異世界童話作家

絵之色

第一章 始まりの物語

第1話 自分が死んだ日に聞こえた、誰かの叫び

 緊張感の蜘蛛の糸が張り巡らされた稽古中の道場で、先にを竹刀を叩き込もうとしてくる彼は声を上げる。


「ヤァ――――!! 胴!!」


 難なく一撃を避け、生本静いけもとせいは瞬時に竹刀の握る手に力を込める。油断も隙も与える時間もなく、静は竹刀を構え突進する。

 

「ヤァー!! 面!!」


 高らかに声を上げ、全力で竹刀を先輩の面に叩きつけた。

 審判である千鶴ちづる先輩が、私の方である白い審判旗を上げる。


「勝負あり!」


 互いに礼をして、先に私と稽古してくれていた面を外した駆道研一郎くどうけんいちろう先輩が、愉快気に笑う。


「流石、生本だな。生本剣道道場の娘なだけあるよ」

「……いえ」

「剣先とか足運びとか、全然負けてるもんねぇ? ケンくんっ」

「あ、あはは……」


 剣道部に真摯な姿勢の金髪ギャルの先輩、赤座千鶴あかざちづるは楽し気に研一郎先輩の肩を叩いた。

 顔面偏差値が高い彼は女子受けもいい先輩だから、下手に変な情を持つことはない。尊敬すべき先輩でしかないからだ。

 静は小手を脱いで、面の紐を取る。


「……そんなことはないですよ」


 試合をしていない千鶴よりも華奢な体躯でありながら、男である研一郎を圧倒していたのは意外性を禁じえないだろう。

 面を外した彼女の顔の輪郭は、白い陶器を彷彿とさせるのと同時に少年とも思わせる中性的な面立ちの印象を抱かせる。目元に少しかかった塗れ羽色の髪の短髪から覗く、漆の色にも負けていない黒い瞳。

 柔らかい唇から少し漏れる吐息や目を伏せる静の仕草に思わず研一郎はほう、っと息を忘れる。


「そろそろ時間なので、先に失礼します」

「あ、ああ、お疲れ」

「……では」


 研一郎は軽く手を振って、静がさっと道場から出ていく。


「……だーかーら、進展しないんだよぉ? ケンくん」

「な、何がだよ」

「セイちゃんのことに興味持ってるなら、助けてあげたら好感度あがるんじゃない?」

「……? なんの話だ?」

「あの子、いじめられてるらしいよ」

「……え?」



 ◇ ◇ ◇



 ――ビシャっ!!


「あはは! ダッサー生本いくもとぉ!! 超ウケるんですけどー!!」

「「「クスクスクス」」」


 道場から着替え室で制服に着替えてから園崎君がまだいないか確認するために自分の教室へとやって来たのだが、リーダー格のギャルな格好の逢沢英梨奈あいざわえりなさんが自分に指を差して高笑いする。

 他の連れの女子たちも小声で笑う、私が哀れと言うように。 

 クラスメイトでカースト上位に入るグループからバケツに入った水を彼にかけられたのだ。止めようとする生徒はいない。

 だって、そうすれば他の人たちも自分と同じようになるのは目に見えてる。頭から水を被ってずぶ濡れになった制服に、乾かすのが面倒だなと思った。


「……」


 学校に通うようになれば、こういう集団になってくれば自然と発生することがあるのは知っていたがまるで自分も蟲毒こどくつぼの中にいる気分になる。

 今日も飽きないな、この人たちは。


「……満足ですか」


 自分は冷めた目でリーダー格の女子を見つめる。

 この程度のことでめげるほど生本静の心はもろくない。


「はぁ? 何かっこつけてんの? 学校なのに男装してきてさぁ、そんなに男に興味ある女とかキモイんですけどぉ」

「それは貴方の偏見じゃないですか」

「はぁ!? ざけんなよブス!!」


 英梨奈は気持ち悪い笑みで静を蔑んでくる。

 静はくだらない偏見に正論で返す。

 私が少し黙ると、彼女はにやりと笑う。


「まーあ? 陰キャ君のことかばっちゃうような奴なんて、もっとキモいけどぉ」

「……貴方みたいな人、自分は好きになりたくないです」

「は!? テメェ――――」

「……おい逢沢、何してる?」


 意外な言葉だったのか、彼女は眼を見開いて何か言おうとしたが先生の登場でさえぎられた。

 逢沢さんは自分の前髪から手を放して、慌ててびに入る。


「せ、センセー、生本のコンタクトちゃんとつけられたか見てたのぉ」

「そうか……生本ぉ。ずぶ濡れだな、どうした?」

「顔を洗おうとしたら全身にかかってしまって」

「タオルはあるか?」

「持ってきているので大丈夫です」

「……そうだ、逢沢。お前、担任の冨山先生が呼んでたぞー」

「え? はぁーい」


 いいタイミングで古文の堀田蒼ほりだあおい先生が教室に入ってきたのに、先生がこっちを見ていない一瞬を狙ってこちらを睨みつけてから席へ座る逢沢さんは多重人格でなかろうかと疑いたくなる。

 まあ、今日はこれくらいのことなら大丈夫だ。

 先生もグルとは思いたくないが……まぁ、その時は、その時か。


「生本、代わりのシャツは持って来てんるのか?」

「はい、予備はありますので」

「……もし、辛かったらいつでも相談しろよ」


 堀田先生はポン、とクリップボードを私の頭に軽く叩く。

 彼の行為には特に何の意味もなさないとわかっていても、ありがたいと感じてしまう自分の口を律する。


「……はい」

「じゃ、また明日な」


 私はトイレに行って制服を着替え直して下校することにした。


園崎そのさきくん、一緒に帰りませんか」


 放課後になって、学校の校門のところにいた友人に話しかける。

 暗そうな見た目のせいか逢沢さんから陰キャと呼ばれている人だが、実際は心優しい人だ。

 

「……また、ですか」


 不審げに見てくる彼に心の中で落胆してしまいそうになるのを堪える。


「今日は園崎くんのの近くにある本屋に行きたくて」

「また本の新刊を買いに?」

「はい、ダメでしょうか」

「…………別に、いいですけど」


 自分は園崎が前に進むのを見て、一緒に続く。

 園崎くんがいじめられていたところを助けたことをきっかけに彼と関わることが増えた。

 彼は申し訳ないというより、「なんで助けた?」と何度も聞かれた時もあったけれど、この選択を選んだ自分には満足しているつもりだ。

 会話をしない無音の時間も嫌いじゃないがさすがにいたたまれなくなった自分は園崎くんにとある話題をチョイスする。


「園崎くんは最近何のラノベ読んでます?」

「……異世界転生物、ネット小説も面白い。最近流行はやってるんだよ」

「そうなんですか……」


 園崎くんは私の歩幅に合わせ始める。

 互いに興味があるのが本の話題があったことが幸運だったなと強く思う。

 

「異世界で転生ってことは、自分が地球とは全く違う世界に生まれ変わる、的な話ですか?」

「そう、結構面白い……会社員だったりニートだったりが多くて、学生は少ないって気がする」

「感情移入しづらいのでは……?」

「世の中の不条理経験してる奴の気持ちは、わかってるつもりなんだ……生本さんだって、経験してるじゃん。現在進行形で」

「……どう、なんでしょう」

「……あっそ」


 そこから彼は無言になり、街路樹の通りを二人で歩くいくと急に彼は立ち止まる。


「いい加減、俺を構うのはやめろよ」

「どうしてですか」

「現にアンタが俺をかばっていじめられてるだろ」

「自分は、したいと思ったことをしただけです」

「そんなの余計なお世話だろ!!」


 彼は大声を上げる。

 嗚咽おえつを漏らしながら、私の方に振り向きそのまま言葉を続けた。


「俺一人でも、大丈夫だったんだ!! 一人で、平気だったんだ!! 俺をこれ以上苦しめて、楽しいか……!? 本当は、アイツらと一緒なんだろ!?」

「園崎く、」

「うるせぇ!! 俺はアンタなんて大っ嫌いだ!!」


 園崎くんはすぐ近くの駅まで駆け出していく。

 彼が走り出したのを見て、追いかける。

 無言で券売機を切符を買っている園崎くんにすぐに弁明する。


「園崎くん、誤解です。自分はそんなこと貴方に考えたことなんて一度もないです!!」

「…………なら、なんで男子の制服着て男のフリしてたんだよ」


 自分は言葉に迷う。男子の制服を着ていることを、彼は触れてこなかったし性別に関する話題は誰の前でも避けてきた。

 その報いがやってきた、ということなのだろう。


「家の……都合で、」


 しどろもどろの言葉に彼の眉間のしわが深くなる。


「そうやって、また誤魔化すんだな」

「園崎くん……!!」


 園崎くんは改札口で切符を入れて電車のほうまで向かう。

 私も券売機で切符を買って慌てて走る。


「園崎くん! 園崎くん!!」


 声を何度かけても、園崎くんは無視する。

 電車のアナウンスで「離れてください」という言葉を無視して、彼はギリギリまで前に立つ。

 嫌な予感がした、とっても、とっても怖い予感が、頭に警報を出している。


「園崎くん、聞いて、聞いてください!」

「…………もう、うんざりだよ」


 彼はそうこぼすと電車が近づく線路に身を投げ出そうとする。

 即座に自分は園崎くんの手を引っ張り、彼と入れ替わる。

 彼は駅のホームに座り込み、私に向かって叫んだ。

 

「生本!!」


 落下していく身体は抵抗することはできない。

 けれど、安堵の声を自分は漏らしていた。


「よかったぁ、園崎く――――――――」


 静は自分の姓を呼ぶ園崎に安堵すると、電車が静が痛みで叫ぶ時間など与えないまま電車のランプは彼女を照らす。

 一生の最期だとも受け取れる一瞬の時間の中、永遠のようにも感じる。青い空に響く蝉時雨が誰かが世界を呪った絶叫に聞こえた気がした。

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