答え合わせをしようじゃないか

「あっははは、いやー、ビックリしたよぉ。転校してきたばっかりだから、ここがどんなところか探険してたらさ、まっさか二人に出くわすとはねぇ」


 数分後。立ち話も難だからと、俺たちはコーヒーショップに移動していた。

コーヒー豆の香ばしい匂いが充満し、洒落たジャズがかかる店内に、碧の無邪気な笑い声が響く。


「いやー、でもほんとデートだったらごめんね。ボク、すっかりお邪魔しちゃったね」


「だ、だからデートなんかじゃないって。ただその、蒼汰くんとは話したいことがあっただけで。……ねぇ、蒼汰くん?」


「……あぁ。赤羽根の言う通りだ。お前の想像していることはなんにもないぞ、碧」


「なーんだ。つまんないの。ラッキーなことに面白いネタを仕入れたと思ったのに」


 嘘だ、と俺は碧の白々さに苛立ちを覚える。


 碧が俺たちと出会ったのは偶然なんかじゃない。恐らく、帰りがけに交わした赤羽根との会話を盗み聞きしていて、故意に接触してきたに違いない。

昼休みのときのように、俺の存在価値を落とすために。

今度はどんな手を打ってくるつもりだと警戒していると、碧はあっさりと視線を俺からずらす。


「で、話しってどんな? デートでもないのに二人で話しいことなんて、そっちのほうがよっぽど怪しいけどね。えっちな話とか?」


「ち、違うって! ただその、えっと……」


「俺が誘ったんだよ。俺の好きなバンド、赤羽根も好きだからさ。新曲出たからその感想を話し合い

たいって」


「あっははは。またまたぁ。嘘はよくないよ、ソウタ。ソウタの好きなバンドって、ヒストリアだろ? ヒストリアの新曲、キミは嫌いじゃないか」


「あぁ。だから、赤羽根はどうかって――」


「いいっていいって、そういうの。第一、ソウタはヒストリア自体、もう聴いてないんだし、わざわざ感想を聞くためにツバサを誘うとは思えないし。言ってくれないなら、もういっそボクが当ててみせるよ」


 笑顔こそ貼り付けられてはいるが、そこには若干の疲弊と怒りの色が窺え、いつもは軽薄な調子の碧にしては珍しい表情に気を取られている隙に、碧が言い放つ。


「ツバサの恋の相談だろ?」


 ぶっと、噴き出す音がした。みると、口に含んだカフェモカが気管に入ったのか、赤羽根が噎せ返っていて、俺は慌てて紙ナプキンを差し出す。


「あ、ありがとう……ごめんね、蒼汰くん……。あ、碧が変なこと言うから……」


「えー、ボクのせい? だって、図星でしょ? ツバサのリアクション見る限りさ。もう、観念しちゃいなって。好きなんでしょ? ツムグのこと」


「な、ななな……なんで、わかるの?」


「むしろ、分からないほうがおかしいって。あんなにツムグに熱い視線送ってたらさ」


「お、送ってないって! ……たぶん」


「自覚がないだけだと思うよー。まぁ、普段からああいう類の視線を感じているツムグが気付かない

のは納得できるとして、ほかのみんなは知らないの?」


「う、うん。蒼汰くんしか、知らない。なんていうか、わたしと紡が近いのは当たり前っていうか、家族みたいな感じで見られているところもあるからかな」


「なるほど。転入してきたばかりのボクだからこそ、わかったのかもね」


 うんうんと頷いて、碧はストローに口をつけてアイスコーヒーを吸い上げる。ちらりと隣の赤羽根を一瞥すると、予期せぬタイミングで自分の恋心を看破されたからか、居心地が悪そうに縮こまって

いた。


 ……俺の存在価値を落とそうとしにきたんじゃないのか?


 てっきり、昼休み同様、俺の聞かれたくない話や見られたくない姿を赤羽根に晒しにきたのかと身構えていただけに、肩透かしを喰らう。

とはいえ、油断はできない。あくまで赤羽根の話は導入に過ぎず、会話の流れで俺に矛先を向ける可能性もある。とにかく、一刻も早くこの場から消えてもらったほうが賢明だろうと、俺は沈黙を破る。


「そういうわけで、碧。赤羽根はまだ俺に話がしたいらしいし、それ飲んだら帰ってくれないか?」


「えー、なんだよボクだけ仲間はずれにして。ここまで来たら、ボクも協力するよ」


「いや、無理だ。なにせ、お前は女子だし。な? 赤羽根」


「……そう、だね」


 ぎこちなく顎を引く赤羽根に、碧が小首を傾げる。


「うん? なんで? ボクが女の子だと不都合でもあるの?」


「う、ううん! そうじゃないの。碧はなにも悪くないの。ただ昔、わたしが紡のことを好きだって教えた女の子がわたしの悪口とか噂とか吹聴して、嫌がらせをしてきたことがあって。それから、あんまり信用できなくなって……」


「あー、そういうことね。さぞやツムグはモテるだろうし……ふーん、それでソウタに白羽の矢が立ったわけか。でも、安心してよ、ツバサ。ボクがツムグを好きになることはないし、ツバサに嫉妬することもないからさ」


「ほ、ほんとに?」


「うん! ツムグはボクのタイプじゃないし、ボクには好きな人がいるしね」


「そうなの!?」


「なっ……」


 好きな人……だと?


 一体だれだと思考を巡らせるが、皆目見当もつかない。第一、碧が出現してから出会った異性など、多寡が知れている。それこそウチのクラスの男子くらいだろうが、仲良さそうに会話をしていたのは黄泉川程度で、その黄泉川はタイプじゃないと告げている。考えられる可能性としては俺も含まれるが、碧は今朝、俺のことが嫌いだと口にしていた。


 ならば、赤羽根を安心させるための適当な嘘かと思いかけた拍子に、とある光景が脳裏を掠めていく。


 それは、碧が転入してきた際にクラスメイトたちが詰め寄るシーンであり、色んな質問などが飛び交うなかで、碧が積極的に関わろうとした人物が、いた。


 まだ名乗りさえしていないその人の名前をいち早く呼び、見兼ねた俺が仲裁に入るまで果敢に迫ったその相手は――赤羽根翼。


 どうして赤羽根にあそこまで興味を示したのか、今更ながらに考えた俺は、息を吞む。


「だからボクも協力するよ、ツバサの恋。こう見えてもボクは、それなりに男の子と付き合ってきた経験もあるんだ。きっと、力になれると思うよ」


「ほんとに!? それはすごく助かるよ。やっぱり、同性の子の意見も聞きたいし、ましてや付き合った経験があるなら、たくさんアドバイス貰えそうだし」


 待て。


「うんうん。なら、早速ショッピング行かない? 流行りのコーデとか、デートプランとか教えるにはボクもここをよく知らないといけないし。ツバサに案内してもらいながら、相談に乗るよ」


「あ、ありがとう……碧」


 待ってくれ。


「おっけ! そうと決まったら善は急げだ。さっさといこ!」


「うん!」


「ダメだ! 赤羽根! 行ったら――」


 嬉しそうに返事をして立ち上がろうとする赤羽根の手を、俺は慌てて掴もうとする。


 しかし、俺の手が赤羽根の華奢な腕を掴むことはない。目測を誤って空ぶったわけでも、赤羽根に振り払われたわけでもない。


 俺の手が、赤羽根の腕をすり抜けのだ。


「……は?」


 頭の中が白く爆ぜて、理解が及ばない。


 遅れて凄まじい悪寒が背筋を駆け巡り、俺はそれを振り払うように赤羽根のあとを追う。


「ダメだ、赤羽根! 行っちゃダメだ。こいつは付き合ったこともないし、そもそも人間でもないんだ。お前を騙そうとしてるんだ!」


 まだコーヒーショップの店内であろうとも構うことなく喚き散らすが、赤羽根が取り合うことはない。まるで、俺の声が聞こえないといったように歩き続ける。


「赤羽根!」


 こうなったら、実力行使しかない。

 両手を大きく広げて赤羽根の前に立ちふさがるが、赤羽根の歩みは止まらない。淀みのない足取りで進む赤羽根が、俺の身体をすり抜けて去っていく。


「……うそ、だよな」


 認めたくない現実に、絶句する。わなわなと膝が震え、立ち尽くしていると、不意に声が掛けられる。


 振り向くと、そこには実に愉快そうに唇を歪ませる碧の顔があった。


「時すでに遅しってね。いやはや、藍田蒼汰。キミは本当にバカでたすかるよ。ボクの張った罠にまんまと嵌まるなんてね」


「罠……?」


「そっ。キミはボクのヒントを周囲の関係値にあると考えた。そして、自分の存在価値を認めるのは自分以外の他人だって。で、キミはツバサに認めてほしかった。恋人や親友にも匹敵する、唯一無二の存在として。……ぷっ、くくくく。じゃあ、結果は? こんなにも簡単に奪われるくらい、価値がないんだよ? キミが特別だと思っていたものはさ。ツバサの恋の相談役なんて、べつにソウタじゃなくたっていいんだ」


「……」


「だーから、ボクはヒントをあげていたのに。『キミの存在価値なんて、すぐにでも奪えるほどに儚い』ってさ」


「……やっぱり、そうなのか。お前の存在証明は俺の存在価値を落として、自分の存在価値を相対的に上げることなんかじゃない。俺が自分の存在価値を見出していた、赤羽根翼の秘密を知る藍田蒼汰としてのポストを、奪うことだったのか」


「ご名答。ま、今更わかったところでどうしようもないけどね。これで、キミの存在価値は大暴落。見事、透明人間めいた存在になってしまったわけだ」


 対戦相手のボクだけは見えることができるけど、と碧は肩を揺する。


「もう勝負はついたも同然だ。あとは、時間をかけてボクが藍田蒼汰の存在を乗っ取っていく様を眺めているといいよ」


 ぽん、と碧が俺の肩を叩く。


 あまりにも気安くて軽いそれは、しかし俺に鉛のように重い呪いを施す。たまらず膝から崩れ落ちた俺は、霞む視界で赤羽根を捉える。


 普段から振り撒いている、柔らかで暖かな、真昼の陽射しみたいな笑顔とは違う。黄泉川への恋心を俺に明かすときにしか見せない、頬を朱に染めてはにかむ、夕陽のような笑顔を碧に向けていて。


 俺のなかに瞬いていた僅かな輝きが、消えた。

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