第7話 自白


睛術せんすいでこの場所が解ったのか。やはり会えない理由を適当に作るべきだったな」と落ち着いた声で話す彼の声が、夢叶には遠く離れたところで聞こえたような気がした。


「違う、よね……」

「俺以外に誰かいるとでも?」

「嘘、だってこんなことする人じゃ……」


 夢叶が勢いよく顔を上げたその時。放とうしていた否定の言葉が呑み込まれ喉奥へと消えていく。明希人が着ているオーバーサイズの黒いTシャツと揃いのパンツが所々赤黒く変色している。悍ましい模様を作ったそれを眼にした途端、全身から血の気が引くような感覚に襲われた。


「ち、がう……」

「返り血を見ても尚、まだ否定するのか」

「だって」


 —— 銀髪の男の子の眸は血のように紅く、銀の扇を持つ手の薬指に指輪をしていたことは判然はっきり憶えてる。

 神秘の森で椿から聞いた話が脳裏を過る。それは椿の両親を殺した男の子の特徴であった。


(でも眸は紅くないし、銀の扇だって持ってない……)


 夢叶は犯人が明希人ではないという証拠をぐちゃぐちゃな頭の中で必死に探し続けていた。しなやかな優しい指が誰かを傷つけるわけが無いと必死に。


「だって扇を持ってない、とでも言うのか?」

「え……」


 鼻で笑うような低い声が微かな望みを一蹴する。それはまるで夢叶の思考などお見通しだとでも言うような、冷ややかな声であった。天と地がひっくり返るような恐怖が全身を襲い顔が青褪める。

 すると明希人は自身の親指をクイっと内側へ曲げ、薬指にある銀の指輪を弾いた。その反動で、手首を飾るシルバーのブレスレットが柔らかく揺れ動いた——束の間、時空が歪むようにして指輪がゆらゆらと揺蕩う。夢叶が眼を瞠りその身を固くする中、突如指輪から分裂するようにして、銀のうつくしい鉄扇が出現あらわれる。


「これが、椿が眼にした銀の鉄扇だ」


 落ち着きある低音が鼓膜に響く。明希人の薬指に嵌まる銀の指輪が鈍く煌めく中、左手には銀の鉄扇が収められていた。しなやかな指先が添えられている鉄扇の要部分からは、細長い銀の紐房がさらりと垂れ下がっている。はらりと開かれた表面には、銀一色の優美な世界が広がっていた。


「何で……」と小さな声を漏らす。「この前神秘の森で椿から俺の話を聞いただろう」と淡々と紡がれたそれに彼女が息を呑んだ。聞かれていた、と夢叶の鼓動が震え打つ。そんな彼女に明希人は淡々と言った。「椿が話したことは間違ってない。俺は九尾の狐と人間のハーフであり、椿の両親を殺した男だ」


 氷のような冷たさが二色の双眸を帯びる。何でもないように平然と話す明希人に温もりはない、ただ冷然とした様子だけがあった。普段夢叶に向けられている優しさは一体何処に行ってしまったのか。降り注ぐ雨がなみだを流すように彼女の頬を濡らしていく。


「……どうしてそんな酷いことをしたの」


 疑問符は失われていた。小さくも感情に震える声に、明希人は些か煩わしそうな表情を見せながら言った。「ただ怒りのままに殺した」


「……どうして怒っていたの」

「特別な理由はない。ただ興味本位で九尾の狐についてしつこく訊かれたからそれで苛々した。眼障りだっただけだ」


 花咲く金色の双眸をオッドアイが鬱陶しそうな眼差しで見下ろす。そこには夢叶の左頬に口付けをした時の温もりは露程も見られなかった。彼女を見つめるオッドアイには何時も、穏やかな愛情が溢れていたのに。夢叶はゆっくりと首を振った。


「違うよ、本当のことを教えてほしい……そこまで大きな怒りを感じたのには何か特別な理由があったはず……私は明希人君と出会って恋人になってから一年と少しだけど、貴方のことを少しは知ってる。私に向けてくれたものは全部本物だった。だから明希人君がその怒りだけで人を殺めたとは考えられない」


 ふわりとした黄色い花弁を咲かせた金色の眸には揺るがない意志が表れている。恋人の恐ろしい事実を本人から聞いたにも拘らず、懸命に彼の心胸こころに向き合おうとしていた。が、冷ややかな顔色に変化は少しも見られない。


「椿に怪我を負わせた理由が、両親の時と同じだと聞いてもそんな甘ったるいことが言えるのか?」

「え……」

「夢叶が来ていなかったら椿が死ぬのは時間の問題だった。それに俺とお前が過ごした時間は逆を言えば一年ちょっとしかない。偶然にもこの現場を眼にしておきながら、妙なところでまだ俺を信じようとするのは愚かだといい加減気づいた方がいい」


 切れ味の鋭い視線が彼女を射す。雨のせいか夢叶の身体は既に大分冷えており、緊張も相まって肩を小刻みに震わせている。夢叶は些か唇を青くさせながらぽつりと訊ねた。


「ただ苛々したから、それで椿君を傷つけたって言うの?」

「そうだ。両親を殺した理由を鬱陶しいほどしつこく聞いてくるから苛々した……正直今も苛立ちは収まっていない」


 明希人はそう言うと、鉄扇を持っていない右手で煩わしそうに前髪を後ろへ流した。しっとり濡れた銀糸は直毛のようにまっすぐ伸びている。そんな明希人のシャープな顎先から首筋へ滴る雨雫はうつくしく、ぞっとするほど妖艶であった。


「神秘の森で学んでいるだろう。九尾の狐の恐ろしさを。その中でも夢叶は吉祥の書物がお気に入りらしいがな」


 どうして、と言う疑問に答えることなく明希人は話を進めた。「吉祥は、都市伝説のように書かれているその辺の書物とは違う。妖狐の真実に沿って記述されている確かなものだ」


 明希人は口許に薄っすらとした笑みを刻みながらそう述べると、鉄扇を持つ指先をするりと動かしては、裏面を夢叶へと向けた。そこには流れるような美しい白字書体で、中央に「まん」と書かれている。


天佑てんゆうすい雨余うよ


 しっとりとした低音が宙へ溶け込むと同時に、裏面に書かれている「萬」の白字がきらきらと耀う。風もないのに、鉄扇を飾る長い銀の紐房が軽やかに舞い踊った。そのあまりのうつくしさに彼女の眸に咲く花が揺れる。すると次の瞬間。肌を濡らしていた雨が音もなく静かにそらへと上がった。

 分厚い雲が空を覆っているにも拘らず、雨粒は一滴も落ちて来ない。時間を要することなく雨を止ませた明希人の力に、夢叶はただ唖然とした。双眸の揺れをオッドアイに映した明希人は特に何事もなかった様子で話を続ける。


「そんなに驚くようなことではない。吉祥にあることをただ実践し見せただけだ」


 ——特に優れた九尾の狐は、自身が持つ妖術で自在に天候を操ることが出来る。

 明希人から紡がれた言葉と共に、このあいだ吉祥で眼にしたそれが脳裏を掠める。


(天候を操れるのは本当だった。吉祥に書かれていることは明希人君の言う通り事実なのかもしれない……でも、それでも私は)


 一度きゅっと唇を噛み締めた夢叶が一直線に明希人を見つめる。小ぶりな口が音と共にゆっくりと開かれた。


「愚かでも甘くても、それでも私は諦めたくない……もしこれからも明希人君が誰かを傷つけようとする時があれば、そうならないように私が全力で止める。だから明希人君が抱く怒りを、本当のことを話して欲しい」


 揺るがない意志を持つ眸が明希人を射抜く。友人が傷つけられたことに対して哀しみや憤りがあるにも拘らず、夢叶が口にしたのはそれでも諦めない想いだった。

 黙って聞いていた明希人は開いていた鉄扇をぱさりと閉じ、夢叶の傍へしゃがみこんだ。見つめ合う二人の距離が狭まるものの、互いを隔てる壁は脆そうに見えて頑丈である。すると明希人は呆れたような薄笑いをこぼした。


「無力なお前がどうやって俺を止める? はっきり言うが、治療が完治したところで俺はまた傷つけるぞ。次は一撃で椿を殺す。それを邪魔するつもりなら俺はお前も一緒に葬る」

「何で、そんなことさせない……! これ以上明希人君の手が血に染まるのなんて見たくない」


 夢叶が強く反論すると、明希人は話にならないとでも言うように苦笑する。


「俺に挑めるような妖術をお前は持っていない。そんな感情論だけで俺を止めることは決してできない」

「それでも明希人君は何時も私のことを大切にしてくれた。麻子や誠君のことだってそう……だから私を葬るなんてそんなこと、絶対にしない……!」


 冷たい光を放つオッドアイを、睨みつけるようにして金色の眸が射抜く。黄色い花咲くその眸には、今にも零れ落ちそうな透明な膜がじわと浮かんでいて。そんな夢叶の表情を眼にしても尚、明希人は人間味を感じさせない表情をしていた。


「悪いが、俺は平気な顔で人を傷つける化物ばけものだ。椿の両親を殺めたとき、懺悔も罪悪も何もなかった……そんな己の姿を一度も見せることなく交際を続けてきたことは悪いと想ってる。謝ってもゆるされない罪だ……だが一面だけしか持っていない善良な者などこの世には存在しない。人間も妖狐も問わず、皆それぞれ様々な面を持っている多面的な生き物だ。その一つ一つの面は偽りではなくどれも本物だ。夢叶は俺の恐ろしい一面を、ただ知らなかっただけに過ぎない」


 うつくしい彫像のような冷ややかな面持ちで述べると、鉄扇を持っていない右手をすっと前へ伸ばした。しなやかな白い指先が夢叶の左頬へ伸びていく。距離が迫るその指先には、微かな血痕が付着していて、それを眼にした夢叶の肩が僅かに揺れた——すると、しなやかな指先がひたと静止する。柔肌に触れる寸前のところで行き場を失ったその右手は、口付けを贈った夢叶の左頬へ触れることなく、冷たい混凝土コンクリートへと下降しながらぶらりと落ちた。

 束の間、明希人は左手にある畳まれた鉄扇を前へと伸ばし、夢叶の顎先へ鋭い尖端せんたんをあてがう。鋭利な切っ先が、夢叶の喉笛を突くようにして向けられた。顎先に触れる鉄扇のそれは、いつも優しく撫でてくれる明希人の指先を不思議と想わせ、堪えきれずに眸からこぼれたそれが、柔らかな左頬を伝い鉄扇の尖端を濡らしていく。

 明希人は金色の眸から零れる涙を、一切拭おうとはしなかった。夢叶はただ黙ったまま、明希人をまっすぐに見つめる。その眼差しには今にも花が散ってしまいそうな、悲痛な色に溢れていた。そんな視線を遮ぎるようにして明希人が口を開く。


「頬に口付けを贈ったのも俺だ。だが俺にとって彼女は利用価値のある女に過ぎない——と言ったのも事実だ。そして今、平然と夢叶の肌へ切っ先を向ける姿もな」





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る