Q2.本当の正解とは?
あいつが朝で、君が昼で、俺が夜
昇降口を抜けると、生ぬるい微風が頬を撫でていく。その気持ち悪さに身震いして天を仰ぐと、夕陽に燃やされた茜色の空が視界に広がった。
時刻は17時を回っているが、日の光は弱りそうにもない。その事実を嘆くようなヒグラシの鳴き声に耳を傾けていると、隣から「うわぁ~」と感嘆の息が漏れる。
「真っ赤ですごく綺麗な空……。ヒグラシの声も風情があっていいね」
そう言って、赤羽根が瞼を閉じる。薄い唇を引き結び、耳にかかる髪を掻き上げて、ヒグラシの声に聞き入っているようだ。
再び、風が吹き抜ける。赤羽根の前髪が靡き、長い睫毛が震える。夕陽に照らされた彼女の横顔はとてもこの世のものとは思えず、つい見惚れしまう。
「蒼汰くん?」
怪訝そうに眉根を寄せた赤羽根に名前を呼ばれることで、俺は我を取り戻す。
「あ、いや……、確かに綺麗だよな。暑いのは嫌いだけど……夏の夕方は好きなんだよな……俺」
「わたしも! 綺麗で儚くて……少し切ない感じがいいよね。あんなに鬱陶しかった陽射しとかアブラゼミの声が聞こえなくなるのが寂しくなるっていうか」
「そう! ……っていうか、意外だな。赤羽根でも、そんな風に感じるんだ」
「え、なんで? わたしって、そんなに感性が鈍そうにみえる?」
「じゃ、じゃなくてさ。なんていうか……」
日頃から多くの称賛と憧憬を得ているような人間が、俺みたいな人間と共感することが予想外だった……という言葉を、俺は呑み下す。
「あんまり深い意味はないんだ。ただ、どっちかっていうと赤羽根は昼っていう感じがしたから」
「昼? わたしが?」
「そう。いつもみんなの前に立って、場の雰囲気を明るくさせるところとかさ」
「ぷっ、なにそれ。じゃあ、朝はだれ?」
「朝は黄泉川だろ。爽やかなんだけど、いやに鼻につく感じがまさにそれ」
「あっはははは。たしかに! 蒼汰くん、面白いこというね」
俺としては暗くて卑屈な本音を濁したいだけだったのだが、思わぬところで赤羽根のツボにはまったらしい。赤羽根は腹を抱えて笑い、「じゃあ」と目元を拭う。
「蒼汰くんは夜だね」
「夜? 俺が?」
「うん。物静かで、冷静で。でも、暗くはないの。キラキラと輝く星を、たくさん持ってる」
「俺が、星を? いやいや、ないって。柄でもないし……」
「そんなことないよ」
柔らかくて優し気な赤羽根の声音が、硬くなる。驚いて振り向くと、彼女の真っ直ぐな視線が俺を射抜いた。
「蒼汰くんのいいところ、わたしは知ってるからね」
「……そう、か。……それはまぁ……嬉しいけど」
「蒼汰くんはもうちょっと自分のことを認めてあげてもいいと思うな。わたしの相談にも、変わらず応じてくれてるんだし」
そこで、赤羽根の目つきが緩くなる。口の端を上げて微笑み、ぺこりと頭を下げる。
「ありがとうね。本当に。夏休みにまで話、聞いてもらって」
「あぁ、気にしなくていいんだ。どうせ俺は暇だし、こんな俺のアドバイスでよければ」
「ううん、すごく助かってるよ。だって、蒼汰くんだけだから。わたしが、紡を好きなことを知っているのは」
あははと、赤羽根が照れたように頬を掻く。その際、微かに揺れる彼女のセミロングの髪を視界に収めながら、俺は尋ねる。
「でも、驚いたよ。黄泉川の好みの髪型がロングだって教えたら、すぐに伸ばしてくるなんてさ」
「一ヶ月半くらいじゃこの長さが限界だけどね。案の定、紡は全然気づいてくれないし。蒼汰くんが機転を利かせてくれたからよかったものの」
「にしても、鈍すぎると思うけどな、黄泉川は。昔からあんな感じなのか? あいつ」
「そうだよ! 昔から紡の頭のなかにあるのはバスケのことばっかり。特にわたしは眼中にない。デートに誘ってもただの買い物としか思っていないみたいだし、バレンタインにチョコをあげても、まるでお母さんからのチョコみたいな感じで受け取るし」
「……あぁ、それな」
別段、赤羽根に限った話ではないと思う。
毎年、黄泉川はたくさんの女子からチョコレートを貰っては、さも当然のように告白を受けている。
しかし、返事は決まってノー。その理由は『バスケに専念したいから』と一貫したものであり、ゆえに黄泉川につけられたあだ名はバスケ馬鹿。
黄泉川に恋する連中には気の毒だが、彼の意中の相手はバスケットボールなのである。
「……それでも、よく諦めないよな、赤羽根は。普通、愛想も尽きそうなもんだけど」
「尽きたよ、何度も。呆れて、馬鹿馬鹿しくなったことも、何度もある。でも、しょうがないんだよ。朝、紡におはようって言われるだけで……ドキドキするから。バスケで汗を流す紡を見るだけで、身体が火照って……やっぱり好きなんだって思っちゃう」
「……そうか。まぁ、俺は応援してるよ」
「本当にありがとうね。わたしが諦めないでいられるのも、蒼汰くんのおかげだよ。こうやって適度にガス抜きができてるからこそ、折れずにいるし」
「前も聞いたけど、できないのか? そういう恋バナできる同性の存在っていうのは」
「……うーん、そうだね。紡は中学でも人気あったけど、高校で更にその人気も上がったらしいんだよね。ただでさえ、紡は競合が多いのに、わたしは紡の幼なじみっていうポジションもあって、余計に女子の不興を買いやすいというか」
「なるほどな……。神林とかでも、ダメなのか?」
「んー、みどりは良い子なんだけど、恋愛には疎いしね。それに、ふとしたときに口を滑らしちゃいそうじゃない?」
「あー……」
おっちょこちょいという言葉が似合う神林のことだ。赤羽根のために頑張ろうとして空回りする姿が目に浮かぶようだと肩を竦める俺の袖を、赤羽根が引っ張ってくる。
「あ、モールついたよ、蒼汰くん。ひとまず、スタバでゆっくりしながら話そうか。まだまだ言いたい愚痴は山ほどあるんだ」
「了解。じゃあ――」
行くか、と言いかけたとき、不意に聞き覚えのあるメロディーがモールの中から聞こえてくる。それはかつて俺が聴いていたバンド――『ヒストリア』のポップでコミカルな新曲だった。
「あれ、この声ってヒストリア? 新曲なんて出してたんだ。蒼汰くん、行ってみない?」
「え? い、いや……俺は」
「行ってみよ!」
もはや、俺に選択権はないらしい。
力強く腕を引いて、赤羽根は俺をモールの中にあるCDショップへと連行していくのだった。
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