第5章 きれいなお花が咲いているから

第1話 きらきら

 

 知らない、遠い場所に来てしまった気がする。カラフルなきらきらの輝きは、いったいどこに消えちゃったんだろう。東京ってこんなに——「何もないところだっけ……?」


 左を向いても右を向いても高いビルは一つもない。のどかな一本道の前に、ただまっちゃいろな土があるだけ。

「秋になるとおいしいお米ができるんだよ。このまっちゃいろは生命いのち。たくさんの愛情が込められてるんだよ」ってキョウ君が教えてくれた。

 お米はだいすきだから毎日もりもり食べる。でも毎日食べるお米が、どこからやってきているのかなんて今まで考えたこともなかった。


「何もないなあ」


 おんなじ東京なのにおんなじじゃない。だって私が住んでいる東京は人がいっぱいで、みんなせかせかしてる。スマートフォンを見ながら歩いているのになぜか人とぶつからない。

 それに比べてこの村は人が全然歩いてない。大人も子どもも。もう五分近く歩いているのに、まだ誰ともすれ違わない。時間がとてもゆっくり流れているような気がする。もくもくと、空に浮かぶ雲みたいに。


「キョウ君とキョーコちゃん心配してるよね……はあ」


 今日この村にやってきたのはキョウ君の親戚の家に用があったから。だけど私はキョウ君とキョーコちゃんが親戚の人となかよく話してる途中で、一人ふらっと外へ出た。誰にも言わないで。これが悪いことなのはわかってる。だからあとで、きちんとごめんなさいしなきゃいけない。

 仲のいい両親がお互いのことを名前で呼び合っているせいか私も自然と名前呼びになった。クラスメイトたちからは「麻子ちゃんヘン。フツーお父さんお母さんとか、パパママって呼ぶんだよ」って言われちゃったけど。


「もうすぐ新学期……行きたくないな」


 今はまだ春休みだから、朝起きるのは苦痛じゃない。でも来月になったら新しいクラスがはじまる。一年生の時「友達百人できるかな」って歌ったけど、友達と呼べる人は一人もできなかった。それが今年も含めてあと五年もあるなんて考えるだけでこわい。たとえその五年を何とか乗りこえて卒業できたとしても、まだ中学とか高校というものがある——別に、いじめられていたわけじゃない。ただみんなと仲良くすることが上手にできなかっただけ。


 小学一年生になったばかりの頃。クラスの女の子たちが私の家に何人か遊びに来た。

「入学式でも思ったけど、麻子ちゃんのお父さんってヘンだよね。きっとだよね?」とうすら笑いされ、それ以来クラスメイトが遊び来ることはなかった——それはキョウ君の髪がソフトクリームみたいにきれいなまっしろだから。「本当は血がつながってないんだよ」「日本人なのにまっしろなんておかしい」と、ヘンなものでも見るようにキョウ君を見た。アイドルの髪がカラフルなのはカッコイイとよく話しているのに、キョウ君はヘンらしい。


 アジサイがきれいに咲いた六月のある日、「お父さんの絵を描いて、父の日にプレンゼントしましょう」と担任のミユキ先生が言った。私がまっしろなクレヨンで絵を描いていたら、隣の席のタカハシ君が「フツー黒か茶色だろ。まっしろとかきもちわる」と言った。そのときちょうど横を通った先生は「麻子さんまじめに描きなさい。お父さんがかわいそうでしょう」とため息をついた。

 二人の険しい目は私はひどく不安にさせた。みんなキョウ君の髪色を知っているのに、どうしてもフツーじゃないといけないらしい。インナーカラーというものをしている他のお母さんたちはおしゃれだって言うのに、どうしてキョウ君は……私はきれいなまっしろを、まっくろなクレヨンで塗りつぶした。先生には「きれいに描けましたね」って言われたけど、キョウ君にその絵を見せることはできなかった。


 そしておんなじ六月にあった授業参観の日。二人はそろって一緒に来てくれた。いつ染めたのか、キョウ君の髪はまっくろになっていて。途端にクラスメイトみんなが目の色を変えて、キョウ君のことをカッコイイと言うようになった。自分の頬が不自然にかたくなるのを感じながら、私はただ笑っていて。お腹の方からぶわぁっと込み上がる熱に、私は私をケイベツした。


「空ってこんなに広いんだなあ……」


 どこまでも続くブルーの空が視界いっぱいに広がる。いつもの東京ではこんなに広い空は見えないからフシギ。

 それから少し歩いてつかれた私はその場にしゃがみこんだ。地面の上をてくてく歩くアリたちが近くから見える。小さな体で迷いなく進んでいる姿に、わたしは去年の十二月のできごとをふと思い出した。


 その日の体育はいつもと違ってトクベツで、クラス対抗リレーというものを行うことになった。クラスのみんなは優勝をねらいはりきっていて。寒い中でもめらめらとした熱気にあふれていた。

 でもいざ本番がはじまると、その熱気は少しずつ下がっていった。バトンパスがうまくできなかったり、転んで泣いちゃう子たちが出て、クラスのふんいきがどんどん悪くなった。

 結果はまだわからないのに「ビリで決まり」「つまんなあい」と、みんなため息ばかりこぼすようになった。そんな気持ちのままリレーを終えるのがいやで、私は自分が走る時、ヒミツの「とくしゅのうりょく」を使うことにした。それをするとびゅーんって速く走れるから。

 そしてビリからイチバンになリ、ニバンと差をつけてバトンパスをした。すると雲っていたクラスメイトたちの目が一気に輝きはじめた。「麻子ちゃんすごい!」「イチバンだイチバン!」とみんなが大きな口をあけて笑うのがうれしくて。クラスメイトたちとの距離がいつもよりぐんとちぢまった気がしたの。

 だけど結果はイチバンじゃなくビリだった。バトンパスがなかなか上手にできなくて。そりゃあもちろんくやしかったけど、それよりもみんなの笑顔が消えたことの方がかなしかったの。


「麻子ちゃんがイチバンにならなきゃ、ビリでもこんなにガッカリしなかったのに」

「たかがリレーなのに、麻子ちゃんてば一人ではりきり過ぎだよ。速すぎて人間じゃないみたいだったもん」

「給食だって毎日何回もおかわりして食べてるの引いちゃうよね。だからタカハシ君が麻子ちゃんのこと『かいじゅう』って呼んでたよ」


 きゃははと笑う声がこだまするのを、私はろう下のすみっこでただ聞いていた。

 その日以来私は学校で「とくしゅのうりょく」を使っていない。給食のおかわりもがまんするようになった。

 だれかに笑われることもほめられることもこわくなって、いつの間にかフツーになることばかりを気にするようになった。フツーが何なのか、私にはわからないのに。


「はあ……」


 自然ゆたかな空気とは似合わないため息がこぼれる。ついさっきまで私のそばを歩いていたアリたちはいつの間にか見えなくなっていた。それがさみしくもあり、うらやましくもあって——「ねえねえ。お名前なんていうの?」


 とつぜん背中からかけられた声におどろく。とっさに後ろを向くと、そこには私と同い年くらいの女の子が一人立っていて、思わず目を見開く——だって髪もくりっとしたお目目も、きらきらのゴールドに光っているんだもの。


「きらきら、きれい……」


 それはいつも東京で目にするきらきらとはまるで違うものだった。世界に一つだけしかないトクベツなものだと、胸の中が急に熱くなる。

 女の子はきいろとまっしろのきつねのぬいぐるみをだっこしながら首をかしげた。そして私はようやくあることに気づく。


「あなたもしかして、ビャッコと人間のハーフ?」


 すると驚いた様子で「え、何でわかったの? もしかしてあなたもいっしょ?」ときらきらした目で聞いてきたから、うんとうなずく。すると彼女はぱあっと頬を赤くしながら笑った。


「うれしい! 私見分けることができないからわからなかった。すごいね!」とにっこり笑う。かわいい女の子だと思った。するとその子はぬいぐるみをかかえたまま、満面の笑みで私のとなりにしゃがみこんだ。


「私つきゆきゆめって言うの! よろしくね! 漢字はこうやって書くんだよ」


 そのへんに落ちていた枝を手に持ち、まっちゃいろの上に「月雪夢叶」と書く。それはどれも本か何かで見たことのある漢字だった。「きれいな名前。ぴったりだね」と私が目をぱちぱちさせながら言うと、夢叶ちゃんは生えかけであろう短い前歯を見せながら、「ありがとう。私もお気に入りなの」とうれしそうに、そして少し照れたように笑った。



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