっち見たよね?」、歓喜する声に意識が引き戻された私は、逃げるように自分のクラスへと足を急がせた。

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