Q3.思わぬ誤算とは?
奪われた存在価値
茜と濃紺が入り混じった、気味の悪い空だった。
赤く燃え上がった太陽が地平線へと沈んでいき、己の存在を誇張するように一番星が煌めく。窓の隙間から吹き込む冷たい風に目を細めたとき、カキィィィンと小気味のいい音が響き渡る。
眼下をみると、野球部の部員がヒットを打ったようだ。放物線を描いて飛んでいく白球にギャラリーが湧き、バッターが全力で一塁に走るが、その足は一塁では止まらない。スピードを維持したまま二塁へと向かい、スライディングをして滑り込む。
守備側の送球がスムーズだったので危うくアウトしかけるところだったが、ぎりぎりセーフだったようだ。泥だらけになりながらも、バッターは満面の笑みを咲かせる。
「……青春してんねぇ」
あまりの眩しさに、眩暈でも起こしそうだ。もう陽は沈んだっていうのにと呟いて、自分の周囲を見渡す。
誰もいない、教室。放課後を迎えたのだから当たり前だが、昼間の騒々しさとは一変した静けさに、俺は笑う。
今頃、クラスメイトたちはあの野球部のように青春を謳歌しているのだろう。部活に情熱を燃やしたり、将来のために勉強に取り組んだり、あるいは友人や恋人とかけがえのない時間を過ごしている。
「なのに俺はなにやってんだか……」
深々と溜息を吐いて、自分の机に目を落とす。
机上には、一枚のルーズリーフが置かれていて、ページの一番うえには『世界を鳴らす鐘』というタイトルが踊っている。その下には適当に書いた文章の羅列があり、シャーペンでそれを塗り潰す。
「全然思いつかないもんだな、歌詞って」
普段から聴いているアーティストと同じことを自分でしようとすると、こうも難しいとは。プロとアマチュアの差を痛感しつつ、背もたれに寄りかかる。ぼんやりと天井を眺めて、何気なく鼻歌を口ずさむ。
それは、両親から誕生日プレゼントとして貰った中古のエレキギターを鳴らしながら俺がはじめて作った曲のフレーズだった。
ギターを買ってもらえた嬉しさのあまり先に曲を作ってしまったはいいが、コンセプトもなく見切り発車で作ってしまったがゆえに、世界観を創りながらテンポに沿う歌詞が思い浮かばない。
もはや作曲の段階からやり直したほうがいいのかと、頭を抱えているときだった。
「蒼汰くん?」
「は、はいっ」
不意に名前を呼ばれて思考を打ち切ると、そこには不思議そうに眼を丸くした赤羽根の姿があった。
「あ、赤羽根!? な、なんでこんなとこに……」
「え? わたしは、先生に頼まれた仕事を終えて荷物をとりにきただけなんだけど……、蒼汰くんこそなにを……」
そこで、赤羽根の視線が俺の手元に落ちる。慌ててルーズリーフを隠そうとするが、一歩遅かったようだ。ぱあっと笑みを咲かせて、赤羽根がこちらに駆け寄ってくる。
「それってまさか、蒼汰くんのオリジナル!?」
「い、いや……違う。あー、ほら、ヒストリアの曲の練習しようと思って。コードとかを書き起こして――」
「うそ。コードじゃなくて文字だったし、『世界を鳴らす鐘』って曲名でしょ? そんなの、ヒストリアの曲にないし」
「えーっと……」
「蒼汰くんのオリジナル曲なんでしょ、それ」
「は、はい」
赤羽根の鋭さに舌を巻きながら、俺は降参するように項垂れる。すると、赤羽根は頬を膨らませて、眦を上げる。
「やっぱり噓なんだ。なんで? わたしと蒼汰くんの仲なんだし、隠し事なんてしなくてもいいじゃない」
「ご、ごめん! 赤羽根を信用してないとかじゃなくて、ただその……恥ずかしいっていうか」
「恥ずかしい?」
「ほら、曲作るのなんてはじめてだし、うまくできる保証もないし。ましてや、知り合いに見られるのは……」
「それはそうかもしれないけど、でも中途半端な知り合い相手だからじゃない? わたしは蒼汰くんの友達なんだよ? しかもバンド好きの。なにも恥ずかがることないって」
「だけど……」
「わたしは聴きたいな」
「へ?」
「蒼汰くんの曲。すっごく聴いてみたい」
「……ほ、ほんとに?」
「噓なんかつかないよ。ましてや、蒼汰くんにはね」
そう言ってにこやかに笑う赤羽根の笑顔に、俺の心臓が強く脈を打つ。
赤羽根の笑顔にときめいたわけではなく、赤羽根に求められることが、どうしよもなく嬉しかったのだ。
「じ、実はさ――」
隠していたルーズリーフを取り出し、それを開く。未完成の詞を赤羽根に見せながら、俺は曲につ
いての構想を打ち明ける。
きっと、心の底では誰かにこの話をしたくて堪らなかったのだろう。
早口気味に説明を終えて、赤羽根に感想を聞こうと顔を上げたときだった。
「やぁ」
そこにいたのは赤羽根ではなく、幼少期の俺とよく似た顔を持つ少女――碧だった。
「なん、で……おまえが」
「あっははは。ちょっと遊びにきちゃったんだ。キミが……藍田蒼汰がもっとも大切にしている記憶ってやつにね」
「ふざけんな! 出ていけ! ここはお前なんかが来ていい場所じゃない!」
「おいおい、心外だなぁ。だいたい、出ていくのはボクじゃなくてキミのほうだろ?」
「なに?」
やれやれと、呆れたように溜息をつく碧に俺が眉をひそめると、碧はゆっくりと顔を近づけてくる。そして、俺の耳元まで唇を寄せると、小さな声で囁く。
「忘れたの? キミは存在証明で、ボクに負けただろ?」
「っ!?」
「だから、ボクが本当の藍田蒼汰だ。藍田蒼汰として成り代わり、生きる人格として選ばれた。負けたキミは、さっさと消えちゃいなよ」
「待ってくれ!」
碧の細い肩を掴み、必死に食い下がろうとする俺だったが、それは叶わない。碧を掴む俺の手は泡のように空気へと溶けていき、理解もできないまま俺の身体は粉々になって、弾け飛ぶ――
「――っ、はぁ!?」
パァンという甲高い破裂音とともに、俺は跳ね起きる。
酸素を掻き込むように過呼吸を繰り返して、胸を抑える。ドキドキと心臓が早鐘を打ち、全身が熱く火照る。鼻の先から脂汗が滴り、掛け布団のうえに落ちてシミを作る。
「……布団?」
汗を拭って、俺は周囲を見渡す。
そこは、放課後を迎えた教室――ではない。テキストやノートが乱雑に置かれた勉強机、漫画だけが詰め込まれた本棚がある、俺の部屋だった。
「なんで……」
寝ぼけているからか、前後の記憶をうまく出せない俺は、枕元のスマホを手に取る。20時と時刻が表示されているディスプレイには、一件のメッセージが着信されていた。
怪訝を抱いたままメッセージを開くと、『あおい』というアカウントから、一枚の写真が送られていた。
それは、白のニットをトップスに黒いミニのフレアスカートを着た赤羽根の姿があり、その顔は真っ赤に染まっている。きっと、真面目な赤羽根ではまず穿くことのない、ひらひらとしたミニスカートに戸惑っているのだろう。カメラに目を合わそうともしない赤羽根のまえで、満面の笑みを咲かせた奴がいる。
いうまでもなく、碧だ。
『さっそく恋のキューピッドとしてのお仕事! どう?? めっちゃ可愛いでしょ』
写真とともに添えられたメッセージにはそう書かれていて、俺は鼻で笑う。
「……そうだった」
思い出した、どうして俺がこんな時間に自室で寝ているのか。
負けたんだ、俺は。自分のドッペルゲンガーである藍田碧との勝負に。
そして、存在価値を失った俺は碧以外には認識されない透明人間のような存在と化した。中身もなく、生きている価値がない空っぽな存在を体現するかのように。
そんなこと、認めたくなかった。俺が碧に負けたことも、存在価値がない人間であるとみなれることも。ゆえに、俺は探し回った。碧以外に、自分の存在を認めてもらえる人を。
しかし、そんな人はいなかった。
駅前で騒いでも、道行く人の眼前で手を振ろうとも、全員が一瞥をくれることもなく、過ぎ去っていくばかりだった。
「……で、なにかもかも嫌になって家に逃げ帰って、不貞寝か……。ほんとに負け犬そのもだな」
あまりの無様さに、笑うしかない。灯りのつかない暗がりの部屋でひとしきり笑って、深く項垂れる。
「どうするんだよ、これから」
存在価値がなくなったとはいっても、別に死んだわけでもない。弾けて消えるわけでもなく、異世界に飛ばされるわけでもない。
俺はただ、これまで通りに生きていく。この現実世界で、誰にも認識をされないまま。正真正銘、独りで生きていくことになる。それが、どれほどの絶望をもたらすのか。
じわじわと、冷たいなにかが蝕んでくる感覚がした。
「……っ」
もう何も、考えたくなかった。
とにかく現実から逃げだしたくて、俺は布団を被る。視界も耳を塞いで、すべてを閉ざそうとしたときだった。
半端に開いたドアの隙間から、ギターを弾く音が聞こえてきた。
「……なんだ?」
ただのギターの音だったら、無視をしていたかもしれない。いまの俺には、そんなことを気にして
いられる余裕もない。それでも気になったのは、それが俺の作った曲のフレーズだったからだ。
身体を覆う布団を剥ぐ。おぼつかない足取りで部屋を出て、音のするリビングに向かう。扉の取っ手を掴み、開いた先にいたのは――
「やぁ」
いつものように軽薄な笑顔を貼り付けてひらひらと手を振る、碧だった。
「……おまえ、なにを」
呆気に取られた俺は、呆然とソファに座る碧を眺める。そして、碧が抱えるものに気付く。むかし、両親に買ってもらったエレキギターに。
「なにやってんだ!」
叫び、碧のもとへと詰め寄る。ギターを取り返そうとした俺の手は、しかしギターを捕まえることはない。するりとすり抜け、勢い余った俺は、碧へともたれかかる。
「わっ、ビックリするなもう」
「わ、悪い」
反射的に謝って身体を起こすと、鼻先が掠れ合うほどの至近距離で碧と視線が交錯する。
黒くて大きな瞳。そのなかで散る、星のようにキラキラとした瞬きに見入っていると、その瞳が不満そうに歪む。
「邪魔なんだけど?」
「あ、あぁ。そうだな」
生返事をして、俺は碧の前から退く。
一方の碧はひと息ついて、ギターのネックを撫でる。
「まったく、いまのキミが触れるわけないだろ? 言ったはずだ。存在証明でボクに負けたキミは、透明人間みたいな存在。他人に認識されることもなければ、物に触ることだってできない。つまり、キミは現実世界のすべてに干渉できないんだよ」
「……そう、だったな。俺はおまえに負けたんだ……。にしても、自分のギターすら触れないなんてな」
「キミのギターじゃない」
断ち切るような、凄味のある声音だった。
これまでの碧のイメージとは一線を画すそれに虚をつかれる俺を、碧は鋭い眼光で睨んでくる。
「これは、ボクのギターだ」
それが、意味するものはどういうことか。
遅れて理解した俺は、肩を竦める。
「……まぁ、そうなるのか。で? 今更ギターなんかやってどうするつもりなんだ?」
「今度の彩城祭だよ」
「え?」
「だから、彩城祭だって。うちの学校の文化祭では、有志によるイベントがあるんだろ? それに出てみよっかなって」
「で、出てどうするんだよ、そんなの。大体、アレは彩城祭でも目玉の催しで、生徒だけじゃなく
て、先生や保護者、別の学校の人だって見にくるんだぞ? そんなところで、やるつもりなのかよ。しかも……コピーじゃなくて、オリジナルのその曲を」
「やるよ。ボクは恥ずかしがったり、臆したりしない。胸を張って、ステージで歌いあげてみせる。なにせ、ボクの夢はプロのミュージシャンだから」
そう言ってのける碧の顔に、笑顔はない。強張った表情と低く沈んだ声色が、『本気』であることを如実に伝えてくる。
「ボクはキミのドッペルゲンガーではあるけど、キミと同じような人生は送らない。挑戦もせずに勝手に諦めて、退くような負け犬には」
「……ああ、そうかよ!」
もう、どうでもよかった。
どうせ、ここで俺が悪あがきしようとも、こいつには勝てない。どれだけ無様な姿を晒そうとも、そもそもその姿すら誰にも見てもらえないのだ。
リビングを飛び出す。一直線に自分の部屋に戻って、ベッドに身体を投げる。頭から布団を被って、すべてをシャットアウトする。しかし、完全に塞ぎ切ることなど不可能だ。
リビングから微かにギターの音が届いてくる。
『Hey! Hey! 僕の声は聞こえてるかい?』
ギターとともに響く碧の歌声に魘されながら、俺は懸命に目を瞑った。
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