存在証明のヒントを特別に
キンコーンカンコーンという、間の抜けた鐘の音が鳴り響く。それは休み時間の終わりを報せると同時に二限の開始を告げるものでもあり、ガヤガヤとした喧騒が消え、徐々に静寂を取り戻していく校舎のなかを、俺は早足で歩く。
本心をいえば、いますぐにでも教室に戻りたい。授業をサボったところでいいことはないし、さいあく職員室に呼び出される可能性もある。
学校生活は平穏無事に過ごせればそれでいいという俺にとって、悪目立ちする事態は避けたかったが、今回ばかりは仕方ない。黄泉川あたりが適当に誤魔化しくれることを祈って、校舎裏まで碧を連れだす。
「わお。授業をサボってこんなに場所に連れ込むなんて、ソウタは意外と大胆だなぁ。用件は愛の告白? それとも因縁をつけた果し合いかな?」
「ふざけるな。お前、どういうつもりだ? 言っておくが、お前のいう存在証明だかで、俺の周りの
人に迷惑をかけるってなら、容赦しないぞ」
「……どうやら、後者のようだね」
俺なりにドスを利かせて精一杯すごんでみるが、碧には効果はないようだ。小さく嘆息をして、碧はボブカットの髪を掻く。
「迷惑もなにも、ボクがなにをしたっていうんだ。ただ転校をしてきて、みんなと話してただけじゃないか」
「やり過ぎなんだよ、それが。赤羽根、すごく困ってたし。いいか? 大人しくできないなら、俺はお前を追い出す」
「どうやって?」
「さっきは俺の従妹とかデタラメ言ってたけど、そんな化けの皮、父さんと母さんに聞けばすぐに剥がれる。どうやってこの学校に入れたかは知らないが、偽造がバレれば、みんながお前の異質さに気付いて――」
「ぷっ……くくく」
「……なんで笑うんだよ」
「いやいや、つくづくキミはバカだなと思ってさ。いいかい? ソウタ。ボクの転入を手続きしてくれたのはキミのお母さんなんだよ?」
「……は?」
「ボクの父親……つまり、キミの叔父さんはボクを娘だと認識してるし、キミのお母さんはボクを姪っ子だと認識してる。戸籍だって、ちゃんと存在してるよ」
「な、なんで。だってお前はいきなり現れた俺のドッペルゲンガーで……」
「わかってないなぁ、ソウタは。ボクは言ったよね? これは勝負だってさ」
ちっちっと、碧は俺を挑発するように指を振る。
「勝負っていうのは、両者がフェアな状態になければ成立しないものだ。キミにとってボクは突然湧いてでたドッペルゲンガーかもしれないけど、あくまでそれはキミに限った話だ。キミを除いたすべてはボクをひとりの人間として認めてる」
「そんなことが……」
「だから、キミが思ってるほどハンデはないんだよ。強いていえば、周囲との関係値はキミのほうが若干高いことかな。ま、それも『若干』でしかないけど」
碧が、唇の端を吊り上げる。腕を後ろで組み、腰を屈めて俺を上目遣いで見上げてくる。
「ていうかさ、ボクにハンデがあるぶんにはソウタに不都合はないよね? なのに、すっごく余裕ないみたいだけど、どうしたの? 怖気づいた?」
「……違う。俺はただ、みんなの迷惑だと思ってお前を連れ出しただけだ。ただでさえ、お前は得体が知れないんだし」
「だーから、ドッペルゲンガーっていっても、ボクは藍田碧っていうただの女の子だって。キミの従妹にしてキミの学校に転校してきたクラスメイト。それ以上でも以下でもない。さっきもいったように、ボクにもしっかりと戸籍はある。犯罪をすれば捕まるのも同じだし、だからボクがみんなに危害を加えることはしない。誓って本当だよ」
「嘘じゃ、ないよな?」
「あぁ。安心してよ。ボクが危害を加えるとしたら、」
そこで、碧がおもむろに腕を上げる。ゆっくりと人差し指が伸び、指先が捉えるのは――俺。
「敵である藍田蒼汰、キミだけだよ」
「……っ」
「キミの存在価値なんて、すぐにでも奪えるほどに儚いんだ。本当は、キミにもわかっているんだろ? 藍田蒼汰としての存在権を、ボクに奪われるってことが」
「……させない。お前なんかに、俺は……負けない」
「うんうん、そうこなくっちゃ。とにかく、勝負はちゃんと公平を喫している。しかも、存在証明とはなにか、わからないキミにヒントまで残したんだ。むしろ、感謝してほしいくらいだよ」
「……ヒント?」
「そうだよ。そうでもしなきゃ、いい勝負にならなそうだし。ま、これ以上は流石になにもいえないし、あとは自力で頑張ってね」
それじゃ、と碧は一方的に会話を打ち切って、俺の横を過ぎ去っていく。
微かに鼻腔をくすぐるシャンプーの甘い残り香に誘われるように振り返ると、碧は鼻歌を口ずさみ、足取り軽く校舎裏の角を曲がっていく。
まるで、余裕綽々な振る舞い。最初は、単純に俺をからかって遊んでいるだけだと思っていたが、違う。あいつがあんなにも余裕そうなのは、なにか理由があるからなのか。
碧が口にした『ヒント』という言葉の響きが、何度も脳内で反響した。
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