2 もう一人の有名人は爽やかに笑う
午前の講義を受け終えた夢叶は親友と学食に居た。賑やかな音色と食欲誘う匂いが、
「そういえば夢叶と明希人が付き合い始めて、もう一年が経つのね」
夢叶の正面に座る
麻子は唐揚げ定食。夢叶はビーフカレー。二人ともごはんは大盛りだ。華奢な身体からは想像もできないが、ごはん大盛りは二人のお決まりだった。
麻子、夢叶、そして明希人の三人は、歴史学部に通う大学二年生である。
「ねえ夢叶、ちょっと……」
ふと、麻子が食べる手を
「一年記念日ってことはさ、夢叶にも
「え?」
言葉の意図が
「だから、えっちのことに決まってるでしょ」
金色の猫眼が固まる。咀嚼するみたいに時間を置いては、急に頬が赤く染まる。持っていたスプーンがするりと手から滑り落ち、ビーフカレーが盛られた皿へ細やかな音を響かせながら無造作に着地した。
「い、今はお昼ごはんの時間なのに」
「何言ってるの。話すのに昼も夜も関係ないでしょ? ていうかごめん。順番間違えたわ。まずは初チュウよね。それから……」
「ちょ、ちょっとストップ!」
「もう何照れてるのよ。夢叶ってば
聞こえているんじゃないかと周囲が気になったものの、今の夢叶に確認する余裕は無い。唐突にそんなことを言われたせいか、明希人の整った薄い唇がふと
「ま、今のは半分冗談よ。二人の気持ちが一番大事だもの。でもさ、薬指にしてる指輪のことは訊かないままでいいの? 気になってるんでしょ?」
今朝見た光景が反芻する。明希人の薬指に光る指輪は出会った頃から気になっていた。それは薬指に在るから気になるのか。それとも明希人が唯一身に付けるアクセサリーだから気になるのか――きっとその両方だろうと夢叶は思った。そしてその理由は今後更に増えるのかもしれないとも。
「凄く気になる。だけど訊かない」
「いいの?」
「うん。前にね、明希人君が指輪のことを友達に話してるのを耳にしたことがあって」
「え、そうなの?」
「うん。『この指輪は自分の
ぽつりぽつりとこぼれる声には、複雑な心情が絡んでいた。自分より
「解った。夢叶がそう決めたのなら私は何も言わない。そもそも明希人は夢叶一筋だから、他に女なんて居る訳無いし。その点は心配無用よね」
「ありがとう。でも私の方が明希人君に一途だよ」
「もう、すぐに惚気るんだから。でも夢叶のそういうところ好きよ」
ふふっと二人して似たような笑みを浮かべる。麻子のつり眼が柔かな皺を作った。
二人は大学に入学してからすぐに仲良くなり、あっという間に親友になった。そんな夢叶と麻子は「女神二人組」、と大学内で呼ばれている。然しそう呼ばれている事実を、本人達は未だに認識せず過ごしていた。
「よし! お腹も美味しく満たされたことだし、午後も頑張りますか」
「うん! 午後は麻子と講義が被ってるからもっと頑張れちゃう」
同時に席から立ち上がり、綺麗に平らげた皿をトレーに乗せ席を立つ――と、背後の人影に気付かなかった夢叶の背中が誰かと
「ごめんなさい! 大丈夫ですか?」
「ううん。僕の方こそごめんね。ちゃんと前を見てなかった僕が悪い。怪我はない?」
勢いよく頭を下げて謝る。と、相手の男は穏やかな声で夢叶を気遣った。男の透き通った声に釣られる様に
(あ、色は違うけど明希人君と同じだ)
右眼は
「どうかした?」
「あっ、いえ、ごめんなさい」
ゆるりと首を傾げる男に意識が引き戻される。無意識にオッドアイを見つめていたことに
「月雪夢叶ちゃん、だよね? 同い年だし、そんなに
眼の前にいる男が自分の名前を知っていることに驚きを
明希人よりは低いものの、百八十に届きそうな身長に加え、小さな顔に整った目鼻立ちをしている。さらさらと靡く短髪の黒髪にしても、爽やかな好青年という言葉がぴったり当てはまる風貌だ。
「あの、どうして私の名前を……?」
「どうしてもなにも夢叶ちゃんは有名な女の子だから知ってるよ。それにあの明希人君の彼女なんだから」
朗らかな表情のままさらりと言った。明希人と異なる色をしたオッドアイはやや垂れ眼で、優しさが滲み出ている。
「あ、ちなみに俺も歴史学部だから。夢叶ちゃんと一緒だよ。授業も幾つか被ってるんだけどなあ」
「ご、ごめんなさい。存じ上げなくて」
「あは、ごめん。責めるつもりで言った訳じゃないから気にしないで。ていうかそんなことより敬語はもう無し、ね?」
柔和な三日月眼を浮かべた爽やかな顔ばせに夢叶がこくりと
「僕の名前は
「椿、君」
躊躇いながらもそう呼ぶと、嬉しかったのか、椿はゆるりと口角を持ち上げた。そんな二人のやりとりをやや離れたところから見ていた男が、
「おい椿。何女神といちゃいちゃしてんだ。彼氏に見られたら大変だぞ」
「……女神?」
「あは、無自覚なところも可愛いね。もう少しお話したいところだけどもう行かなくちゃ。じゃあまたね夢叶ちゃん」
にこっと爽快な笑顔を浮かべた椿は、ひらりと手を振りながらその場を後にする。夢叶はそんな椿に応えるようにして慌てて小さな手を持ち上げるのだった。
「もう、なあに
「え、そんなことしないよ。ただ明希人君以外で、オッドアイの人を見たのが初めてだったから気になっちゃって」
夢叶と椿の会話を近くで観察していた麻子が、にやりと愉しそうな笑みを浮かべた。冗談である麻子の言葉に夢叶が
「確かに明希人も椿もオッドアイね。性格は天と地ほど離れてるけど」
「あれ、麻子は椿君と知り合いなの?」
「うん。一年の時、語学の履修科目がおんなじだったのよ。挨拶程度には知り合いね」
「そうなんだ。私は今日初めて椿君のことを知ったよ」
トレーに乗った食器を返却コーナーへ運びながら麻子が口を開いた。
「椿を知らないなんて夢叶くらいよ。私は全くタイプじゃないけど、女の子からかなりモテるんだから。同性からも好かれてて男友達も多いし」
「そっか。そんなに有名な人なんだね」
何時も明希人のことばかり見ているせいか、夢叶は同学年の男子を殆ど知らない。食器を返却し終えた夢叶は、明希人の存在の大きさを改めて実感し耳朶をほんのりと赤らめた。学食から外へと続く
「まあ、明希人の有名さには敵わないけどね」
二人の視界には雲一つ無い爽やかな
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