ドッペルゲンガーの罠
存外、碧との話し合いは長引いてしまったようだった。
教室に戻ると、授業は三限が開始する寸前であり、俺はどうにか滑り込むことができた。その際、二限の欠席の理由を誤魔化してくれていたらしい黄泉川に文句をつけられたが、いまはそんなことに構っている余裕はない。
ありがとうとだけ言って、俺は存在証明とやらに思考を巡らせる。しかし、どれだけ考えても答えには辿り着けず、碧が残したヒントにも検討がつかないまま、授業が終わる。
いつのまにか三限どころか四限までもが終わり、日程が昼休みに差し掛かると、碧が席から飛び出す。
弁当を片手に碧が向かう先は、赤羽根の席だった。
「ツバサ。よかったら一緒にお昼いっしょに食べない?」
「うん、いいよ。碧とはもっと喋りたいしね」
「あー、ばっさーズルい! あたしもアオちゃんとご飯食べたい!」
「はいはい。みどりも一緒でいい?」
「もっちろん。大人数で食べたほうがご飯も美味しいしね」
いつも思うが、女子の仲良くなるスピードってどうしてこうも早いのだろう。今日、初めて出会ったとは信じられないほどの仲睦まじい雰囲気のなかで笑う碧を見た瞬間、俺は言い知れぬ焦燥感に駆られた。
「ちょ、ちょっと待った」
「蒼汰くん? どうかしたの?」
「い、いや……どうかしたっていうか」
勢いで飛び込んだはいいが、どう言い繕ったらいいだろう。しどろもどろになりながら考えて、俺は碧の腕を引く。
「ほ、ほら。従妹がちゃんとうまく学校生活やれるか心配でさ。こいつ、少し危なっかしいところがあって」
「へ~、そうなんだ。アオちゃんしっかりしてそうだから、なんか意外」
「……なんだよ、それ。別にボクはソウタなんかに心配されなくたって、うまくやってるさ。逆に心配なのはボクのほうだよ」
どこか落胆したように肩を落とす碧の表情に、笑みが宿る。ニヤリと白い歯を覗かせて形作られるそれは、俺によく向けるあの嘲笑だった。
「お昼、いつも一緒に食べる人がいなくて一人で食べているんだろ? 校舎裏で、隙間風に吹かれてさ。いつだったか、ボクにそうボヤいたじゃないか」
「なっ……!」
「え、そうなの? わたしてっきり蒼汰くんは他のクラスの人とか食べてるのかと思ってた……」
「あ、いや! それは……」
どうやら、俺はまんまと碧の張った罠に嵌ったようだ。楽しそうに笑う碧の横で、憐憫の眼差しを注いでくる赤羽根に息を詰まらせて、視線を泳がす。
すると、泳いだ視界が偶然ある物体をとらえ、俺はすぐさま咳払いをする。
「俺のことはどうだっていいんだ! とにかく、俺もここにいれてもらっていいか? 今なら黄泉川をつけるからさ」
「お、オレ!?」
俺に捕まった物体こと黄泉川紡が愕然とした声を上げるが、俺はそれを無視。赤羽根の反応を窺うと、赤羽根は「紡も……?」と呟いて、微かに口元を緩ませる。
「お、おい。ちょっと待った藍田。オレは昼休みに部活のミーティングがあることを知ってるだろ? 悪いけど、昼飯は……」
「頼む」
「は?」
「マジの頼みだ。一生のお願いだから、一緒に昼飯を食ってくれ……!」
「い、一生っておまえ……大袈裟な」
あまりの俺の必死さに黄泉川がドン引きする。もちろん、俺だってこんなみっともないことはしたくないが、これも碧との勝負のためだ。ある程度のプライドを投げ売ってでも、俺は碧に勝たないといけない。
「ま、まぁそこまでいうなら、いいけどよ」
「ま、マジか! ありがとう、黄泉川」
「ただし、事情はあとでちゃんと聞かせろよ」
「……は、はは」
どう誤魔化せばいいんだろう。
適当な口実を考えておくという新たな課題に俺の頬が引きつるが、どうにか昼飯は赤羽根たちと食べることができそうだ。どうだ、と今までの恨みを晴らすように碧を睨むが、碧は涼しい顔のまま、椅子に座る。
「よし、じゃあ食べよっか。あ、何気にヨミカワくんと話すのは初めてだよね? はじめまして、藍田碧です。よろしくね~」
「おう、よろしくな……って、なんでオレの名前を?」
「ツバサと同じで、キミの名前もよくソウタから聞いてたからね。いやぁ、お噂通りのイケメンですな」
「はは、よせよ。ていうか、オレは知らなかったぜ。藍田にこんな可愛い従妹がいたなんてさ。お前も隅に置けないな」
「は、ははは」
もはや笑うしかない。やっぱり、碧が俺のドッペルゲンガーということを馬鹿正直に話したところで信じてもらえそうにはないなと痛感していると、おにぎりを頬張ろうと開く神林の口から、
「へ?」と間の抜けた声が漏れる。
「藍田くん、お昼それだけ?」
ビー玉のように丸くなる神林の瞳の先には机に置かれた焼きそばパンがあり、俺はパンを包むビニールを剥がしながら、苦笑する。
「今日ちょっと寝坊しちゃってさ。コンビニで急いで買ったんだよ。なんていうか、夏休み気分が抜けなくて」
……本当は碧のせいだけど。
「あ~、わかる~。あたしもなかなか起きれなくて、ママに叩き起こされちゃったよ。目を開けたら
フライパンを片手に持った鬼がいたからもう一瞬で起きたよね」
「ぷっ、ははは。なんていうか、ミドリっぽいね」
「ていうか、みどりの場合、それ毎日でしょ」
「ば、ばっさー……それは言わないで」
赤羽根からの手厳しいツッコミに、神林が情けない悲鳴を上げる。すると、楽し気な笑い声が弾け、その一部が自分のものであることに、俺は驚く。この感じ……なんか久しぶりな気がする。
碧の言う通り、高校に入ってからはひとりで昼食を摂ることが多かったうえに、うちは両親とも仕事で家を空けることが多いので、家でもひとりで食事をすることがほとんどだ。だから、他人と食事をするという感覚に新鮮味を覚えていると、碧がこんな話題を持ち出した。
「夏休みといえばさ、みんななにしてたの?」
途端、俺の心臓が強く脈を打つ。
「ボクは引っ越しだとか転校の準備だとかでろくに遊べなかったんけど……」
「うわぁ、それは残念だねー。あたしは普通に遊んでたかなぁ。美味しいアイスとか綺麗なかき氷食べに行ったりとか!」
「食べてばっかりじゃない……。わたしは、勉強かな。二学期はなにかとイベント多くて勉強する暇ないし、なのにすぐに中間テストはあるしで、油断できないからね」
「うへぇ、相変わらずバカマジメだなぁ、翼は。オレはほとんど部活だったかな。全国大会出場目指しての県大会。まー、ベスト16で終わったけどよ」
「へ~、すごいね。みんな充実してるなぁ。あ、そういえばソウタはなにしてたの?」
「……お、俺?」
「うん。ソウタは部活とか入ってなかったよね、たしか。ボクは準備で連絡もあんまりしてなかったし、気になって」
そう言う碧の顔は、ニヤニヤとニヤついている。明らかに俺が嫌がる質問だとわかって、わざと訊いているのは容易に察することができた。
俺は舌打ちしそうになる自分を押し殺して、答える。
「……俺はまぁ、ゲームしたりとかユーチューブ見たりしてダラダラしてたよ」
「あっははは。ソウタらしいね」
「そ、それもあるよね。わたしも、勉強の合間とかそんな感じだったし。それに、蒼汰くんはわたしの相談にも乗ってくれてたし……」
「相談?」
わざわざ俺をフォローしようとするあまり、うっかりしてしまったのだろう。赤羽根の口から滑ったその言葉に、黄泉川が食いつく。
「翼が藍田に相談って、珍しいな。なんの相談?」
「い、いやぁ……それはね、蒼汰くん?」
「え、えーっと、ほら! 相談してたのは俺のほうっていうか。夏休みの課題のこととかで赤羽根に連絡して、その流れで赤羽根の話も聞いたって感じで」
「ほーん、そうか」
俺と赤羽根があたふたとしながらした説明を、黄泉川はどう受け取ったのだろうか。一瞬、怪訝そうに眉をひそめた気もするが、それ以上に追及してくることはなかった。
「あ、そうそう」
絶妙に気まずい空気が立ち込めようとするなかで、話題を転換させたのは碧。空気が読めないほどに軽快で軽薄な声音をもって、碧は言う。
「ソウタさ、もうギターはやってないの?」
恐らく、俺が最も訊いてほしくないと忌避する、それを。
「え、藍田くんギターやってたんだ! 知らなかった! いがい!」
すると、神林が手を叩いてオーバーなリアクションをする。たぶん、場を盛り上げようと気を遣ってくれたのだろうが、生憎それは余計なお世話だ。
こちらを一瞥してほくそ笑む碧を睨んで、俺はかぶりを振る。
「……ギターは、やらない」
「へ?」
「ギターは、やめたんだ」
「え、そーなの? でも、なんで? もったいないよ。ギター弾けるとか超カッコいいし、今度の彩城祭でも活躍できるかもよ!」
「うんうん、ミドリの言う通りだ。てゆーか、ミドリ。さいじょーさいって、なに?」
「あっ、ウチの文化祭の名前なんだ。毎年外部からもたくさん人が来てくれる大イベントでさ、有志の団体が体育館で色々出し物するんだけど、これがすっごくてさ。漫才とか演劇とかめちゃくちゃおもろいの」
「へー、それは楽しそうだ。じゃあ、バンドってのもアリなんだ?」
「全然あり! だから、藍田くんもよければ参加するのもいいと思う!」
「そうだね、ソウタが活躍するなんて滅多にない機会だし」
「ちょ、ちょっと……碧、みどり。そこまでにしときなって」
「なんで止めるのさ。どうせギターを辞めた理由も大した理由じゃないんだからさ。この際、弾いちゃえばいいのに」
そこが、俺の限界だった。
「弾かねぇって、いってんだろ!」
時が、止まった。
俺の怒号が響くや否や、碧たちはおろか、教室中が一気に静まる。冷静になった俺は、驚いたようにこちらに集まる視線から逃げるように、俯く。
「もう、俺は辞めたんだ。……辞めたんだよ」
「蒼汰くん……」
「藍田……」
譫言のように呟く俺に、心配そうな赤羽根と黄泉川の声が掛けられる。そして、おもむろに赤羽根が椅子から立った瞬間、チャイムが鳴る。
「ありゃ、残念。昼休みはここまでみたいだ。みんなありがとう、楽しかったよ」
チャイムに続く碧の言葉によって、みんなが我に返ったようだ。こちらをチラチラと窺いつつも机を戻していき、五限の準備に取り掛かる。
そんななかで、俺は「ごめん」と謝る。
「いまのは俺が悪かった。……ほんと、ごめん」
「う、ううん! あたしこそ、ごめんね。調子に乗り過ぎたかも……」
「いや、神林は悪くないんだ。だから、気にしないでくれ。……赤羽根も、黄泉川も」
「……」
「……おう」
神林も、赤羽根も黄泉川もなにか言いたげだったが、五限の開始までそう時間もない。三人とも自分の席へと戻っていき、立ち尽くす俺に、碧が囁く。
「はい、ボクの勝ち」
ただそれだけを言い残して去っていく碧に、俺は「クソが」と歯噛みした。
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